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盗作

あれは確か母親と暮らし始めた頃だから10歳くらいだったと記憶している。家庭の事情でそれまで祖父母や親せきの家に預けられて育った私は、初めて母親と暮らすことになり少し緊張していたように思う。ご多分に洩れず母は教育熱心で、お誕生日といえば英語の辞書や偉人伝など、子供にはあまりうれしくない本のプレゼントだった。

そういえば母の兄にあたるおじからは「ワーシャと学校友達」というロシアの本をプレゼントされたことがあった。後に「ヴィーチャと学校友達」というのが正しい日本語版のタイトルだというのがわかったが、正直私にはあまり面白い内容とはいえなかった。でも100年前のロシアの学校生活を小学生の頃に読んでいたとは驚きだ。教訓めいたこの本は1951年にスターリン賞を受けている。

同じころ毎日新聞社から毎日小学生新聞というのが発行されていた(今ではデジタル版もある)。当時は多分毎日ではなく週末だけだったと思うが、連載漫画は園山俊二さんの「がんばれゴンべ」だったのを覚えている。新聞をとるということで大人の仲間入りをしたようで嬉しかった。

そして、その小学生新聞に何気なく投稿した私の文章が掲載されたことがあった。はっきりとは覚えていないが、世界平和を祈るような内容だったような気がする。大人が喜びそうなテーマでよい子ぶった文章を書く小賢しい子供だったのだ。おまけに地球の上に腕組みをした男の子が微笑んで立っているイラスト入りだった。作者の私は女の子なのにぃ?と疑問が頭をかすめたけれど、イラストとはそういうものなのかと気にしなかった。

自分の名前が新聞に載るというのは不思議な感覚だった。今では特別なことではなくなってしまったが、不特定多数の人(例えそれが小学生であっても)が私の文章を読んでくれているということは、SNSのない時代には大きな感動だった。祖母が「えらいねぇ~」と記事を切り取り台紙に張って仏壇にそなえ手を合わせた。今は仏壇のある家も少なくなったが、昔は大事なものはなぜか仏壇に供えられ拝まれたものだ。でも悪い気はしなかった。

それから一年も経たないある日のこと。ショックな出来事が起こった。
その小学生新聞の同じ投稿欄に、タイトルを変えただけの、私が書いた文章とまったく同じものが掲載されたのだ。作者は小6の男子だった。祖母に見せると、祖母も信じられないといった顔で何度も読み返していた。

これは盗作というものなのだろうか?
この小6の男の子は実在するのだろうか?
なぜ私の文章を真似て同じ新聞社に投稿したのだろう?
担当者はなぜ掲載を許可したのだろう?

たまりかねた祖母が毎日新聞社に問い合わせたところ新聞社は手違いだったと認めたと言っていた。ならばいったい、どういう種類の手違いだったのだろう?担当者が居眠りをしていてうっかり小4の女子と小6の男子を入れ違えてしまったとか?

自分の作品を私以外の誰かが書いたことになっていることが新聞に公表されている。これは立派な著作権侵害だろう。
大人になった今も新聞記事への疑いが拭えないのには、こんな苦い思い出があるからかもしれない。あれは新聞社がとりあってくれなかったので、私を慰めるために祖母がついた嘘だったのだろうか?正式な謝罪はあったのだろうか?

今度毎日新聞社で子供新聞のアーカイブを調べてみようかなぁ。


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