現代ポーランドの歴史・地理・社会的背景(4)

体制転換から西欧復帰

共産主義体制崩壊後には、経済の建て直しを図る「ショック療法」を皮切りに、諸制度の改革が短期間で断行された。一時は急激な変化による副作用も招いたが、大筋ではポーランドは政治・経済的に安定した発展を遂げている。

体制転換後の内政面に目を転じると、政治、行政・社会基盤・経済制度、医療制度、年金制度、教育改革など、歴代政府は改革に次ぐ改革を余儀なくされた訳だが、このように劇的に変化する変革期の混乱の渦中、政界・官界の汚職や腐敗は長期間改善されず、市民の政治に対する無関心も顕著化した。資本主義導入後の経済界では、人脈・コネ・才覚がある市民からビジネス界に参入し富を蓄積。共産主義時代にはありえなかった貧富の差が顕著化し、新体制移行の波に乗れず取り残された一般市民の強い不満を招き、一時は共産主義時代へのノスタルジーが増大した。

しかし、欧州協定が発効し、EU加盟申請をした1994年あたりから外資の流入が始まり、その後の高度成長期の礎となる。金融・資本市場の整備も並行して進んだ。他方、産業構造の近代化、インフラ整備、不採算国営企業民営化ではやや遅れをとった。社会面では、医療制度の機能不全、年金制度の将来的不安、失業、市民の社会保障依存などの問題が山積し、EU加盟を果たす2000年代前半期においても、内政的にはまだ過渡期にあるという実感が否めなかった。

政治的には共産主義から民主主義へ、経済面では計画経済から市場経済へ変更するいう大転換がまさに体制移行であった訳だが、新体制の幕開けと同時に過去が一挙に清算されたわけではなく、上述した以外にも巨額の対外債務、教育の後進性、独特なメンタリティーなどといった「旧体制の負の遺産」は確実に受け継がれた。

この「負の遺産」を断ち切る象徴的な出来事がまさに2004年のEU加盟だ。EU加盟を果たすには、国家運営全般にわたる諸制度をEUの制度的枠組みに適応させ、これに準じた国内法の整備も絶対条件となっている。紆余曲折は当然あったものの、歴代ポーランド政府は着々とこのタスクを遂行。EU加盟により生じる諸義務を果たすと同時に、巨額の資金援助をはじめとする諸サポートを享受し、各分野で近代化の遅れを取り戻した。事実、国家として「文明的な飛躍を遂げた」と形容されるほど様変わりしている。

EU加盟から18年が経過した2022年現在、大戦転換後に蔓延した共産主義時代へのノスタルジーはすっかり影を潜め、経済面でも順調な成長を持続している。昨今のウクライナ危機では、同国のEU加盟を率先してサポートするなど、欧州社会の一員としてより存在感を増しつつある。

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