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劇場版 少女⭐︎歌劇 レヴュースタァライトのワイルドスクリーンバロック①を“おもて”と“うら”の視点で考えてみる

 タイトルの通りワイルドスクリーンバロック①怨みのレヴューについての読解記事になります。

『怨みのレヴュー』は『“うら”見のレヴュー』?

 私は『怨みのレヴュー』とはつまり『うら見のレヴュー』だったのではないかと考えています。この時“うら”というのは『裏(うら)』であると同時に『心(うら)』(古い読み方)でもあって、ひっくるめて『うら見のレヴュー』としています。“うら”があるならその対極にあるのが“おもて”です。“うら”が裏≒心であるなら、“おもて”は『表(おもて)』であり『面(おもて)』(顔面の意)になります。これらを踏まえて怨みのレヴューで登場したモチーフについて考えてみましょう。

般若の面(おもて)とデコトラ

 怨みのレヴューでは最初に大きな『般若の面(おもて)』が画面いっぱいに映し出されます。般若の面は能や狂言に使われる能面で、

「『嫉妬や恨みの篭る女の顔』としての鬼女の能面」(Wikipedia参照)

だそうです。このあと香子の顔面が画面に大きく映し出され香子の心情を表しているとわかります。また、能面は舞台の上で役を演じる時に身に着けるものであるため、演じている状態が“おもて”に、演じていない素顔の状態が“うら”であるというように考えることができます。周囲には顔面の無い書き割り(顔ハメ看板)の群れが設置されており、般若の面や香子の顔が強調されています。

 般若の面を吹き飛ばし、般若の面があった所に登場するのがデコトラです。デコトラの顔面?には般若の面にあった角(香子のデコトラ)や牙(双葉のデコトラ)のようなものが見受けられます。私はこれをデコトラが般若の面の位置を奪った=その役割を継いだのだと考えました。この後デコトラ(の外装)は“おもて”の役割を持つことになります

セクシー本堂へ

 武器を交えながら清水寺本堂へと移動する双葉と香子。道中で地蔵が登場しますが実はこれは舞台のセットでその裏側が映されています。また、清水寺自体が舞台セットであることも引きのカットで説明されています。2人が階段を登りきると立派な本堂に見えたそこは実は『セクシー本堂』で、ピアノになった大仏やシャンパン風呂になった大徳寺りんが登場します。これらやデコトラ、わがままハイウェイの歌詞に登場する流れ星に一貫しているのは“おもて”≒外見と“うら”≒中身、本質がそれぞれ異なっていたり、見た目だけで中身が伴っていない点です。立派な“おもて”しょうもない“うら”といった対比が描かれています。

 セクシー本堂で説教を受ける双葉。新国立を志望した理由を『大人の理屈』で飾って香子に語りますが「うっとい」と一蹴されてしまいます。更に香子は双葉に「本音晒せや」「表出ろや」と迫り、清水の舞台で対決が始まります。ここで『本音』が“うら”に、言葉として登場はしませんが双葉のセリフは『建前』と断定され“おもて”になります。

星摘みの塔

 星摘みの塔が登場します。怨みのレヴューでは星摘みの塔が書き割りで表現され、その後ろからピンク色の光で照らされていますが、これは“おもて”である星摘みの塔≒『二人の目指す舞台』と“うら”であるピンク色(香子のイメージカラー)の光≒『二人が目指すものの本質、香子のきらめき』になっていて「うちら、ほんまにしょうもないな」というセリフはここからも来ているのだと思います。

清水の舞台と割れる“おもて”

 「表出ろや」の『表』が指す清水の舞台の上で“おもて”の象徴であるデコトラが並び、対決の中で双葉は先程の『大人の理屈』とは対照的な『ガキのわがまま』を吐き出します。香子が否定した『大人の理屈』が“おもて”に「勝てんわ」と言った『ガキのわがまま』が“うら”に当たります。

 対決の末、“おもて”である『舞台』と『デコトラ』が割れ、“ うら”である『舞台から落ちた先』、『デコトラの積荷』の中で決着を迎えます。なぜ『割れる』必要があったのかと言えば、“おもて”はそもそも般若の面で表現されていたからです。これが割れることでその先の裏側にたどり着くことになります。角や牙が般若の面を連想させることには触れましたがこれを『尖ったもの』と定義しなおすと、双葉が舞台にぶら下がる時に掴んでいた尖った部分もまた“おもて”であり般若の面で、これが折れるということは般若の面≒“おもて”が割れたことを表します。

 舞台の上(=“おもて”)でデコトラ(≒般若の面)と一緒に立っていた二人はそれこそ般若の面のように険しい表情で対峙していましたが、香子が「うちら、ほんまにしょうもないな」と笑みを浮かべると舞台が割れ、落ちていく香子の手を掴んだ双葉が「香子ばっかりあたしを独り占めしてずるい」を笑みを浮かべながら言うと双葉が掴まっていた部分も折れて二人は落ちていきました。役ではない“うら”(≒本音≒素顔)を見せてしまった以上は『怨み』のレヴューの舞台にふさわしくなかったのでしょう。 

 デコトラの積荷=香子のきらめきを表す桜の花びらの中で決着を迎える二人の表情は穏やかです。“うら”を見せ合い、お互いが納得することで『うらみのレヴュー』は終了します。

まとめ

 ここまで、“おもて”が指したものと“うら”が指したものを振り返ってみましょう。

 “おもて” : 表、面、外見、演じている状態・役、般若の面、デコトラの外装、清水の舞台、建前、大人の理屈
“うら” : 裏、心、中身・本質、演じていない状態・素顔、般若の面が割れた先の素顔、デコトラの中身(積荷)、清水の舞台から落ちた先、本音、ガキのわがまま

 “うら”を見せろと言い、“うら”で“うら”を見せ合って満足するレヴューになっていることが分かると思います。『怨みのレヴュー』は同時に『うら見のレヴュー』でもあったのです。セクシー本堂やデコトラは訳わかんないもの筆頭として扱われていますが、“おもて”と“うら”に注目することでその意味が少しわかった気でいます🦒。これに加えて二人の心情について考えることでより怨みのレヴューの解像度を上げられるんじゃないかなって思ってます。

 ここまで読んでくださってありがとうございます!駄文失礼しました。


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