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新盆 ・ にゃあぼん

悲哀の波に飲まれやすく、何かにつけて感傷的になる面倒な自分にとって、
お盆とは うってつけの期間である。

生前何もできなかった癖に、
もう何もできない、しなくても良い無責任な場所に居る事で、
センチに涙し「もっとこうすれば良かった」など綺麗事を並べ立てたりもする。

ただ 今年のお盆は、初めて家族が旅立った事により、
より一層深く関わる事となる。

22歳の大往生で旅立った、ゆきの初盆。

毎日少しずつ少しずつ。
彼女を迎える準備をしていた。

うちは無宗教で、特別こだわりはないので、
自分が良いと思ったものを都合良く取り入れてみる。

北海道で生まれ育った私は、精霊馬というのものを ここ数年まで知らなかった。
北海道は、盆提灯。

お仏壇の左右に、灯りがゆっくりくるくる回る美しい提灯が私のお盆のイメージだ。

スーパーの飾りにも。

北海道はお盆に限らず、歴史がさほど長くはないゆえのさっぱりした行事が多いのかも知れない。
以前「ドキュメント72時間」で、長崎県の「精霊流し」を見て衝撃を受けた記憶がある。
手作りした大きな精霊船を曳き、爆竹を鳴らし街を練り歩くというもの。
知らない文化がたくさんある。

よし。
うちもBUCK−TICKを歌おう。

色々すごい間違った。

盆提灯を用意しよう。

ゆきちゃんが、ちゃんと迷わずに帰ってこられるように。


お金を出せばいくらでも可愛くおしゃれなものは買える。
今はペット用もたくさんある。
うちは手作り。

トイレットペーパーの芯や半紙、厚紙など。
家にあるもので何とか工夫する。するしかない。
これも貧乏の才能だ。

そして提灯って難しい。

何度も何度もああでもないこうでもないと作り直し。

画用紙だと弱すぎてボツ。

余談だが、左利きは定規も数字が逆になるため使いにくい。

しまいには「提灯の作り方〜伝統工芸・職人の技〜」レベルの動画を見ていた。
伝統工芸・職人の技も勉強になった。(何を目指しているのか)
木枠を組み立てて、竹ひごを巻いていって、和紙を貼り付けて…。
防水対策に、えごま油を塗ったりするらしい!(何を目指しているのだ)

動画を見て以来、気分はすっかり提灯職人。

こんな気分。

実際はこれ。

結構頑張ったつもりなのに、工作レベル…。

ゆきちゃんが好きだった鮭の切り身やホッケを描いた。

そしてせっかくだからと、精霊馬というのも、
引き出しの奥に眠っていた「ふわっと軽いねんど」で作ってみた。


ニスを塗る前の方が良かった気がするが、もう塗ってしまった。
ぴかぴかコーティングの方が見栄えするよねゆきちゃん、と話しかけつつ自分を納得させる。

初めてのお盆だから、乗り方を教えてもらっているだろうか。

ゆきちゃんなら、余裕で上手に乗れるだろうなと想像しながら。

そして、きゅうりや茄子のほかに、
ゆきちゃんが乗ってくるものを想像した時。
やはりこれだろう。

ずっと愛用していたいちごベッド。

これもうちにあったフェルトで。

こういうハギレがいつ役立つかわからない。(だから捨てられない)

これも何度も作り直した。
またがるところが少し段差が低くなっていることを忘れていた。

奥にあるのが間違ったもの。


晩年はもうふにゃふにゃだったから段差のこと忘れていた(笑)。

中のピンククッションが小さくて隙間ができて 作り直したり。

ぴたっとはめたくて。

いちごのヘタもちょうどいい色のハギレがあった。

いちごのヘタをつけた時、
ブワァと涙が溢れ、しばらく顔を抑えて泣いた。

可愛くて、愛おしくて。

晩年は特に、ゆきちゃんの一部だったのだな。


涙が改めて教えてくれた。


そしていつもそうしていたように、座り心地が良いように。
夏だからタオル生地を二重にして。

メンテニャンスで使っていた体拭き用のタオルを少し切って。


きっとこれで完璧。

あとは彼女の好物を。
去年友人から頂いたものも、今日のために大切に取っておいた。

川辺で花も摘んだ。

これで、ゆきちゃんを迎える準備は大丈夫だろうか。

お盆の10日くらい前に夢を見た。
毎日ご飯とお水を取り替えて、脱走したゆきちゃんが帰って来るのを祈るように待っている夢だった。
その間に、もこもこで、白かクリーム色のような大きな猫がのそのそやってきて、私の膝に乗った。
驚いた私は久し振りに猫に触れられる感動で、両手でゆっくりゆっくり、
その膝の上の猫の胴体のふわふわを味わった。

でもゆきちゃんは帰って来なくて、またご飯とお水を取り替えていた。

とても寂しい夢だったのだけど、
目覚めてから振り返っていると、
あの大きなもこもこ猫は ゆきちゃんだったのだろうか。
長老みたいにものすごい貫禄だったけれど。
それとも、お空の長老猫さまだろうか。
「ゆきさんは、とても楽しくやっていますよ」と、伝えに来たのだろうか。

こんなふうに、何とか自分の都合の良いように
ガリガリと必死に噛み砕いて咀嚼をしながら
彼女の居ないこの地獄という現実を生きなければならなかった。

お盆の頃は、夏の終わりと相まって
どこか置いて行かれたような、
遠くに行ってしまったような
黄昏色の寂しさがある。

彼女が旅立ってから初めてのお盆は
ますますそれが色濃くなるだろう。

自分のできることの、自分なりのささやかなお盆。

彼女はきっと今までのようにこんな感じで。

ふらっと来て、そしらぬ顔で過ごしてくれると良い。

お盆の終わりにはいつも以上にメソメソするのだろう。
なんもゆっくりしていけばいいしょ。しばらく居ていいんだよ。
そう言っては涙するだろう。

でも彼女は 今までのようにこんな感じで。

そんな私をあしらってくれると良い。


そしてまた
楽しくて自由なところへ
幸せいっぱいなところへ
また  いっておいで。

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