グローブ
ムカついたり、不安になったり、何らかの精神的な動揺を少しでもなくしたくて、好きなことに没頭したり寝たり笑ったりする。そんな毎日が繰り返される。
職場では気配を消してる。昼飯のあと2時間仮眠してても誰にも気づかれなかった。逆に無関係な仕事を黙って手伝っても誰もその事に気付かないという。だからお礼も言われないという。ある意味自由。全然ええねんけど。エレベーターの中とか、誰もいないとなれば、ゴリラのモノマネとか、シェー!とか、コマネチ!とかやったりする。エスカレートして、廊下とかでもやっている。後輩にはナメられる。それが女子だと興奮する。変な意味ではなく。
今日は、グローブを買いに行った。今度、会社で野球の試合に出ることになり必要に迫られたのだ。
昔、野球をやっていた。中学の時だった。チームに入って没頭していた。バットはいつもヤマカンで振っていた。整列して、殴られたりした。それでも痛くなかった。それほどに野球が好きだった。
だが、ない。探しても、グローブがない。
俺はいま訳あって実家に1人暮らししてて、どっかに置いてあるもんだと思っていた。探せばでてくるだろうし、目星もついていた。
だが、ないのだ。俺の軟式グローブが。ミズノ社製の。人差し指を出す穴があいていたやつ。
俺は焦った。というか、別に当日貸してくれそうなもんでもあるが、「グローブぐらいもってこいよ」とクギを刺されてしまっている。「グローブぐらい持ってます」と張り切って答えている。それと、金。ケチりたい。ケチりたいぞ。言ってしまえば、そこに尽きる。ケチりたいのだ。
俺は自転車を漕いだ。真っ昼間。家から30分ほどで着いた。
国道沿いの大型リサイクルショップ。
汗だくだ。缶コーヒー飲んだ。中に入る。色々な食器や服とか楽器とかに混じって、わずかだがスポーツ用品コーナーがある。そこにローリングスの黄色いグローブが置かれていた。なかなかにボロい。だが言ってられないし、2000円だし、本当に本当に仕方なく俺はそのグローブを買った。くそっ。空は黙っていた。グローブを顔に近づけた。嗅いだことのある匂いがした。何も心は動かなかった。時間は残酷だ。野球選手は応援するけど、情熱は完全に消え失せていた。わかってはいたけど。
帰り道は国道ではなく裏の山道を通ってみた。民家とか古い神社とか消防団の集会所とかが目に付いた。ただの薄気味悪い田舎道だ。葉っぱ踏みながら眼下の街を見下ろして自転車のカゴには剥き出しのグローブ。白昼に俺は不審者になる。鼻歌をかます。こんなに長距離を自転車漕いだのは久しぶりだった。
あ、あれ、思い出した。俺、この山道の上にある高校に通ってたわ。
家に帰って午後三時。
ざる蕎麦すすった。
「永遠の僕たち」という映画を観た。
ガス・ヴァン・サント監督。
出演してた女の子に恋したからグローブを買ったこととかどうでもよくなった。
出演してた女の子に恋したから高校時代に好きだった娘が元気だったらいいなって思って夜まで寝た。