case3坂東正沙子 〈Yamatogawa Riv. II〉
作品を作り終えた時、あるいはその最中、撮影の対象となる物や景色についてある種の体感的な理解を得ている。
「撮る」ということは「録る」でもあり、「取る」や「採る」ということでもあるようだ。そして、それによって現れたものは、知ったことの顕れであり、撮るを繰り返し、知るは識るとなる。
川の流れは、時の流れに例えられる。その流れのうち、巨大なものは時代とされ、歴史という言葉と結びついていく。小さなものは、取り留めのない日々の出来事の連続のようなものであり、その様なものは個人の中に流れる小さな流れといえる。それは"歴史"から派生して、個人史という言葉と結びつく。
川の名を冠するこの作品が撮られる中で、その身に流れるものが如何なるものか、ということを作者は知ったのではないだろうか。
彼女が撮る対象としたものは何だろう。時間だろうか。周辺にある生活だろうか。いや、具体的な言葉はどこか馴染まない。撮影地域にある景色や人の内に流れていた川そのものや、あるいはやがて各々の内に流れるであろう川を形成する水と思しきものではないだろうか。
この川の水と思しきものを撮ろうとする行為は「撮る」を「採る」とし、「知る」を「識る」とするように、撮影者の内へその水を引くような行為に見える。撮られた事によって今度は撮影者の内でやがて流れる川の水となる。その様に水を共有することで、この土地の人になろうとしているかのような行為に見える。そこに流れる時間をその身に流れる川に注ぐために写しているような。
そこで生きてきた人々には、既に身の内に大和川という時間が流れている、と捉える。そんな彼らを撮ることで、その川が流れること(その川が流れるとどのようになるのか、その川はどのように流れるのか)を知ろうとしたのではないだろうか。そして、それを知ることで自らの内に大和川の流れを迎えようとしたのではと見えた。
・撮り手が現場で行うこと
そこに収められた風景の中に全てが納まってあると思う。組み写真のように作品を組むのだが、突き詰めれば一枚に見せたいことの全てはある。あるいは、どの写真もすべて同じことを言っている、というように。
断片でありながら、断片的なものの羅列ではない。レンズ越しに見えているのは、集約された光景なのだ。坂東は光景によって人々がその身に川の水(あるいは流れ)を宿していることを表す。しかしそれは、川の流れていることを良く描き出したということではなく、撮影者が目の前の人か景色の内に流れる川を見出したことが撮られた(写った)写真となる。どの写真も突き詰めれば、同じ言葉を持って、見る側へ発せられている。
他の言い方をすれば、言うなれば、レイヤーのようなものの重なりをその景色の中に見出した時、撮り手の目には景色が光景へと変わっているのではないだろうか。普段はピッタリ重なって見えないものが、その重なりにズレが生じることで見えるようになる。そのズレは視点とか視座、つまり見る位置によってこのレイヤーを発見が可能になる。景色の上に重なる層を普段とは違う位置、例えば横から見ることで発見出来るように。
このような条件或いは状況が整った時、その景色の中に撮り表そうとすることの関連を認め、光景として一枚の写真となる。撮り手は能動的にこれをやるのだろう。ただしそれは、意のままに起こせることではない。何故なら、撮り手の思考と感覚を持って景色を見ることで引き起こされることであるからだ。その時の景色の状況にもよれば、撮り手側の状態にもよる、偶発的なことでもある。撮り手は能動的にこの偶発を得ようとしている。
風景を切り取り光景と成す。それは偶然であれ、意図して描いたものであれ、その時持っていたカメラに許された範囲を選びとったことの結果である。それはなんであれ反応といえる。景色をインプットし、光景としてアウトプットする。そうして写真を得る。つまり、写真で知るとはこういうことだろう。
コミュニケーションなのだと思う。求め受け取った後、反応を表す。
・写っていたもの
川の水(流れ)の発見を撮った写真の集合(群れ)、これが写しだしている(現している)ものとは何であろうか。
あったこと。あること。過去にあり、今にあり、未来に続いていくこと。身体は現今に置きながら。
その光景は過去から何かしら引き継いできたり、有り続けてきた物(レイヤー)によって構成されていて、風景や空間あるいは事物や人までもこのレイヤーを有しているといえるのではないだろうか。そのレイヤーは今目の前にあり、未来にも過去からの延長としてあるのだろう。それは一つの線状を成していて、歴史と呼ぶことができるだろう。けれどもそれは、概念的共有のために記録されることのない、個人の内にのみある取留めのない歴史のことである。その無数の線(個人史)の束は過去から未来という方向性を得、流れを持つ川と成る。つまりその川は多数の者によって現れてくる。坂東はそこに、自身の線を書き足そうとしているようだ。これまで経過した自身と関わりのない膨大な時間に対して、撮影によってその川を識ることでその幅を埋める。そこにある光景とそこに住む人々に写真で触れることによって。
光景はその空間に対する自身の理解が反映されるものの、それ自体はその場所にあるという性質だろう。言い換えれば、光景を構成するレイヤーは意識の中にあるのではなく、現場にあるのだろう。その現場近くに生活する人々は、そこにある光景に影響を受けながら線を有していく。またその線が次の世代の人々に影響を与え、線を生み出させていく。人々が大和川にある光景にどのように充てられながら、どのような線を有し、またそれを引き継いでいくのか、坂東はこれを表そうとしたのではないだろうか。
つまり、写っていたのは膨大な時間を埋めたことか、埋めようとした行為ということになるのではないだろうか。
それは過去からバトンを受け取る様な繋がりのことか、繋がることが可能であるということではないだろうか。そしてそれを可能にするのは、文字資料を読み知識に加えることではなく、撮影を介して起こる体感的な理解によってではないだろうか。何故ならそれは、多面的な理解の仕方だからである。撮影の時、匂いもすれば、肌は湿度を感じ、鼓膜は物音を拾い上げる。更に意識は経験の中の既視を探す。つまり、撮影とは平面を描く作業ではない。
・そこから考察する写真とは?
識ること。写真はそれをもたらすということではないだろうか。
空間や事物を写真に切り取ることで景色は光景となる。その光景をより多く手に入れることで、対象となったものを識ることができるということ。カメラは光景を結ぶための機械で、写真はその結果生じた物質か。
・表象と表面
本作を見た時、歴史がテクストによって線形で表されることと、写真によって平面で表されるということに、当初ある種の類似をかんじていた。しかし、それは少々異なることだった。そして、表象が表されることについて考えを廻らすこととなった。
写真は確かに撮影者の表象あるいは表象的な反応が、表面に現れているのかもしれない。それは一見、写真が撮影者の表象を鑑賞者に伝えることのように思える。しかし果たして、本当にそうだろうか。表面が有しているのは、それを表すのに何がどのように用いられているのか、これのみではないだろうか。撮影者がどのように表象したのかを、遜色なく受け取ることは困難である。しかし、その表面から鑑賞者は、その写真が扱おうとするテーマや写された事物・景色に対して自身の表象を得ることは出来る。これをコミュニケーションと捉えるのは、誤りだろうか。
写真は立体としての風景(現実の風景)を平面化出来るからこそ、撮り手の表象となり得る。平面化とは、どのようであったのかの把握であり、それ自体は理解の状態を表す。既にある建築物に対して、設計図を書き、その構造を理解していく、建築の工程を逆行するような仕方と言えるだろう。
ただし、写真の平面は撮影者がどう理解したのかを、鑑賞者の中にコピー&ペーストは出来ない。写真による理解・把握の起こり方は、表象が表された表面に対して、同じように感覚を用いて表象するということだろう。つまり、表象が表象を呼んでいる。
撮影者と鑑賞者は、表面に写し出された景色や事物に対して一致した理解を持つことは出来ないのかもしれない。一つの景色に対して、別々の表象を持つのだから。しかし、一つの景色に対して表象を持つ、あるいは表象的理解をするという行為を通して、「一つの景色」を共有しているとは言えないだろうか。何故なら、着地や結果はどうあれ、同じものを見ているのだから。指さしているその対象は同じであるのだから。
写真の表象は、このような共有を起こしているのではないだろうか。そしてそれは、線型のテクストによる概念化とは違う、何と呼んで良いかわかもわからない。そして、そのような方法による共有に新しさを感じられて仕方ない。