悪魔に人生を売り渡したら
私が某私立大学で学んでいたのは二〇〇九年の四月から二〇一一年の四月にかけてで、私が最初大学を辞めたいと言った時、父は「まずは休学をしなさい」と言った。
「働きたいなら働けばいい。但し半期休学すること。それが条件だ」
そう言った父の顔を、私は覚えていない。きっと顔を見ていなかったのだろう。
中退を希望した理由は、とどのつまりイジメだった。
「前の彼氏と別れてから一ヶ月も経たないで新しい男を作り、そいつと幸せそうにしている。祭めぐるはビッチだ」。
クラス編成の強い狭い学科内で噂はコンマ二秒で広まった。
私がお弁当を食べに入った教室からは女子が一斉に立ち去った。
二人組作って、で組む相手は一人もいなかった。
男の子たちが気にして「でんさん(私はでんさんと呼ばれていた。デンジャラスだからデンだ)こっち来る?」と声を掛けてくれるのも惨めだった。
元より入学当初から浮いていた。
県内屈指の私立の進学校から迷い込んで来たようにも見える女の子は致命的に空気が読めなかったし、そもそも私は当時、「空気を感じても読んでやる必要性に応じる」ということに絶大な屈辱感を抱いていた。
青く愚かな女の子は両親の離婚を控えた難しい家庭で傷付き続けていたし、母と喧嘩をすれば目元を真っ黒く塗り潰した化粧をして学校に行った。
「てかあれお前のことじゃんね」
友達のギャルは、とある授業の講義で派生した先生の雑談を聞いてそう話しかけてきた。
もう十年以上前にサラッと聞いただけのことなので内容は完全にうろ覚えなのだが、何処だかの実験で出た結果で、家庭環境にストレスのある女の子は目元を黒く塗り潰す化粧をする傾向にある、とか何とか、そういったことを先生は話していた。
ギャルの口調に嫌な感じはまるでなかった。
ギャルは私の数少ない理解者のようなものだった。
登校中も、放課後も、いつだってつるんでいた。
結局のところ、私へのイジメはギャルと私が仲違いしたところに、元々私のことが気に食わなかった他の女の子たちが便乗して叩いて来たのだ。
「あの時は私が周りを巻き込みすぎた」
後日私にそう話してくれたギャルとは今は連絡は一切取っていない。だけど彼女はきっと幸せにやっているだろう。
イジメで中退なんて誰にも言えるわけがない。
私はそれらしい理由をたくさん論った。
「働くことが好きだから」、これは嘘ではない。
「結婚したい相手が高卒なのに自分は大卒なのは生意気だから」、そんなわけがない。生涯の世帯収入を考えるなら院進までして良いくらいだ。
「元々勉強嫌いだったし」、これも紛れもなく本当のことだった。
大学在学当時、或いは高校生の頃中学生の頃、私はもう二度と勉強なんかしないと心に誓っていた。
中学受験のための勉強でのしごきに耐えかねて、「勉強」という行為そのものを敵対視していたのだ。
私にとって勉強は寝かせてもらえないものだったし、怒鳴られるものだったし、殴られるものだったし、何より私がおそらく生涯抱えて生きるであろう持病の原因になったものだった。少なくとも、私の持病はそれによるものだと当時の私は信じていた。
両親や学校の方針上、高卒で就職はありえない。
それでも私は大学入試センター試験前であっても私は碌々勉強せず当時入り浸っていたチャットルームに顔を出していたし、入学後であってもまともに勉強をしなかった。
しかし私にも好きな授業というものは存在した。哲学の授業だ。
確か一番最初の授業だった。
先生が、古代ギリシャ語で『イリアス』を暗誦したのだ。
そのときに私はその授業に恋をした。
先生が授業の題材として出した本は片端から読んだ。
「好きだねぇ」とクラスメイトは嫌な感じに笑った。
時代は平成中期、頑張ることは格好悪い時代だったし、何より私のような道化の成れの果てが何かに夢中になっていることは彼女たちの癇に障ったのだろう。
今になれば「何か問題ある?」と言い返すことはできる。その胆力くらいは加齢だけで身に付けた。
しかし当時の私にはそれができなかった。ただ馬鹿のふりをして明るく笑いながら「好き!」と言うことしか出来なかった。
人間は馬鹿のふりをしているとどんどん馬鹿になる。
この説はどうやら本当のことらしく、私は当時読んだ哲学書のことを何も覚えていない。何なら大人になってから読み直した内容もいまいち覚えていない。人は少しの期間でも馬鹿のふりはしてはいけない。
当時、読んだ内容を、賢人たちの思想を知ることができたことが嬉しすぎて嬉々として甲高い早口で当時の彼氏・後の夫・現在で言うところの元夫に語り聞かせたが、彼は「何もわかんねえな」と言いながら私の話を遮ってゲームの話をした。
入るゼミを決めるところまでは在籍していた。
哲学のゼミに行かないわけがなかった。
卒業論文をシュティルナーの『唯一者とその所有』で書くことも決めていた。
本を読み始めた頃、糸が切れたように退学を決め、冒頭に至るのだ。
休学中であることを隠して働いた不動産管理会社でもお局様にいじめられた。二十歳そこそこの小娘相手に、靴の値段でマウントを取ってくるタイプの女性だった。
次に働いたコールセンターは少し続いた。
上司も現場のリーダーも可愛がってくれて、しかし体調が常に悪く休みがちな私は、そのリーダーの退職と同時に引き摺り下ろされるように避けられた。要は、リーダーがずっと守っていてくれたのだ。
居場所は何処にもなかった。
否、あった。彼氏と同棲を始めたばかりの家だった。
彼は尋常ならざる見栄っ張りで、同棲直前に私をホテルオークラのジュニアスイートでのお泊まりディズニーに連れて行ってくれるほどに計画性がなかった。
我が家は常に金がなかった。
金を作るために本を売った。
実家に帰り、大事にしていた児童文学を売った。
大事にしていたライトノベルを売った。
大好きな作家の小説だって売ったし、哲学書も売った。もちろんその中には『唯一者とその所有』も含まれていた。
あの本を売ると同時に、私は自分の人生を悪魔に売り渡したのだと思っている。
悪魔に売り渡した人生はちなみにこうなった。
興味が湧いたら読んでみてほしい。
あの日悪魔に人生を売り渡していなければ、私の人生はどうなっていただろうか。
『唯一者とその所有』を読み切り、論文を書き上げ、先生から散々な指摘を受け書き直し、それも更に指摘を受け書き直し、そうやって「知る喜び」を磨けたかもしれない。
例えば。
例えば今、それを取り返そうとして、私が後年『ニコマコス倫理学』や『怒りについて』を買い直したように『唯一者とその所有』を買い直し、ひとりで論文を書き上げたとして。
精査してくれる先生はいないのだ。
私は大人になってしまった。碌でもない大人だ。
学も無ければ金も無く、健康さえも持たない。
つまり、大学に通い直すことができない。
父に言えば、彼は祖父に似て勉強というものを最重要視している、きっと大学の学費を出してくれるだろう。
しかしそれに応えられる体力や健康を私は持っていない。
悪魔に人生を売り渡したツケとして、奪われてしまったのだ。
さてしかし、この話にも救いはある。
放送大学、きっと誰もが聞いたことがあるだろう。
あそこは授業の一コマ単位で学費を払うことができて、学校に赴かずとも授業が受けられ、レポートやらテストやらを経て勉強を完了することができる。
カリキュラムはどれも魅力的で、「一番好きなものを選んで」が出来ない。
私は曲がりなりにも文筆家を名乗っている。文学賞を総なめにするタイプの作家になりたい。
そうなると知識が無いことは売れないことに直結してくる。引き出しが無いからだ。
放送大学で知識を身につければ、ひとつひとつ拾い上げて身に付けていけば、何か引き出しが増えるかもしれない。
私が本を買い直したように、売り渡した人生を買い直せるかもしれないのだ。
──まあそれまでにも越えなければいけない壁はたくさんある。
私は今、父の経営する税理士事務所で働いているが、父が死ねば仕事にあぶれる。
父が死んだとして仕事にあぶれないように、簿記の資格を取れるだけ取らなければならない。作家一本で食べて行かれるほど世の中甘くないからだ。
勉強だ!あの勉強が立ちはだかっている!
私は物事を「教えられたように」しかできないので、自分を追い込む形でしか勉強が出来ない。
今絶賛、自分に追い込まれて体調を崩し、勉強どころではなくなっているところだ。
好きな勉強をするためにも、大好きな文筆にうつつを抜かすためにも、早く回復しなければいけないのは確かだ。
私が人生を買い直せる日はいつになるのだろうか。
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