我が家のピアノ
我が家のピアノは購入して半世紀が過ぎている。APOLLO(アポロ)という「東洋ピアノ」製のものだ。たまに高音のシが突然消えるという不思議な現象がおこるが、弾いているうちにまた音が出るのでそのままにしている。
このアポロに関して私は半世紀もの長い間大きな思い違いをしていた。
恥ずかしいけれど…告白しよう。
半世紀以上前のある日、学校から帰ったら家にピアノがあった。親はこのサプライズを私が喜ぶと確信していたに違いない。ところが、私はショックでその場に泣き崩れてしまった。ピアノが有名ブランドでなかったというたったそれだけの理由で。今思えばなんと傲慢で親不孝な娘だったのだろう。
「アポロなんて知らない!こんな無名メーカーのピアノなんていらない!スタインウェイとは言わないけれど、せめてヤマハかカワイが欲しかった!」
さすがに口に出しては言えなかったが、中学生の私はAPOLLOなんて見たことも聞いたこともなかったのだ。
当時のピアノ仲間のほとんどがYAMAHAかKAWAIだった。一人だけピアニストを目指していた男の子がSTEINWAYを持っていたが、彼は同窓会で会ったら歯医者になっていた。
ジャズピアニストの山下洋輔さんが著書のなかで、スタインウェイをまるで処女を抱くようだと書かれていたが、アポロはまるで百戦錬磨の戦士と闘っているようだった。
やけに鍵盤が重い。優しく叩けば音が消え入る。かなり強く叩かないとメゾフォルテにならない。スタカートにいたっては指先に豆ができるのではないかと思うほど打ちまくらなければならない。とにかく思うように弾けないのでもどかしい。全て自分の未熟さゆえなのに、そういうことはすっかり棚にあげ、中学生の生意気な少女はますますアポロが嫌いになっていった。
そんな私の演奏が上達するはずもなく、ビートルズを知ってからというもの、ロックに拍車がかかり、すっかりクラシックピアノに興味を失ってしまった。そして年月は瞬く間に過ぎゆき、かつてのロック少女は、「老人のピアノ」というタイトルでは売れないので「大人のピアノ」と称した楽譜本の、あの信じられないほど大きなオタマジャクシを、さらに老眼鏡で追いながらゆっくりめのゴールドベルクを弾いているというわけだ。
当然のことながらアポロへの子供の頃の不満はとっくに消え去り、今では長年連れ添った友のように思える。ヤマハでもカワイでもないアポロという名の旧友だ。そしてつい最近、何気なくピアノの天板を開けたら、内側のポケットに黄ばんだ紙片を発見した。そこには昭和41年出荷と記されていた。
ビートルズの来日した年ではないか!
ふと、製造元の東洋ピアノを調べてみたくなりググってみた。
創業者の石川隆己は、日本楽器(後のヤマハ)やカワイでピアノ作りの経験を経て、1934年に三葉楽器製作所を立ち上げ、1948年に東洋ピアノ製造株式会社を設立。
東洋ピアノはヤマハ、カワイにつぐ日本三大ピアノ・メーカだったのだ!
しかも、人気シリーズである“APOLLO”には、アップライトピアノのソフトペダルにグランドピアノと同等のハンマーをシフトする、スライドソフトシステムという技術が投入されていて、グランドピアノ同様の音色の変化と連打性能を実現することが出来るようになったのだそうだ。
ちなみにSSS(Slide Soft System)アクションのアップライトピアノは、秒間最大打弦回数13回とグランドピアノと同等の連打が可能。(通常アクションのアップライトピアノの秒間最大打弦回数は約7回。)
とても残念なことに、1986年に開発されたSSSアクションは我が家のピアノには搭載されていないことになる。しかし、APOLLOが東洋ピアノの歴史ある技術の賜物であることには変わりない。このピアノに携わった人達の名前を見るとちょっと感動した。
あれから半世紀…ピアノへの愛がたりなかったのは私だった。
YouTubeでこんなちょっと嬉しい画像を見つけた。きっと売る人はいても買う人は少ないのだろう。ちなみに私はピアノ用コンパウンドで気が向くと少しずつ磨いている。愛が足らなかった罪をつぐなうかのように。