一周忌の足音
もうすぐやってくる 懺悔の日。
日の傾きや空、空気の匂い。
一年前の「最後の脱走」をますます思い出す。
毎日通らなければならない駐輪場の前を通るたび、
この駐輪場と奥の壁際の間に、うずくまっていた彼女の姿が蘇る。
「ごめんゆきちゃんごめん」
湧き出る罪悪感に耐えきれず、声が出てしまう。
そしてその日から旅立つまでの、
駆け足で、けれども濃くて、重い重いあの日々もまた、
深くなって行く秋の景色や雪の匂いで、思い出す事になるだろう。
そしてその先は、
「一年前の今頃は」
を、もう言えなくなる。
「まだ一年も経っていないのだから」
も、言えなくなってしまう。
ーーー
真っ青でからりとした秋の空。
ぽかぽかの秋の日差し。
その光の着地点に居たはずのぽかぽかな愛のふわふわは、やっぱり今日も居ない。
ふわふわうんにょりとはあまりにも違う、骨壷を入れてある固く抱きにくい六角袋を落とさぬよう抱っこして窓際に立つ。
にゃーとは言わずカタカタと骨壷が鳴く。
そのまま窓の外を見ると、目の前のベランダ手すりにトンボがふわりと止まった。
「ゆきちゃん」
トンボに声をかける。
「ゆきちゃん、元気にしてる?」
「うまくやっているかい」
続けて声をかけると、ゆきトンボはパッと高く飛んで行った。
ゆきトンボを目で追った同じ空に、今度はモンシロチョウ2頭が目に飛び込んできた。
白と黄色のかわいらしい2頭の蝶は、お互いくるくるとじゃれ合うように回り踊りながら、
高く高く、屋根の上の見えなくなる高さまで飛んで行った。
「仲良くやってるみたいだね」
溢れる涙を拭いながら独りつぶやき笑ってみた。
今日もそんなふうに自分を必死に納得させる。
そんなことがよく起こる。
日常にゆきちゃんは現れる。
この前も窓を見たとたん、またトンボがガラスにぺしっとぶつかってびっくり。
「な、なに…またゆったんかい。入りたいのかい」
心配になって窓を開けると、外壁に止まって、少しして飛んでいった。
アゲハチョウも2回見た。
向こうの世界へのアンテナが強くなったのか、
ただのセンチメンタルのこじつけか。
ーーー
お骨もこの先どうして行くのかも全く考えられず。
日中は必ずいちごベッドにお骨を置く。
ふさふさのところにちょいちょいとお水をつける。
あの尊い日々を終わらせられられず、しがみつく。
毎日朝の「ゆきちゃんおはよう」から声をかける。
1日の締めくくりには抱っこして、
「ありがとうね」「ごめんね」「愛してるよ」「大好きだよ」
の気持ちを伝える。
まあ、
「まだ一年も経っていないのだから」仕方ないよね。
その言葉は来年になるときっと、
「まだ一年しか経っていないのだから」仕方ないよね。
に変わるだけだろう。
でも嘆いてばかりでもないはずだ。
涙も減ったはず。
そしてあの脱走の日を思い出さない日はない日々の中で、
最近、改めて強く思う事がある。
あの日見つからなかったら。
もっと寒かったら。
雨だったら。
あと少し遅かったら…。
遠くに行かなかったゆきちゃん。
守ってくれた神様。
暗闇の中、目に入ったピンクの襟が、忘れられない。
守られている。
きっと大丈夫。
これからも、あの奇跡達を胸に抱いて。
君の居る季節を、これからも愛でていけますように。
これからも。