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愛って「ギブアンドテイク」なの?テイクが前提の愛は弱い

「私がこうしたんだから、あなたもこうしてくれるでしょ?」

「私がこんなに愛したのに、何であなたは愛してくれないの?」

人は人に対して、見返りを求めがちだ。

“恋愛は、ギブアンドテイクで成り立つ”

なんて一説もあるが、テイクが前提の愛、見返りを求める愛が、本当の愛だとは到底思えません。


テイクが前提の愛は弱い

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もちろん、感謝の気持ちからギブアンドテイクの精神を持つことは大切だと思う。

けれど、テイクが前提の愛は、結局相手への愛ではなく、自分への愛でしかない。

「私がこうしたら、きっとあなたもこうしてくれるでしょ?」

「私がこんなに愛してあげているんだから、あなたも同じでしょ?」

これは、テイクが前提の愛。

相手のことを本当に想う愛じゃなくて、自分のことしか考えていない自分へのエゴの愛でしかないと思う。

愛を相手にギブしたいんじゃなくて、自分への愛をテイクしてほしいのが本質になっている。

こういった見返りを求める愛は、相手のことを本当に考えた愛ではなく、自分のことを考えた愛でしかないですよね。

じゃあ反対は?

「あなたが私に対してこうしてくれた、だから私もこうする」

これは、相手がやってくれたことに感謝をしてテイクをしようと思う精神であり、自分からテイクを求めているわけではない。

ギブアンドテイクというより、テイクアンドギブというのが正しいのだろうか?

それをどんな言葉で表せばいいのかはわからないけど、これはこれでいいんだと思う。


見返りを求めない愛は強い

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テイクが前提の、見返りを求める愛なんかより、

「大好きなあなたに、私がこうしたいからこうする」

そういって送った愛の方が、絶対に相手の心に真っ直ぐ届くものなんだと思う。

例えその一生懸命の愛が届かず、相手が応えてくれなかったとしても

「私がそうしたかったから、そうしただけ」

そう思える。だからこそ、見返りのない愛こそが強いんだと思う。


愛にギブアンドテイクを求めてしまうのは人間の弱さ

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愛に見返りを求めてはいけない。そんなことはわかっている。でも、私のことをもっと見て欲しい、もっと構ってほしい、好きでいてほしい、愛してほしい。

好きな人に求めたくなってしまう気持ち、めっちゃわかります。

でも、それを求めてしまうのは、何でだと思いますか?

テイクを求めてしまうのは、本当に相手が自分を愛してくれているのか確かめたくなるから。

確かめて、返ってきたテイクの愛に安心したいから。

そうやって求めてしまうのは、人間の弱さなのかもしれないですね。


テイクを前提とした見返りの愛は、弱い

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「私がこうすれば、きっとあなたもこうしてくれるでしょ?」

「私が愛せば、あなたも愛してくれるよね?」

と、見返りの愛を期待したのに、相手からそれが返ってこなかったら?

それが何度も続いたら?

あなたのその愛は続きますか?

相手からテイクの愛が返ってこなくても、相手に愛をギブし続けられますか?

それを続けられるか続けられないかが、あなたにとっての愛の本質になるんだと思う。

「私はこんなにしてあげたのに、どうしてあなたはこうしてくれないの?」

「あなたも私と同じように愛してくれないのなら、もう知らない。」

これは、相手からの愛を強制的に求めているだけ。

テイクがないと消えてしまう愛。

結局、テイクを前提として見返りを求めた愛は弱い。


相手を本当の意味で“想いやる愛”が強い

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私が言いたかったのは、“愛はギブアンドテイクじゃない”ということではありません。

冒頭にも書いた通り、

「あなたがしてくれたことに対して、私も恩を返したい」

こういったギブアンドテイクの精神は本当に大切なことだと思う。

なぜならこれは、テイクを求めていないから。

テイクは求めず、自分がテイクをギブする意味でのギブアンドテイク。

言葉って難しいよね。ギブアンドテイクにも色んな意味があるから。

つまり言いたかったのは、テイクを求める愛は、愛との本質とは言えないんじゃないかな…ということ。

本当の意味で“相手を想いやる”ことこそ、愛なんだと思う。自分を想いやるんじゃなくて、相手をね。

愛はたぶん、ギブアンドギブなのかも。

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