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どこに行く? 着いた先は養護施設

人権のない辛い日々を一時保護所で過ごして1ヶ月、急に呼び出され「今日から少し遠くで生活することになるから、この洋服に着替えてね」と児童相談所の担当に言われた。最初は何のことかわからなかったが、服を着替えた後、一時保護所の時に持ってきた荷物が出されていたので、家に帰れるのかと思っていた。その後、数名のスーツ姿の男性と女性とタクシーに乗ることに。車内では、いろいろ話してきたが、どうでもいい話ばかりだったので、正直覚えていない。ただ、これは家に帰るんじゃないんだな、と車内で悟った。

タクシーから見慣れない景色を見ながら1時間ほどで、大きなゲートに入り、茂みを少し進んだところに1つの施設が現れた。その施設の前には、何人もの大人が手を振ってくれていて、笑顔で出迎えてくれた。施設内の砂山やおもちゃがたくさんある小さな部屋に連れていかれ、そこから数十分の間、待たされることに。児相から一緒に付き添いで来てくれた人たちは、小さな部屋に入って挨拶をしてから見なくなったので、児相に帰ったのだろうと察した。その後、迎えてくれた数人の大人が部屋に入ってきて、「今日から少しの間、ここで暮らすことになるからね」と言われた。児童相談所に言われたことと全く同じだった。

施設は児相と違い、少し明るかった。施設の事務所から寮に移動する間に、外には多くの子供が遊んでいて、俺が通り過ぎるたびに「初めまして!○○!」と挨拶をしてくれた。外でも子供たちの笑い声が聞こえて、楽しそうだった。その時は、児相と比べて全く雰囲気が違い、少しワクワクしていた自分がいた。

施設内にはいくつかの塔があり、当時の職員は寮毎に男女合わせて3人の職員がいて、小さい子供から大きな子供まで共同生活をしていた。歩いて数分で、1つの塔(寮)に入ることになった。そこには男女含め、7人の子供がいて、年齢は3歳から高校生まで。みんな優しく出迎えてくれた。着いた時はもう少しで夕食の時間だった。児童養護施設に来て、初めての夕食。夕食は別の場所に取りに行くということで、一緒に取りに行った。8人+大人の分の食事ということで、かなり重かったことを覚えている。

寮に戻ってから、寮母さんと呼ばれる職員の指示で、みんなが夕食の配膳を手伝っていた。基本的に、施設の子供は配膳、皿洗い、掃除など、全て子供たちでやることが義務付けられていた。今まで片付けや掃除をしてこなかった俺としては、かなり辛かった。夕食が終わった後は、各自自由時間があり、テレビを見たり、他の子供の部屋でおもちゃで遊んだり、食後は特に楽しかった。

寮のイメージ

そこへ、中学生〜高校生の同じ寮の子が帰ってきた。周りの子のように優しいのかな?と思ったが、寮母さんと彼らはかなりピリついていた。今思えば、思春期で喧嘩でもしていたのだろう。そして、楽しい生活は数日で終わり、年齢と性別がバラバラの子供たちが住んでいる寮では、裏でいろいろなことが行われていて、俺はそれを知り、体験することになった。



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