Ms.
人類という大きな共同体の基本単位である家族において、出産という重要な役割を担っている女性。彼女達は社会においてもまた確かなアイデンティティを必要としています。
今世紀(20世紀)は女性が個として生きる過渡期でしたから、家族においても社会においても、女性達は既存の概念に囚われずに生きようとして多くのMs.が生まれました。
そして、主婦であるMs.はホームオートメーション化に伴い家事労働から解放されたものの精神的な解放にはいたらず、仕事を持つMs.は社会人として自己を確立しようとすると、現実には男のように生きることが強いられました。未婚・既婚に囚われない性を生きようとした時、そういった新しい概念を受け入れる場所が、社会にも自分自身の中にも明確には存在しなかったことに、多くのMs.は気づいたのではないでしょうか?
そんなふうに今世紀は精神的に本来の女性らしさが失われていったような気がします。
Ms.とはMr.になることではなく、Mr.と同等の新しい性を確立することではなかったでしょうか。女性らしさを犠牲にしては本当のMs.は生まれません。それはMr.の模倣にしか過ぎないからです。本来の女らしさを失うことなく、男達と共に新しい時代を生きてゆけるとしたらどんなに素晴らしいでしょう。
21世紀の社会では出産も子育ても女性の絶対条件ではなくなっているかもしれません。Ms.は個人としての能力を今以上に問われることになるでしょう。あるいは、少子化の結果、より高度な教育が要求されるかもしれません。男女関係も様々な形態を持ち、その結果としての家族の在り方も多様化して社会の基本単位は完全に個人に置き換えられるでしょう。
出産や授乳のような本能的役割以外は、仕事も育児も男女の差別なく与えられることになります。台所用品も女性だけを対象にしたものではなく、もっと男性的な機能美を持ったものに変わり、料理の好きな男性は今よりずっと増えるはずです。女性達の家事は労働から共同作業の喜びへと変わります。
コンピュータ導入による在宅勤務が常識となれば、家族が一緒にいる時間が増し、妻達は疲れて寝に帰るだけの夫ではなく、厳しい仕事に向かう男の顔を見ることができるでしょう。宇宙開発に伴い男達の地球外勤務が増した時にはMs.が代わって地球を守っていくかも知れません。21世紀にはMsにあらゆる可能性とその能力を発揮できる場所が与えられていることを期待します。
だから、今<Ms.>とは<Ms.らしさ>とは何かを女性自身がもう一度考え直す時ではないでしょうか?Ms.は自分との闘いに終止符を打ち、新たな世紀へと大きく変貌を遂げその地位を確立していくのです。
<あとがき>
これを書いた頃日本ではまだ<Ms.>という言葉が珍しかったのですね。今読むと、男と女という二者択一しかなかった時代が根底に横たわっています。時の流れを感じました。
<Ms.らしさ>とは何か…というテーマで女性雑誌の読者コラム欄に寄せたものです。あれからMs.はどうなったのでしょう?ネットでこんな記事を見つけました。
https://www.live-english.co.jp/post-1649/