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帯状疱疹と貧乳

産後半年を迎える頃、耳というか頭というか首というかそこら辺がビリビリ痛くて眠れず、赤子を抱くのもやっとだナアと眉間に皺を刻んで育児していたら、肩から腕にかけて赤く大きい発疹の群れがボコボコ出現した。
駆け込んだ病院で、「あー帯状疱疹ですコレ」と宣告された。

道理で痛いなと思ったよ!整骨院で治らないはずだよ!!ヘルニアじゃなくてよかったよ!!

折しも赤子を連れて実家に帰省中だったので、やむを得ず滞在を延長して3週間ばかり静養した。上げ膳据え膳の生活で母はだいぶ楽ができた。息子も、沢山離乳食を食べさせてもらえるわ遊び相手には事欠かないわで、満更でもない顔をして寝ハゲを作りながらコロコロと寝返り修行に励んでいた。

⛰️

実家は限界集落のド田舎なので、出産と帰省どころか帯状疱疹の発症まで一族郎党顔見知りに早々に広まった。知られて困ることでもないし、外に出れば道行く爺様婆様が皆一様に赤子を手放しで可愛がってくれるので「そうでしょうカワイイでしょう」とむしろ鼻高々だった。爺様婆様は、都会で生まれ育ち父母と病院の人しか知らなかった赤子に話しかけたり変顔をしたりして、実に温かな刺激をくれた。その価値に比べたら、個人情報漏洩など瑣末な問題だった。

ある日私の母が用事で知り合いの家に行くと言うので息子とドライブがてらついていった。行った先で、その家の婆様に赤子を見せびらかして雑談していたら、一通り赤子を褒めそやされた後に、「ミルクか」と聞かれた。おおコレが噂に聞く母乳警察かと内心慄きはしたが、まあ聞き流せばいいわなと開き直って「混合です」と素直に答えた。すると直裁な物言いで知られるその婆様は「あ?」と目をかっ開いて、

「そんな貧乳から母乳出るのか」

とでっかい声で大真面目にのたもうた。 

そっちかい!

母乳警察かと思ったらとんだ伏兵がいたものだ。
「何て返すのが正解なのかしら」と産後ボケの頭がフル回転したが、帯状疱疹の持続的なビリビリの妨害もあり、当意即妙な回答など出るはずもない。結局こちらもどストレートに打ち返した。
「出るんですよコレが。あっはっは」
婆様はあっけらかんと「そらビックリだー」と仰せだったが、ビックリしたのはこっちだ。田舎の世話好き婆さんの台詞でなかったら炎が立つ。乱立する。無限列車も真っ青である。

🔥

繰り返すが、時と場所と人が違えばその辺の会社など一瞬で燃えて灰も残らない。安易に真似をするのは断じてお勧めしない。
不愉快に感じる向きもあろうが、何しろ婆様は純粋にビックリしていたのだし、別に責められた訳でもなく、バストがまな板でこれまで不自由することなどなかったので、言われた本人は特段傷つかなかった。件の婆様、普段からそういう人だしねえと、笑い話の良いネタになった。姉(どんぐりの背比べ)など手を叩いて笑っていた。

しかし、しばらくしてから授乳中にふと思い返し、よくよく冷静に考えて気づいたのだが、もしかして「貧乳なのに母乳」も秒速で狭い町の中に広まったんじゃなかろうか。
……うん、まあ、別にいいか。

🍺

帯状疱疹は結構重症で、発疹が引いた後も若干後遺症が残ってしまった。実家から戻って2ヶ月は利き手の震えが止まらず、まるでアル中のようだった。
田舎なら「あそこの家の娘が赤子連れて帰省してきて今帯状疱疹だってよ」と把握されているので何も考えなくていいが、都会は違う。役所の窓口の職員や、スーパーのレジのお姉さんが、書類や小銭を出す時にブルブル震える指先を見て、「あの人あんな小さな子抱えてるのにお酒の禁断症状かしら嫌だわ」と猜疑の眼差しを向けて来ないか、心配でたまらなかった。通報されなくて本当に良かった。

今でも免疫力が下がると同じ場所がピリピリし出す。ああ体調が下降気味なんだなと自覚すると同時に、「洗濯板の割に母乳育児頑張ったナア。洗濯板の割に」としみじみ思うのである。

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