村上春樹の神宮外苑前再開発の反対から学ぶこと→小説家はやはり大したことがない件について
村上春樹という人間は現在の日本では最高峰の小説家ということについてコンセンサスが得られているように思える。
ちなみに自分は一度も読んだことがない。
まあ村上春樹の小説を一度でも買った人は日本で5%くらいいるかもしれないけれど、最後まで一冊でも読んだ人は1%もいないと思うから、自分はマジョリティだとは思うが。
さて、「お前は村上春樹のことが嫌いなのか!」
という批判を受ける前に言い訳をさせてもらいたい。
村上春樹にはあまりというか全く興味がないし、恨みもない。
あくまで本日の本題のための例として取り上げさせてもらった。
村上春樹という小説家が日本で……いやひょっとしたら、世界で最高峰の文学家(しかもエンタメ作家ではなく)というコンセンサスが得られている人物だから、本日の題材にふさわしいと思い、上げさせてもらっただけだ。
本日の題材……それは「神宮外苑前再開発」ではなく、「小説家や芸術家という人々は実はインテリとしては大したことがない」ということである。
一流の芸術家とか小説家という人々が、一流のインテリとして取り上げられて、政治や社会問題へ口を出し、それをありがたく傾聴にあたいする意見として、マスメディアが取り上げるたびに自分は疑問を抱いていた。
だって……たいてい的外れだからである。
自分のような凡人の人間でもちょっと多方向から考えたら、それはさすがにないだろう……ということを言うケースが目立つのだ。(例……坂本龍一)
それまでは漠然と専門家ではないから、仕方がないかと考えていたのだが、以前ある本を読んで、まさに腑に落ちた。
以下その一文である。
「エンジニアや数学者・物理学者などは別として、クリエイティヴな仕事では、IQ120(偏差値換算で 65) を超えると、知能と職業的な成功とが相関しなくなるというデータがある」(引用元:運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」、橘 玲、安藤 寿康)
詳しくは本を読んでもらいたいのだが、要約すると、基本的にIQが高くなれなればなるほど、数学者・物理学者などの職業的な成功確率は上がる。
だけど、クリエイティブな仕事(小説家や音楽家など)では逆にIQが高くなり過ぎると、成功への足かせになる。
なぜなら、これらの職業(小説家など)では「成功」=大衆に売れることだから。
つまり、大衆の気持ちがわからなければ売れない。
本当の天才は、大衆の気持ちはわからないから売れないという訳だ。
で……ここからが、自分がこの一節を読んで、思ったことなのだ。
つまり、小説家とか音楽家とかなんでもいいけれど、インテリとしては大したことがない人物たちなのだ。
もっと直接的にいえば、数学者・物理学者とか本当に知性が必要な分野では箸にも棒にもかからない人物。
もっと、わかりやすい例でいえば、早慶とか東大に必死に勉強すれば入れるちょっと頭がいい人たちレベルなのである。
そういう人の意見(しかも専門外)をありがたく聞く価値ありますか?
さらに言わせてもらえれば、世にあふれる大ヒットを飛ばした小説や音楽その他エトセトラ……これらの作品群ってたしかに面白いし、良い曲だと思う。
だけど、同じくらい面白い小説や音楽って無数にあり、それらは全くヒットしていない。
ヒットした素晴らしい作品とヒットしなかった素晴らしい作品群。
両者の命運を分けたのは単なる運である。
だって、もし両者に明確なクオリティーとしての差があれば、今頃出版社は明確なロジックをもって、大ヒット作を出している。
でも運的要素がクオリティーよりも大きいから、とりあえずクオリティーを担保した作品群を集めて、数撃ちゃ当たれ方式しかないから、実際それを実践している。
森鴎外の舞姫とかしょうもない話が未だに後生大事に生き残っているのを見ればよくわかるだろう。
さて、結論だ。
村上春樹の書いた小説は素晴らしい。
→正しい。
村上春樹の書いた小説と同じくらいのクオリティーの小説は誰にもかけない。
→間違い。
村上春樹の書いた小説と同じくらいのクオリティーの小説は、IQ120くらいの人間(早慶、東大に必死に勉強すればうかる人間)であれば誰でも書ける。ただし、大ヒットするかは運。
では、村上春樹のような世界的に名声のある小説家(早慶、東大に必死に勉強すればうかる人間)の専門外の意見をありがたく聞く必要はあるか。
→全くない。
村上春樹が神宮外苑前再開発について反対意見を表明したと聞いて、自分の考えはますます確信にいたった。