【半エッセイ】私の嫌いな絵

実家の和室に飾られた、一枚の絵画。
立派な額縁に入っている。
父が昔、よく遊んだという公園を描いた、風景画。

和室という空間に、合っているんだか合っていないんだか、よくわからないその絵が、私はどうしても好きになれない。


父のお世話になった人の知り合い、とかいうぼんやりした関係性の人が、売れない画家で、絵を買ってくれる人を探しているらしい。
という話を父が語り出したのは、とある晩ごはん時だった。

小学生だった私と妹は、両親のやり取りを横目で見ながら、いつも通りの晩ごはんを食べていた。

肉じゃが、お味噌汁、ご飯、青菜の炊いたやつ。
うちでは、肉じゃがには牛肉と決まっている。

「ふーん、その絵っていくらなん?」
「100万」
「100万!!??」

軽い気持ちで聞いたであろう母、その金額に慄く。
有名画家でもない、よくわからない素性の人物の描いた絵が100万。

「もう買うって約束してきたんや」
続く父の言葉に、もう開いた口が塞がらない。

「アホちゃう!?100万!?よう知らん人の絵に!?あんた、ゲージュツなんか何もわからへんやんか!絶対騙されてるで!
何やのんその人も!どういう了見で100万なんか…」

すごい剣幕で捲し立てる母親に、父はしどろもどろで言い訳している。

「せやけど、話聞いてたらなんや、えらい苦労してはる人なんや…
絵の良し悪しはようわからんけど、同郷のよしみでちょっとぐらい力になってやりたいと思うんや…」

「あんた偉そうなこと言うてるけどな、もうすぐ3人目産まれるんやで?わかっとるんか!」

母のお腹には、私と10以上歳の離れた妹だか弟だかが入っている。
教育費やらなんやら、大変な時期なのだ。
100万円といったら、すごい大金だ。
そんな大金が、よくわからない絵なんかに化けたら、今後牛肉の肉じゃがは食べられなくなるかもしれない。
それどころか、ギムキョーイクが終わったら働かなければならなくなるかもしれない。
そうなったら、大好きな本や漫画もなかなか読めなくなるだろう。

私は小学生なりに計算した結果、完全に母親の側につくことにした。
分が悪いのは父だ。
こうなるともう、形勢逆転するには、伝家の宝刀を持ち出すしかない。

「じゃかましい!もう約束してきたんじゃ!俺の稼いだ金を俺の好きなように使うて何が悪いんじゃ!俺は100万で絵を買うからな!」

「俺の稼いだ金」を持ち出されると、専業主婦の母や、何かとお金の掛かる子供達は何も言えない。

父は肉じゃがのゲップを食卓に残し、さっさと寝逃げしてしまった。


その晩、真夜中遅く。

自分の部屋で寝ていた私は、リビングから何やら声が聞こえて起きてしまった。

「ふは…ふはははは…」
笑い声である。母の。

こんな夜中に、面白いテレビでも見てるのかな?
トイレのついでに、ちらとリビングの方を見やって、戦慄した。

リビングは、真っ暗だ。

電気もテレビもついていないリビングの真ん中で、母は、髪を振り乱しながら爆笑しているのであった。

「おかあさんっ」
呼びかけても、何の反応もない。

「ははははは…」
けたたましく笑うだけである。
その目は何も見ていない。

「ちょっとお父さんお父さんっ、お母さんが、お母さんが」

お母さんが狂っちゃったよ。
お父さんが、100万も出してよくわからない絵を買うって言ったせいで、お母さんの気が狂ってしまったよ。

そう言ってしまいたいが、言葉にすること自体恐ろしくて、私はただただ、お母さんがお母さんがと繰り返すばかりだった。

父は母に冷たいお茶を飲ませ、背中をさすった。
そうしている間にも母は笑い続けていたが、やがておさまり、すっと眠りに入った。

その後、父が真夜中にも関わらずどこかに電話をかけているのを、ぼんやりと眺めていた。

「お母さんがちょっとな、おかしくなってしもて」
父か母の実家にでも連絡しているのだろうか。

電話を終えた父に、私は冷たく言い放った。
「絵は要らん。絶対買わんとってや」
父はこちらを見ずに「うん、わかった」と言った。

その翌日、家族はいつも通りであった。

騒動の最中も眠り続けていた妹はもちろん、父も母も、何事もなかったかのように朝ごはんを食べ、身づくろいをしている。

夜中の騒動のことはもちろん、絵の話も一切しない。
その翌日も、翌々日も同様であった。

子供のいないところで、大人達の間で何か話し合いが行われたのかもしれない。
そんな風に自分の中で結論づけて、私も絵のことは忘れることにした。

数ヶ月後。
我が家に何やら大きな額縁に入った水彩画が届いた。

例の絵である。
父の思い出の場所を描いたものらしい。
真ん中にどかーんと土管の鎮座した(ギャグ)、何の変哲もない、昔ながらの公園の風景画であった。

……とても100万もするようには思えんな。

小学生の私の、正直な感想であった。

結局、いくらで買ったのかは知らない。
100万の言い値で買ったのか、ある程度負けてもらったのか。

いずれにせよ、私は、苦々しい思いでその絵を見つめた。

父が、和室の壁にいそいそとその絵を掛ける。
母の顔をちらと見やると、脳面のような無表情であった。

それから20年弱、その絵は和室に飾られ続けている。

実家を出て所帯を持った私が、年に数回帰省すると、その絵のある和室に通される。
客間を兼ねているのだ。

何度見ても、あの絵はうちの和室にはミスマッチに感じる。
誰も、この絵が100万もするなんて信じられないだろう。
どんなに好意的に見ても、高校美術部の卒業制作って感じだ。

何も知らない人は、「あれ、お子さんの作品ですか?」とか言うかもしれない。

ずーっと長い間そこにある絵なのに、その絵について家族で語り合ったことは今までに一度もない。

皆がそれぞれ、色んな思いを抱きながら、その絵を見る。
家族って何だろう。そんなことを考えさせてくれる絵だ。

私はその絵が嫌いだ。

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ところどころ記憶が曖昧で、想像で補った部分があります。
虚実ないまぜのため、【半エッセイ】としております。

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