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シナリオ仲間なんていらない…?

数年前に閉館した「キノシタホール」という名古屋の名画座に、ちょっとした思い入れがある。

建て替えておしゃれになった外観写真はネット上にたくさんあるけど、馴染み深いボロビル画像はどこにもなく、ウィキペディアでも提供を呼びかけられてるほど。

キノシタホールでは数年間、毎週水曜日の夜にシナリオ教室を運営していて、当時相当なワーカホリックだった私はほぼ終電まで仕事してたけど、水曜だけは定時ダッシュしてた。

座学からいきなり二時間脚本書けた人だけが発表する形式で、辞めた人含めて50人くらいいたけど一本でも書けた人は10人もいなくて。コンスタントに書けた人は私入れて3〜4人だった。

最初はみんな仲良くて、終わった後で今池のデニーズでおしゃべりするのが楽しみだった。休みの日もみんなで映画やお芝居見に行くようになった。

座学が終わり執筆になると、空気が変わった。書いてる人やコンクールに出して予選通って名前が載る人がアウェイになっていった。

「○○ちゃんが書けないって悩んでるのに、毎回書いてくる美香ちゃんは思いやりがない」と詰められたこともある。

生徒やスタッフのかっこいい男子が目当ての子もいて、彼らと普通にシナリオの話してただけなのに「あの娘が○○君を好きなの知ってるのに、美香ちゃんは配慮がない」と詰められた。

「シナリオ書いて話に入ればいいじゃん」と言いたかったけど、それを言ったら炎上不可避なので、さすがの私も言わず。
ストレスでしかない、と行かなくなった。

それから10年くらいして受賞して短編映画になった時、一人だけ連絡取ってた子に話したら、披露試写会に皆で来てくれた。
皆、もう創作もやめて結婚したり落ち着いて、特に思うこともなくなったみたい。
うれしかったけど「シナリオ仲間なんていらない」と、私は人間を信じられない野良犬のようだったと思う。

さらに年月を経て上京することになり、前に通信講座受けてたシナリオセンターに通うようになったけど、クラスメートとは無難に当たり障りなく接していた。

当時は土曜午前クラスで終わるとすぐ茅ヶ崎に戻ってフラレッスンに行ってたから、よく聞く「毎週飲み会」なんてこともなく。

「シナリオ仲間が大事です!」のスローガンは聞こえないふりをして、コロナ禍になり先生とマンツーオンラインのことも。

先生「シナセンの仲間は一生ものだよ。シナセンに友達いないのはもったいないよ」
私「この状況でどーやって友達つくるの?(面倒なだけだから、シナリオ友達とかいらないし)」

それから順調に進級して、ただ目標に向かって前向きにやるべきことをやっていた。
すると次第に「仲間と呼んでいいの?」という人たちに恵まれるようになっていった。

特に仲間を作ろう、友達を作ろうとしてたわけじゃないけど志同じ人と交流して、私が綺麗事と思っていた「高め合う」なんてこともできている気がする。

所属したコミュニティにも恵まれたと思う。誰かが受賞したり活躍すると、心の底からおめでとうな人たち。

なんとなく情報交換に活用していたTwitterでも、同じコンクールに参戦する人たちとコメント交わすうちに何人かの人たちと会って、交流や相談の輪になってきた。

「コンクール出す人がアウェイ」と真逆の「刺激を受けて自分も出そう、みんなも出そう」なコミュニティになってる。積極的に参戦すれば、もう仲間な感じ。

一人で集中するのが向いてる人もいるし、コミュニティ間違えるとノイズに振り回されるし、そもそも創作は「結局自分」だから、今でもすべてのケースで「仲間が大事」とは言い切れないけど。

でもキノシタホール閉館時には、ほろ苦いつらい思い出がよぎったのに、映画やお芝居を見に行ったり、試写会に来てくれた仲間たちをポジティブに思い出せるようになったかも。

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