見出し画像

【資料】第15回の蛇足部分の元ツイート/ポスト

" There is nothing on this planet quite so toxic as guilt. "
- from Elementary S2E2
『この世で罪悪感ほど人を蝕むものはない』

第15回の蛇足部分の元ツイートと関連ポストを単にそのまま集めたもの。
シリーズ本編との間に差異がある場合、本編の方が新しく且つ正確。

* * *

(2022年7月24日~2024年1月8日)

31巻
生存確定を踏まえ…

この1ヶ月『違う運命(Другая судьба)』が何か考えてた
鶴見相手に何故そこが「違う未来(自身の未来/オリガちゃん)」じゃないのだろうかと
судьбаは「(変え難き)運命」
選択肢で可変な「未来」とは読み難くて


30巻299話
『Если бы мы не приехали…
Другая судьба ждала бы тебя…
Прости…
(私達が来なければ…
違う運命に…
ごめんなさい)』

⇒「もしも私達が来ていなければ…
別の運命がアナタのことを(期待して)待っていたでしょうに…
お赦しを…」

日本語台詞は極限まで抜かれてる(続


マッちゃんの『運命は変えられる』は可変な未来の範疇
中身を少々書き換えられても 所詮は生まれた時に貰った運命Aという名の一人1ファイル
運命A 運命B…のように全く「違う/別の(другой)」ファイルに挿げ替えられはしない
登場する中で別ファイルが見える関係性は尾形/勇作しかない
ならば…(続


「もしも私が生まれて来ていなければ『別の運命(Другая судьба)』が兄様を『(期待して)待っていた(ждала)』でしょうに…」と読み換えるなら?
「軍人家の跡取りという運命(судьба)は 私より兄様が来てくれることを期待してた(ждала)のでは」と軍刀を抜けない勇作殿が言うのなら?
(続


自分は勇作殿の行動原理も罪悪感だと思う 愛だと思ってる兄様ごめんだけど(続


「извините(ごめんなさい)」⇒「из(内から外へ)」「вина(罪悪感)」
大抵の場合 罪悪感を抱くのはやらかしたからで やらかせば罪悪感を抱く 両者は別ち難い同一線上の概念
でも厳密には 事象である罪(грех/sin)と違い 罪悪感(вина/guilt)は心の中にしか存在せず実体がない
両者は別物(続 


生まれてきたことに「грех(罪)」なんか無いのに 生まれてきてよかったのかという「вина(罪悪感)」だけ生じてしまっている(祝福に拘る尾形も然り)
乞われなくとも仲間たちに獲物を獲り 乞われれば汚れ役も断らないほどに与えることのできる者が 唯一「これをください」(続


…と勇作殿から懇願されたものだけは与えることが出来なかった
それが「ゆるし」
尾形がそれを与えるためにはまず自分自身をゆるしてやらねばならなかったから
最終的に二人分の「грех(罪)」無き「вина(罪悪感)」を解放
して一緒に次へ進む(次へ進むとは言いたくないが)ことになったと(続


「ゆるし ゆるされなければ 去れない」から留まっていた あるいはそれでも尚 兄を諦めなかったとも
弟は最も困難な要求のためにひたすら耐えて待ち 兄は苦しみ抜いてそれを与えたとすれば それは愛(兄弟愛)になったと言えるのでは(続


日本語文化圏では「罪は償うもの」
ロシア語キリスト教文化圏?では「罪は赦すもの」
ソフィアと鶴見の告解のやりとりでは各々の文化が激突してる
片や日本人(和人)同士のテーマが「ゆるし合う事」だったのなら尾形のロシア文学らしさに納得(続


フィーナ/鶴見/ソフィアの赦しは間に合わなかった

でも「尾形/勇作のゆるし合いは間に合った」そう読むなら
「死をもってしても償うべし」な文化と「赦し赦されたから解放される」文化で読むのとでは180度意味は変わる(続


あえてそこに「грех(罪)」がないからこそ「вина(罪悪感)」と「ゆるし」が際立つんじゃないか?
罪があったら 日本語文化的正論では「償え」で終ってしまう
『祝福』も親が言うなら「償い」でしかなく 償われて解消するなら「赦し」ではない(続


「火(罪)のないところに煙(罪悪感)は立たないはずだ
故に罪悪感が あれば罪もあり なければ罪もない」尾形は考える
勇作殿が「罪悪感がなければ人ではない」を加える

有罪と無罪の間で揺れ動き「вина(罪悪感)」を状況証拠に 探せども探せども姿を表さない「грех(罪)」を捉えようと試みてきた(続


結局『無価値の証明』も『師団長』も「грех(罪)」立証の手段であって目的ではないんだ
フェールしたら次を考えて試すの繰り返し

でももうこれ以上試みる必要はなくなった
答えは分かった
「вина(罪悪感)」と「грех(罪)」は無関係
探しても見つからないのは存在しないから
人の心を持ち 無罪である
(続


運命(судьба)に話を戻して…

赦しを得られなかった者は ならば「грех(罪)」でなかったことにすれば良いと考える
嘘の延長線上に「繁栄」を構築し 必要不可欠な犠牲と納得するために
繁栄のための繁栄をね
台詞を兄弟で読み換えるなら「自分で自分を赦す」しか道はなく そして未だ赦せずである…と(続


ただしこちらは「грех(罪)」であろう
気付いてて黙ってたなら対等な「騙し合い」と言えても
気付いてないどころか全幅の信頼を寄せてたのだから「一方的に騙した」ことになる
兄弟の方は「生まれてきたことが罪なのでは…」なので「子に罪はないよ」って話


ちなみに
ドストエフスキー『罪と罰』の「罪(преступление)」は「犯罪」「crime」
言及してる「罪(грех)」は道徳的/宗教的なもの「sin」
こちらも別物
「ロシア文学らしさ」は具体的な作品を念頭にしてないでござい


兄弟の不成立な会話に大変興味をそそられたので

弟→兄の順で書かれているから尾形がオチになるけど 兄→弟の順で書かれてたら「兄の問いかけをいつもはぐらかす弟」の構図になる「答えられないor答えたくない」
尾形の意思決定はゲーム理論で大体説明できる(続


兄が「仲良くする利得がなくても会話する」利得は情報を得るくらいしかないから「質問に答えるなら会話してもいい」のが支配戦略 弟は真に仲良くすることが目的なら情報を与え会話を継続させるのが戦略だろう ゲーム理論じゃなくても実際のコミュニケーションでも大抵はそういう方向に動く(よね?)(続


弟がそうしないので兄には「仲良くしたいのは嘘(not愛)」と伝わる 弟がこのシンプルなゲームで合理的なプレイヤーに成り得ないなら もう少しゲームは複雑で何か他に変数があって「天気の話」をしてでも両親の話だけは「できないorしたくない」(続


だから行動原理は「вина[ヴィナー](罪悪感)」なんだろうなぁ…って


杉元と寅次の行動原理も「вина[ヴィナー](罪悪感)」でしょう?友情ではなく
自身の幸せが相手の不幸の上に成り立つという罪悪感
梅ちゃんは一切関係ない アドラーの「課題の分離」という意味でね
金塊は自身の禊ぎのためだけに必要で 治っても治らなくても覚悟は決まってたからどっちでも良かった


たぶん兄様はしっぺ返し戦略(応報戦略/Tit for tat)又はギブアンドテイクで 一つ質問に答えたらこちらも一つ情報を渡すをやるつもりなんだと思うけど…

弟は職業を選べるなら他にやりたい好きなことあったんだろうなぁ…


尾形の意思決定がゲーム理論的>
対母:「毎日『あんこう』なのは他の戦略(選択肢)がないから」と仮説を立て選択肢『鴨(自分)』を加えたゲームのモデルを提示する
母の選好は変わらない
だからその意思を尊重した(続


対父:母の逆
選択肢(戦略)HとYの二つがあり 何度ゲームを繰り返しても父の選好はYと確定している
でもこの場合「H<Y」なのは分かっても実際の利得がいくつかは分からない
例えHに100の利得価値があってもYが101なら…Hに3億の価値があってもYが3億飛んで1の価値があればHは永遠に選好されない(続


両者の利得が 300,000,000 対 300,000,001 なら誤差の範疇 選好されない方にも非常に価値がある
でももしかしたら 0 対 300,000,001 のような大差かもしれない
なにせ分かってる情報は「H<Y」しかない
では…(続


…では Hの実価値を知るには?
そう…選択肢(戦略)を減らせばいい

戦略一つのみのゲームがあり ゲームに参加さえすればそれを得られ プラスの価値があるなら 合理的なプレイヤーは参加する しなければHが『無価値』と分かる
…思考実験は頭ん中だけにしとこ?
これ勝手に百之助ゲームと呼んでる(続


父に会う:
受けても断っても
1)計画を知った以上自身の命も危険
2)罪悪感があれば 断っても苛まれ なければ受けても何も感じない
3)計画は進行し父の運命は変わらない

だから選好がどちらでも差はない
差が出るのは「話をする機会」を得るか否か
そして尾形は「合理的なプレイヤー」たろうとする(続


…ゆえに
ポンチョを着てのお使いもゲーム(交渉/駆け引き)に過ぎず「前金2銭 後金2銭」で両者がディールするかどうかだけ
感情で支配しようとする鶴見を始めとして 登場人物の誰ひとり尾形のゲーム理論を使った意思決定プロセスを掴めてない でもその方法論が真に本人にとって心地よい道具だったかは…


「ロシア文学らしさ」について「そうそうこれこれ」なの見つけた

>Русские — движущийся этнос с самосознанием оседлого.
⇒「ロシア人は定住民族のアイデンティティを持つ移動民族である」

(だからまぁ…有り体に言えば「本質的に侵略的」なんだけど…)


上記引用元:
Путь и дорога в русской ментальности и в древних текстах
『ロシア民族のメンタリティと古文書の中にみる「道」と「道」』
https://kizhi.karelia.ru/library/ryabinin-1999/213.html
(※リンク先ロシア語)


自分が抱くロシア文学への勝手な印象だけど「根を降ろそうにも 凍てつき 広大過ぎる大地を前に 何処にも根を降ろせず彷徨っている」「彷徨った挙句リングワンデルングして何処へも行けない」のを大前提に持ってる感じ


国の外はアナーキー(無政府状態)てのは言い換えれば「内には秩序がある」
でもあの大地は凍てついた広大な大地が故に 秩序をいくら確立しようとしても拡散し希薄で「内にも『無』を抱えている」
だから「内(≒内面)が恐い」

…あたりを「らしい」と感じてる


あと
ロシア語台詞(客観的事実)と日本語台詞(主観的事実)の差が「これだけある」と掴んだ上での103話
尾形がブツを持ってるからといって『やった』とまでは確定しない」となるよね?
ありゃどう考えても「一人では無理」
「話がしたい」からうさみんから「ブツを受け取って先に退去させた」可能性


「話をする」最初で最後のチャンスを掴みに行った
そんな選択させるなよ…と悲しい……


個人的には妻の名を正しく呼べたら生き地獄から解放される気がするんですけどどうですか?


私が金カムロシア語シリーズで使っている掘り下げ手法を提示しておきます
基本的に前シリーズ第2回で示した通り(国際関係論の所を除いて)です


ルールは一貫しており これが私の「頭ん中の物差し」になります


登場人物がどういう状況に追いこまれていたか(外的要因)を淡々と掘り下げていった結果 感情や心情が垣間見える瞬間があるのであって それらを直接覗くことはしてないんです(視点限界把握のためにも大切)

「心」はあくまで「見ること叶わぬもの」として扱っています


(この手法の結果「作品現在軸における尾形を駆動する外的要因は存在せず(本人が何と言おうと無いものは無い) 内的要因(≒実体のないもの⇒грех(罪)無きвина(罪悪感))を行動原理とする場合のみ その選好が合理性を持つ」としてるのが最終回のおまけ部分となります)

* * *

このシリーズを最初から読むなら下記マガジントップから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?