足りないくらいがちょうどいい説
今回は僕が最近感じてることを書く。
学習記録なるものが僕の学校にはあり、日々の学習時間などを記録するのだが、その学習記録の上側に1ページごとに先生たちの格言が書いてある。その格言の中に足りないくらいがちょうどいいというものを見た。これは家康の家訓とかでもあり、及ばざるは過ぎたるよりまされりって言ってる。足りないくらいがちょうどいいって歌もある。
なぜこの言葉に好感を持ったのかというと最近高校生になりある程度の自由を得たときに、子供の頃やりたかったことをしようと思いいくつか実践したのだが、満足感より先に飽きるなというのが正直な感想だ。モロッコヨーグルトのでかいやつ買って食べたら子供の頃は好きだったのに全然美味くなくてむしろ嫌いになってしまった。
ポテチを一袋1人で食べるのも小さな夢で実践したが食べ切る前にうぷっとなってしまう。大きくなり幸せのハードルが上がってるのか、はたまた幸せを感じなくなっているのか、よく分からないが悲しいなと思った。こんなことを高校生がほざくのは変だけども、大きくなることにもう期待より不安が大きい。子供の頃が楽しかった。
そして悟ったのは足りないくらいがちょうど良いなと。例えばポテチでは4人で食べると少ないなと思うが、その時生まれる次のポテチへの渇望が最強の調味料になるなということだ。足りないと次も食べたくなるが、多すぎるといっときは食いたくないなとなる。コスパも前者が良い。そしてこれは食べ物の話のみではない。どんなに大好きな家族もウザ絡みされ続けるとだるくなる。幼い妹が僕には居て、もの凄く愛してやまないが、毎日遊ぼうと言われるとだんだん遊ぶのがめんどくさくなる。2日ほど会えなくなるともの凄く遊びたい?触れ合いたくなるし、一緒にお風呂とか入りたいなとなる。
とにかく僕が感じていたことと格言コーナーで出会ったことに凄く感動している。
今回はこれで終わる。