【環境】という名の恐怖と奇跡〜赤毛のアンに学ぶ親の責任〜
あなたはどんな【環境】で生まれただろうか?
親はいる?
片方?両方?
おじいちゃん、おばあちゃんは?
家は裕福?貧しい?普通?
都市?町?村?
海辺?平野?それとも山?
兄弟姉妹は?
一人っ子?
ペットは?
子供にとって、生まれた環境は大きな影響を及ぼす。
親が子にしてやれることは、もしかしたらたった1つなのかもしれない。
【いったいどんな環境を与えれるか】
今夜は【育つ環境】についてL・M・モンゴメリの名著『赤毛のアン』から考えを巡らしたい。
赤毛のアン〜Anne with "E"〜
Netflixで人気が出たのだろう。
『Anne with "E"』がNHK総合で毎週日曜23時〜放送されている。
妻がきっと好きだろうと思い、録画してみたのだが、思いのほか、私自身が妻と共にのめり込むように見てしまっている。
原作もさることながら、役者、脚本、演出、そして音楽のどれもが私たちの胸をグッと掴んでくる。
孤児というレッテル
アンは親のいない孤児(みなしご)だ。
孤児院に預けられたものの、他の孤児たちからいじめられる日々。
生きたネズミを無理やり食べさせられたことさえある。
小間使いに誰かの家へ雇われても、そこでも家畜同然の扱いを受ける日々。
叩かれ怒鳴られ、どれだけ尽くしても喜ばれることはなかった。
アン唯一の幸せは、アン自身の妄想の中にだけ。
そしてその妄想を支えるのは、読書。
本で紡がれる様々な言葉たちが、アンの妄想という世界にカラーを与える。
少女の夢
そんなアンにも1つだけ夢があった。
『誰かの家の子になりたい』
親を持つこと。
家庭を持つこと。
あなたにとっては当たり前かもしれない、そんな【普通】がアンには無かった。
夢になっても不思議ではない。
手違いという奇跡
ここに、子供を宿すには歳を重ねすぎた兄妹がいた。
カスバード兄妹。
兄はマシュー、妹はマリラ。
二人とも未婚で、子供がいなかった。
牧場経営を引き継げる子供を欲していた。
世話好きの知り合いに頼んで
「孤児院から男の子を養子に」
と頼んだのだが、手違いから迎えたのが、少女アンであった。
葛藤の末、カスバード兄妹はアンを養女として一家に迎え入れることにした。
妄想の1つが叶った。
アンは親を、家庭を手に入れた。
学校と言う名の【拷問】
今も昔も人の心というものはあまり変化していない。
裕福な者は自らより貧しい者を、なぜこうまでに蔑(さげす)まなくてはならないのか?
そうやって下に見、扱うあなたの心ほど貧しいものはないと言うのに。
アンは始めての学校に浮かれていた。
しかし、学校では孤児というだけで、名前すら呼んでもらえない。
それどころが、「汚い犬」呼ばわりされてしまう。
【学校】という慣れない環境に、必死に適応しようとするアン。
『早く仲間に入れてもらいたい』
その一心から話した経験談は、学校に通えるランクの人々から【下品】と酷評されてしまう。
それもそのはず。
アンの話した内容は、男女のSEXの話題だったのだ。
【環境】親の責任
アンがクラスメイトに話してしまったSEXの話題は、村中に波紋を呼んだ。
「あのアバズレは私の子に悪影響を及ぼす」
養母のマリラはその言葉に打ちのめされていた。
かたや養父のマシューは哀しんでいた。
「あの子はまだ知らなくていいことを、あの歳で知ってしまう、そんな環境にいたのだ。」
アンが今まで通ってきた、辛い人生を哀しんでいた。
親がいないというだけ。
それだけで味わう必要ない幼少期を過ごしていた。
たらい回しに住まいを転々とし、
こき使われ、
いじめられ、
時に叩かれ殴られ、
見たくもない、聞きたくもないものを体験してきた。
親が、そして今までの親代わりが与えてきた環境が、アンにさらなる試練を与えていた。
里親を目指すに当たって
私はシングルファーザー(父子)家庭に育っています。
母親は私が1歳のときに蒸発しています。
片親だっただけでも、思春期に大いに迷いと葛藤を生みました。
両親ともにいなければ、その子が経験する迷いと葛藤はどれ程になるだろう?
私たち夫妻の夢の1つに【里親】があります。
不思議と結婚する前から、お互いに関心があったんです。
養父・養母となる。
それは親がいない、家庭を持たない子供にとってかけがえのない環境を与えることになるのではないか?
そして孤児がぶつかる迷いや葛藤の受け皿になることができるのではないか?
そう、今は感じています。
子育てという"おたすけ"
人の子を育てることほどおたすけはない
天理教の教えの1つにそんな言葉があります。
なぜ『他人の子を育てること以上のおたすけはない』のか?
人たすけたら我が身たすかる
とも教えられるように、人を助けることは最終的に自分の成長に直結するからではないでしょうか?
なぜ成長に直結する?
それは人の悩みが深ければ深いほど、助ける道中で共に悩み、苦しまねばならないから。
筋トレと同じだと思うんです。
人の心も負荷がかからねば鍛えられない。
子育てとなれば、なおさらのこと。
子供が悩み苦しんでいるその壁を『乗り越えさせたい』と、親も共に苦しむ。
少なくとも私はそう在りたい。
それは里子であれ同じだと思います。
その里子がぶつかった壁や葛藤を共に苦しみ、悩み、時に発狂しそうになるくらいストレスを感じることもあると思います。
しかしその、共に思い悩むというのが、里子にとってかけがえのない環境なのではないでしょうか?
共に歩む『親』という存在
親は子供にとっての伴走者。
ひとり立ちするまで、一緒に悩んで楽しんで歩む。
ひとり立ちしたあとは、子の背中から
「いつでも見守ってるぞー!応援してるぞー!辛くなったら帰ってこいよー!」
と叫び続ける応援団。
アンの養父母になったマシューとマリラを見ていると、『親』という環境を与えることの大切さを、ひしひしと感じてしまいます。
あなたは子供たちに、どんな環境を与えていますか?
親のない子に親と家庭を提供する。
その環境で育った孤児が、我が子を育てるときには、その連鎖が断ち切られることを信じて。
追伸
中規模里親事業『ファミリーホーム』認可待ちの先輩里親さんから
「認可が降りたら補助員になってくれないか?」
と打診を受けました。
私もまずはそこから始めたいと思います。
認可が正式に降りますように☆