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僕が靴磨き屋さんとして働くまでの話

靴磨き屋さんになるまでに

洋服屋さんで働いていました。
23歳から、33歳にGlayage KYOTOとして創業する年まで。

洋服屋さんで働きたい!!という強い思いが


あるわけでもなく
あくまでひとつの選択肢として考えていました。

少し昔話をします。

漠然と。


大学を卒業してから新卒での入社のタイミングを逃し
(バンド解散した頃には就活が終わっていたという悲劇..)
その時働いていた某"しるし"の無いという名前の大手ショップにて
家具の販売を担当しており
その流れから、インテリアショップで働きたいなぁなんて
漠然と考えてました。
そのインテリアに興味をもったきっかけも
友達の家にあったインテリアショップについて描かれていた漫画。という
なんともふんわりとした考えで。

学生時代は例にも漏れず
おしゃれなカフェが好きだったり
インテリアショップ巡りに行ったり
やれイームズだのパントンだの言いながら
大学生ってこんな感じでしょ?みたいな教科書を読んできたかのような
生活を送ってきたわけですよ。
実際の学生時代が充実してたかというと、それも教科書通りです。
周りの陽キャを羨む、かといって孤高にもなれないような
その中のひとりです。

ただ漠然とした理由でインテリアショップで働きたいってなったのですが
京都にはなかなかお店がなかったというか
面接が苦手な僕の特殊スキル、お祈り申し上げますが発動し
よりインテリアショップの分母が多い大阪に行くわけです。
そこでも特殊スキルは発動するのですが
なんとか1社だけ、受け入れてもらえることができました。

なので、生まれ育ちは京都なのですが
実は1年間だけ、大阪に住んでたんですよ。
ここからインテリアショップの店員さんとしての人生がスタートする!
と思いきや、自身の怠慢な生活が原因で体調も崩し
経済的にも困窮して、すぐに京都に引き返すことになります。
それがこの1年間。短い大阪生活でした。

ホントはめちゃくちゃ濃ゆい1年間だったのですが
本題とはズレてしまうのでこれくらいにしておいて..

時給じゃなくて、月給になりたくて。

当時のインテリアショップでは
アルバイトだったんです。なのでどうしても生活が厳しくって。
このままではいかんな、と焦りはじめ
決まったお給料をもらえる正社員を目指すことになるのです。
いや、アパレル全然関係ないやんという話なのですが
まさにその通りで、まずはインテリアショップで正社員雇用してそうなところに
片っ端からアタックしていくのですが
・・・無いんですよ。本当に。
だいたいがアルバイト雇用からスタートして
いずれは正社員に、という話なのですが
それだったら在籍していたインテリアショップと変わらんし
転職する意味もなくって。
かといって正社員として受け入れてくれるところがあったと思えば
”コントラクト営業の経験はありますか?”って聞かれたりして
コントラクト?ん?みたいな。
門前払いでした。

当時何のスキルも持ってなかった自分には
正社員になれる仕事なんてなかなか無くって
面接にすら辿り着けない
インテリアショップは、この時に挫折しちゃったんですよね。
これがひとつの転機でもありました。

盛大な勘違いを本気に。

じゃあ、どんな仕事なら正社員になれるのかしらと
興味あったことを思い返してみたときに
オシャレすることが好きだった自分に
アパレルって可能性あるんじゃね??てなったんです。
学生時代、バンTばっかり着てた自分が。
靴はVANSしか履いてなかった自分が。
セレクトショップで買い物するなんて数える程度しかしたことない自分が。
オシャレが、好きだと。
アパレルで働く、可能性があるだと。
とんでもない勘違いですよ。
でも実際正社員雇用から受け入れてくれている会社も割とあって
この業界しかない、と思い立ったんです。

思い立ってすぐに働けたかなんて、そんなわけもなく
またお祈りの嵐。特殊スキル発動です。
書類審査で落ちて、面接で落ちて、書類で落ちて
面接で鼻で笑われたりなんかして。
理由は後々になって分かりました。
僕、めちゃくちゃダサかったんですよ。
アパレルの書類審査で、スタイリングの写真を送るんですね。
そら落ちるんですよ。書類で。
写真を送らなくても良い会社で面接をした時にも
”弊社の洋服は好きですか?”という質問に
着てます!好きです!ほら、このロンT!みたいな。
鼻で笑われるのも無理ないです。

オシャレするのが好きなだけで
オシャレではなくって
洋服についての知識も皆無。
受かるわけないんですよ。

洋服のことを書かない、洋服屋に向けた履歴書

あぁ、アパレルも諦めるしかないのかな
ってなった時に
最後に受けたブランドがあったのですがそのブランドは
洋服が好き、というよりかは
空間が好きだったんです。
インテリアをかじっていた自分にとって
什器の配置や高さのバランス
そしてすこし香るアンバー系の香り。(当時はアンバーなんて知らない)
BGMは無くって、足音やハンガーのカチャンという音がBGMだったりして
何このお店。かっこよすぎやんけと思ってて
こんな空間で働いてみたいし
自分もそのお店のおりなす空間の一部になりたい、と
その思いを書類に書いたんです。
洋服の話はほぼ書かず。だって知識無いから。


受かりました。


なんで?ってなりましたけど
そこはもう、ラッキーとしか思えなくって。
理由は実際働いてみたらなんとなく分かったのですが
その時は知る由もないわけです。

やったーーー!!!
正社員になれる!!!
って思ったのも束の間

また連絡が来て、すみませんやっぱり保留でも良いですか。と。
元々最終候補にまで上がっていたみたいなのですが
どうやら別の方が先に決まってしまったみたいで。
受かったっていう連絡は、最終候補まで来てます、という連絡でした。

傷心旅行

もうこれでほぼ、心は折れまして。
アパレルは諦めて、インテイリアショップで地道に探して
ぼちぼちやっていこかな。ってなってました。

そして数ヶ月の時が経ち、8月。
学生時代に仲の良かった友人たちと
軽自動車で九州に行くという無謀な旅行をしていました。
西に行きたい、という謎な理由で。
その時天気が悪かったにも関わらず阿蘇山に行きたい!てなって
なんだったら雨も降っている最悪なコンデイションで
阿蘇山の山頂に辿りついたんですよね。
そんな時、電話が鳴りました。

9月から、働くことは可能ですか?

この時ほど、外と心の天気が真逆になったことはないです。

ここで天気・・いや、転機をむかえます。
続く。

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