第12話 告げられた真実
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呼び出された通り、放課後の音楽室に1番乗りした私。富岡先生が語りかける。
「キミは教会でも歌ってるんだよね?
前に話してくれたよね?」
「はい、そうですよ。」
「昼休みに有志で歌って、放課後には合唱部で
歌って、日曜日には教会で歌ってるのか。
歌いっぱなしだな!本当に歌が好きなんだね。」
「はい!大好きです!」
「そうか…。キミが歌を好きになってくれて、
とても嬉しいよ。」
「渡したいものっていうのはこれのことなんだ。」
「『もうひとつの 南風』…?」
それは、B4用紙10枚分にもなる、富岡先生からの手紙(手記)だった。
「この手紙はね、大切な生徒に渡しているんだ。
お家に帰ってから読んでね。」
「? はい…。」
間もなく、少ないながらに合唱部の女子メンバーたちが集まり始めた。
「手紙、きっといつもの学年通信みたいに
アツい思いがこもってるんだろうな。
帰ってゆっくり読むかな。」
この日も、たくさん歌ってから帰った。
この日も、富岡先生は「また明日」って言ってた。
「今日も楽しかった…。
どんなことが書いてあるんだろう?」
自室で『もうひとつの 南風』を読む。
そこには…
・富岡先生が高校を卒業してから、2浪を経て大学の芸術学部に合格するまでの険しい道のり
・その後、教員として赴任して間もなく病魔に蝕まれ、壮絶な闘病生活の中で「南風」が出来ていったこと
などが綴られていた。
「そんな辛いことあったんだ…
どおりで歌詞の中に"つらいこと""苦しいこと"
って出てくるわけだよな。」
俺にとっての富岡先生は、アニキで、親友で、
お父さんで、先生で、師匠なんだ。
先生のことは他人事ではない。もはや自分事なんだよ。
だから、先生がいまの合唱部の中で、私にだけ
『もうひとつの南風』を渡してくれたことが、少し嬉しかった。
みんなの知らない富岡先生を、私にだけは教えて
くれたような気がして。
けれど…
嬉しいだなんて感情は、読み終える頃には消えてしまっていた。
最後の1ページに、私はゾッとする1文を見た。
「残念なことに医者から言われた3年の期限まであと半年というところでぼくの病気は再び悪化しました。でも、ぼくはもう負けない。どんなことがあったって、強く生きていける自信があります。」
(『もうひとつの南風 (10-終)』富岡博志 より)
え…?富岡先生の病気…治ってないってこと?
それって、富岡先生が、いつまた悪化して、いつ死ぬとも分からないってことだよな…?
なんせ、(あえてこの場には書かないが)あんなに辛い治療をしないといけない病気なんだから…。
そんな…そんな話、出会ってから1度も…聞いてねぇよ…!?
「確実な治療方法も見つかっていないような、"難病"に指定されている」
(『もうひとつの南風 (8)』富岡博志 より)
んだろ?
そんな大変な病気、完治してないのに、
学校にいていいのかよ…?
これは、どんな感情?
心配?悲しみ?憂い?悔しさ?不甲斐なさ?
情けなさ?恐怖?虚無感?喪失感?
なぁ、神様よ、俺は何のために今日まで
「神を信じなさい」って言われてきたんだ?
俺の大切な人が病気なんだよ!
治してくれよ…。
声が枯れるまで、歌が…祈りが必要なのか?
もう俺の声なんか出なくなってもいいからさ…。
もう他に、どんな願いも叶わなくなったっていいからさ…。
だから…、先生を治して欲しいって願いだけは叶えてくれよ!
富岡先生は俺たちに必要な人なんだ。
富岡先生は、声も、仲間も、居場所も、歌も、合唱も、音楽も、ステージも、感動も…
俺たちのために作ってくれた「遙かな季節」も…
全てをくれた人なんだよ!
富岡先生だけは…勘弁してくれよ…。
こちらを見ながらニタニタと笑う悪魔に、
心臓を握られているような怖気がした。