走っているとき
私がまだ20代前半の頃、
周りの人達とキャリアが開いていくことに対して焦りを感じ、
ある人に相談しました。
すると、その人から返ってきた言葉、
それは、
「人生は山登りのようなものだよ。
急いでゴールを目指すのもいいけど、
ゆっくり行けば、
景色を見ることや。
仲間とおしゃべり、
小さな発見を楽しみながら
進んでいけるじゃない。」
そうなんです。
自分がリラックスして、
のびのびできる環境にいれば、
それができる。
そうしていたほうが楽しく生きていける。
でも、
急かされていて、
緊張して、
自分らしさを発揮できない場所だったら?
走っているほうが楽なんです。
周りを見ないで、
脇目も振らずに
目標にフォーカスしているほうが楽。
ただ、
いつでも走っていられる状態じゃないよね。
人間て。
壊れることもある、
弱くなることもある。
そんな時、
周りとどんな関係を築いてきたかが
突きつけられる。
自分のこれまでの生き方が
自分に跳ね返ってくる。
一人で生きている人って誰もいないから。
孤独だって思って
一人で亡くなった方だって、
発見されるまで
時間がかかってしまうことも
あるかもしれないけど、
その場所をキレイにする人、
弔う人、
その亡くなったことを記録する人、
幾人もの人が関わっていく。
一人って思ってるのはその人だけかもしれない。
だから、一人にだけ目を向けて生きるのは、
自分のためにならないし、
人のためにもならない。
人間関係って、
傷付いたり、
イライラしたり、
自分がグシャグシャに壊されるような、
苦しいこともあったりするけど、
それでも、
相手のことを思いやって、
幸せになれるようにって
幸せの滴を
言葉で、
モノで、
行動で、
色んな角度から投げてみて、
受け取ってもらえたら嬉しくなる。
まあ、キャッチされない事もあるけど。
そうして、受け取ることもまた愛情なんだなって
気付かされる。
これは走っている時には気付かないこと。
私はこれが人が人として
器を大きくしていくのに必要なことだと
感じています。
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