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私のサマーウォーズ
今年も夏がやってきた。
私は本来なら夏が好きだ。
好きなイベント、花火大会、夏祭りは全部夏に集中しているし、浴衣を着付けることも好きだ。
暑さには弱いし暑いのは嫌いだけど、むわりと湿ったぬるい空気をエアコンと扇風機で割り開き、その風に吹かれながらガリガリくんを食べることは人間の嗜みだと思っている。
夏の浜辺にテントを張り、くたくたになるまで荒波に揉まれボディボードをして遊んだ後、ぬるくなったスポーツドリンクを飲みながらテントの陰で昼寝をする。耳元には常にドーンドーンと吠える波の音がするのが何よりの癒しだ。
汗だくになりながら茹でるそうめんを、氷の足りないぬるい麺つゆで啜るのは生きる喜びとさえ言える。
蚊取り線香の匂いは、蚊取り線香を使いたがらない両親のもとで育ったにしても私に故郷の田園風景を思い出させる。
蝉の声は──これだけがいただけない。
私が何故夏を憎んでいるか。
蝉がいるからだ。
蝉が木に止まってミンミンミンミン鳴いているだけならまだ風情というものだろう。
あいつらは飛ぶし、ぶつかってくるし、何より落ちている。道端に、マンションの階段に、家のドアの前に。
私は「びっくりすること」が嫌いだ。
お化け屋敷もホラー映画も嫌いだ、クラブやライブの爆音の音楽でさえ耐え難い。
この世で一番突飛なのは私であるべきだし、この世で一番大きい音を出すのも私であるべきだ。
私は穏やかに、平和に、あるがままの私を享受したいので。
去年の夏だった。
私は友人であるモカちゃんと、モカちゃんのお友達である女の子二人と遊んでいた。
深夜十一時の歌舞伎町を私だけ先に後にするところで、それは千葉県に住む私の終電の時間に起因していた。
「え今日泊まりじゃないの」
モカちゃんはびっくりした声を出す。何カラットかもわからない大きな目が私の荷物を見てから、私を見た。
「違うよ。どこ泊まるのよ」
私は笑って、膨大な量の荷物の入った鞄を揺すり上げる。
「いや荷物大きいから」
「殺虫剤がふたつ入ってる」
「何のため」
モモちゃんは煌びやかな美少年のような女の子だ。彼女はベラスケスの描いた幼い王子様のようなくりくりの目元をこちらに向けてちょっと笑っていた。黙っているとおしゃまなのに、笑うと急に親しみやすくなるのだ。
「ひとつはゴキブリ用。もうひとつはハチノック」
「蜂?家のあたりに巣でもあるの?」
「いや、蝉に一番効くらしい」
私が真剣な顔をして「じゃあね」と手を振れば、ヒノちゃんが「お疲れ様です」と静かに会釈した。その立ち姿だけで白檀の香るような静謐な、しかしびっくりするくらい男前の女の子は、話していてとても優しいことがわかった。
「本当に嫌いなんだね」
モカちゃんが斜め上に感動したように呟いて、手を振る。私も一度会釈をして店を出た。
──嫌いだとも!
そう、具体的に話したように、私は常に殺虫剤を持ち歩いており、特に夏場はゴミ出しに行くにもハチノックを持ち歩くほど蝉が嫌いだ。
歩いていて、近くを通りかかっただけで突然暴れまわられるのなんて最悪だし、家のドアの前で蝉が力尽きていれば泣きながら友達に電話する。
友達のアサミちゃんなんか、彼女が友達と遊んでる時に私に電話をかけられて、私が蝉を駆除して安全な我が家に入るまで通話に付き合わされている。
それこそシャカちゃんとユンちゃん、トモちゃんやチカちゃん、私の仕事の同期でもあるミサトちゃんとみんなでカラオケに行く日、部屋のドアの外に蝉が落ちており、私は泣きながらトモちゃんに電話している。
ユンちゃんは「めぐるもう来れないかと思った」としみじみ言っていたが、どうやったのだか何とか部屋を抜け出して会場に向かっている。
どうしても思い出せないのは、きっとそのときの記憶があまりに辛く苦しいものだからだろう。ひとの脳には防衛機能があり、あまりにショッキングなことは忘れるようにできているのだ。
私はいつから蝉が嫌いか。
本来蝉取りをして遊ぶ年齢のときから既に蝉が嫌いだった。
私の、幼稚園から小学五年生で転校するまでの間の友達に、ハルちゃんという女の子がいる。
ハルちゃんはカリカリに細くて化け物みたいな体力があり、クラスの男の子と木登り対決をしても勝てるぐらいの膂力がある女の子だった。
ひとりでいれば家に引きこもって本ばかり読んでいた私が外遊びをよくしたのはハルちゃんの影響だ。
さて私が幾つの頃か、ハルちゃんと私は暑い夏の日、公園の木陰、道なき道を歩いていた。秘密基地に向いた場所を探していたのだ。
当時私はS町という千葉県内でもなかなかの田舎に住んでおり、秘密基地を作れる場所は無数に存在したが、だいたいは大人が見つけた途端に危ないからと取り壊された。
ジリジリと蝉の声と強い日差しが木々の間から覗いて肌を焼く。風の音と葉ずれ。同じマンションに住んでいるパピーちゃんというダックスフンドがお姉さんに連れられて散歩していた。
「あった!」
ハルちゃんは徐に叫んで屈んだ。私は何事かと見やり──
「プレゼント!ブローチだよ!」
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