老いらくの恋
「荒地の恋」ねじめ正一著 文春文庫/「コーヒーと恋愛」獅子文六著 ちくま文庫/「悲しみよ こんにちは」フランソワーズ・サガン 新潮文庫/「蜜のあわれ・後記 炎の金魚」室生犀星著 講談社文芸文庫/「つゆのあとさき」永井荷風著 岩波文庫
「荒地の恋」については以前にも書いたが、一緒に公開した「あちらにいる鬼」はどうにも好きになれなかった。なのでもう一度この本を含めて想いやることにした。
「荒地の恋」の明子、「コーヒーと恋愛」のモエ子、「悲しみよ こんにちは」のセシル、「蜜のあわれ」の金魚、「つゆのあとさき」の君江。
いずれも懸命に自分の人生を生きて、中老年男の残滓のような世界を華やかで艶やかでそれでいて哀しみの色に染めながら愛していく。そんな女性が世の中にはたまに存在する。彼女らは中老年男が持て余す性を笑顔で掌に乗せて、息を吹きかけたり、口に含んだり、撫でさすったりして、益々自らの性を輝かせるのだ。淫蕩さも男に振り回される哀しみも、ただひたすらに愛おしく、美しい。
「そうかい、人間では一等お臀というものが美しいんだよ、お臀に夕栄えがあたってそれがだんだんに消えてゆく景色なんて、とても世界中をさがして見ても、そんな温和しい不滅の景色はないな、ー」(「蜜のあわれ」)
「男って奴は、どいつもこいつも、コーヒー好きのイヤシンボで、エゴイストで、あたしのコーヒーが目的で、結婚しようなんて、いい出すんだわ。誰が、その手に乗るもんか!」(「コーヒーと恋愛」)
「愛によって知った、肉体のとてもリアルな快楽のほかに、それについて感考える知的な快楽というものも、わたしは感じていた。」「詩的な抽象概念の<愛>ということばに、実際的で現実的な<しあう>ということばが結びついているのが、すごくすてき。」(「悲しみよ、こんにちは」)
美しい性愛などという季節からはるかに過ぎ去ってしまった老年の男がこのような本を慈しむなんて、ちょっと気持ちが悪い、と思われるだろう。
だが、性と燃えるような情熱は生命のこと切れるまでその人のどこかに燻り続けるのだと、密かに思っている。