親子とは

今日、母が地元からバスで4時間かけて
私の住むアパートまで年1回の秋の行楽に押し掛けてきた。

年1回だし、大学も6年間出してくれている
こんな母親に私は感謝の気持ちで一杯だし、労わりたい。


久々に会う母は、どこかくたびれていた、
何もかも、くたびれている。

靴は擦りへって、白髪交じりの髪と、よれた服

いいかげんな挨拶のまま、
どうも冷たくしてしまう。

言葉はないが、きっと
空気を介して伝わっている、
傷つけている
分かっていても、気持ちが落ち着かない、

その、くたびれた背中は
私を育ててくれた大きな背中であるはずなのに、
そう思っているのに、
どうしてこんなにも、ちっぽけで
いつのまに、頼りなくなってしまったのだろうか、

歩きにくそうにしているその足も、
疲れたといって
すぐ寝てしまうその姿も


イライラする。


私を育てた時間と引き換えなんだ、
だとしたら、
まだちっぽけで何も持たない私など

なんだか割に合わない、気がするんだ


母の少し猫背なところも、
少し覚束ないところも、

何気ないその
一つ一つの行動に
映るのは

近頃、うまくいかない
私のようだ

母の中に、私を見た
私の中に、母がいる不思議。

遺伝子ってほんとにコピーだな
なんて、思ってしまうくらい

母をフィルター越しに眺めたら
今の私がありありと映しだされた。

苛立ちの理由は、
母のせいではない、のかもしれない

きっと近頃うまくやれていない
自分への劣等感、未来への焦燥感だ。

どちらにせよ、
まぁ母と私は結局似ているのだ

どんなに苛立っても、
嫌になっても仕方ない、

不思議なくらいに親子なんだな。

それならば、もういいじゃない、
楽しくやろう。
どうせ、似たもの同士なのだから笑


〜あとがき〜
私の両親は、他の家の親より
一回りくらい上なのもあって
近頃は、久々に会うと、
ちょっとだけ不安になってしまう。

健康で、元気で、幸せでいてほしい気持ちと
どんどん、老いてゆくのではないか、
まだ未熟な私を置いて
行ってしまったらどうしようか、
不安な気持ちでいっぱいになってしまった

また、
子を育てる親のすごさに驚きつつ、
母親を通して
近頃の自分のふがいなさと
どうにもならない時間の経過に
いらだってしまった今日の気持ち。

父に聞くと、
母は今日夜勤明けでこちらに着いたらしい。

なんだ、そんなの
健康で若くたって多少疲れるじゃないか、なんて
少し胸をなでおろした。

明日から、母と秋の行楽だ。
優しくありたい、母にも自分にも。
元気に、楽しくやろう(^^)



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