京都、ライブハウスのこと
こないだは京都に行った。めっちゃ久しぶりだった。レコードを何枚か買った。とても暑くて気分爽快だった。以前あった店が潰れたり新しい店が出来たりしていた。露店はどこもかしこも外人に媚びていた。外人も群がっていた。邪魔だったから何回か蹴った。
20年くらい前、レコードを買い始めた時期、通ってたレコード屋はほぼない。逆に今も続いてるレコード屋の棚には、20年前からずっと売れ残ってるレコードがあったりする。そいつを確認してホッとする。
俺は京都が好きだった。京都の中心部に住みたかった。京都の人になって、フォークシンガーになりたかった時期があった。飲んだくれて、スレた部屋であぐらをかいて暮らしたかった。寒い冬にこたつに首まで入ったまま独り、死にたかった。そんな人がたくさん住んでる街だから。その仲間に入りたかった。
でも今はそんなこと1ミリも思わない。なんでだろな。こないだ久しぶりに行って思った。なんとなく、なんか嘘くさい街だな、と思ってしまったんだ。好きなのに、嫌い。気持ち悪い感情です。いや、単に俺の居場所がなかっただけだ。俺が変わったんだ。昔はよく、鴨川の草むらに座ってボーっと夜、コーラ飲んだりした。今、そこに俺が座るスペースなんかなく、他の人間が当時の俺みたいに月見てる。俺は京都に育てられ、落第した。ふさわしくなかった。野蛮だから。
ライブハウスに出させてもらってた頃、色んな人と知り合った。休日にレコードを一緒に買いに行ったりした。本気な人、思い出づくりな人、売れる気満々な凡人、才能の塊。みんないい人だった。俺はバンドがやりたかったけど、仲間がいなかったから仕方なく一人で歌ってた。ロックはバンドでやってこそや、と思ってた俺は、やがて1人でステージに立つシンガー達の、湯気を吸い、静寂の中そいつらの、三日月のようなギターから放たれた脈動に、いつしか俺は心奪われていた。一人で歌うことはとてもカッコイイことなのだ。体とギターだけでロックを表現しようとする人がいること。それが嬉しかった。そんな人になりたかった。
共演者で、俺が好きだったシンガーさんがいて、その人は毎月俺とおんなじ企画に出てて、密かに聴けるのを楽しみにしていた。あんな曲は後にも先にも聴いたことないし、間奏の時に遠吠えみたいに叫んだりしてた。固定の客なんかはいなくて、自分の出番が終わるとすぐに帰っていく。無口で人とコミュニケーションがとれなそうだった。その人の曲は今ではなんとなくでしか思い出せないけど、とてもユニークで切ない曲だったな
どでかいスタジアムで、大物ビッグバンドが世界中が注目するようなコンサート演ってる日に、名もなきライブハウスの誰でも出れるような企画のステージの上で、自分と戦って負けては這い上がろうとする奴がいること、それがわかっただけでもライブハウスと関われて俺は良かったと思う。
久しぶりの京都で、ボブ・ディランの初期ベストのレコードを買った。聞いたらめちゃくちゃ良かった。京都のなんでもない弾き語り企画に出たらいいのに。