自分の命をかけて助けた一人の女性をご存じですか?
みなさんは、村田奈津恵さんをご存じだろうか?
極限の愛情主義を
現代において立派に成し遂げられた一人の女性をご存じだろうか?
今回は、村田奈津恵さんについてご紹介しよう。
2013年10月1日、横浜市のJR横浜線・川和踏切で事故がおきた。
村田奈津恵さんは父親と自動車にのり、踏切前で停車していたところ、
踏切内に横たわろうとする高齢の男性を目撃した。
「助けなきゃ!」と感じた奈津恵さんは、
すばやくシートベルトを外し、車からおり、
踏切内の男性救助に向かう。
すでに警告音がなり、遮断機がおりていた。
父親はすぐに車から降りて、
踏切の非常ボタンを押すが、間に合わない。
村田奈津恵さんは男性をレールとレールの間に移動させ、
電車は男性の上を通過。
鎖骨骨折の重症ながら、命に別状はなかった。
しかし、村田奈津恵さんは時速100kmの電車に轢かれ、
40歳という若さで亡くなったのだ。
この事故がひとたび報道されると、
ネットでは村田さんの行動を称賛し、
日本中が勇気ある行動に感動し、その死を悼んでいる。
事故現場には、たくさんのお花や飲み物が供えられており、
お葬式には大勢の人たちが参列し、見送った。
献花に訪れた方々はこのようにコメントしている。
「すごい勇気だなと思いまして、なんとも言葉がでないです」
「見て見ぬふりがだんだん世の中に増えちゃっていて、
さびしいですが、あの子はそういう子じゃなかった」
「ここを通るたびにわすれないで、私も人の役に立てる人間になりたい!」
一人の勇気ある行動により、私たちに勇気と愛情を教えてくれた。
遮断機のおりた踏切に、高齢者男性が横たわっている。
これを目撃した人は、だれでも緊急事態だと判断できるだろう。
しかし、おそらく多くの人がただ呆然と立ち尽くすしかなく、
傍観者になってしまう。
誰かが助けるだろう、自分は助ける必要がないと
どこかで感じてしまうのだ。
しかし、村田さんは他人事ではなく、
「私が助けなきゃ!」と自分の責任だと感じて、
即座に助けに向かわれた姿勢は、現代の捨て身の特攻だと感じずにはおれない。
村田奈津恵さんに大いなる感謝をお返ししよう。
村田奈津恵さんの母親が胸中を語っている。
「(奈津恵さん)派手なことが嫌い、
でも芯がすごく強い子で、わりと正義感のある子でした。
それが今回、変な言い方ですがこのような形で現れたと思います。
それはそれであの子の信念でやったことだから、しょうがないと思います」
母・春子さんは命がけで一人の命を救った娘にこのような言葉をかけてあげたいと話す。
「「痛かったね」ってそれだけです。」
制止を振り切り、踏切の中にいる男性を助けようとした
娘の行動に父親・恵弘さんはこのような思いを口にしている。
「お父さんより先に逝ってほしくなかった。これだけです。
それ以外にありません。しいて言えば、そのおじいさんは
奈津恵の分まで長生きしてほしい」
愛する娘を突然に失ったご両親のお気持ちはいかばかりだろうか?
捨て身で助けたご本人も決死の覚悟でありましたが、
地上に残されたご両親はとてもつらく悲しいと思う。
それでも、娘を誇りに思っておられるのだ。
現代の日本では、「いじめによる自殺」など、
誰かが悲しい思いをしていても、なるべく「傍観」するような
人が増えてきている。ひと昔前の日本では、
弱いものを助け、強いものには立ち向かう大義の精神があった。
村田奈津恵さんの勇気ある行動に、
本来の日本人としての「助け合いの心」が取り戻されたのではないだろうか?
日本に帰化した張陽さんはYouTubeで活躍されているのだが、
村田奈津恵さんの姿を「日本の桜」と表現されていた。
桜は日本を象徴する花だ。
この桜は、満開に咲いた最頂点で美しく散っていく。
まさしく、村田奈津恵さんはこれからという時に、
人生をかけて散っていかれた。
もう一度、村田奈津恵さんのように日本人としての心を取り戻そうではないか。
そして、村田奈津恵さんが望んだような、
「助け合う」社会、国家、世界をみなさんで作っていきたいと切に願う。
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