慶大・清原正吾 無念の指名漏れ ドラフト開始から3時間半…名前呼ばれず沈黙の慶大会見場 今後は…
横浜市内の慶大校舎内会見場。9台のテレビカメラ、約60人の報道陣が見守る中、壇上に清原正吾内野手(4年)が最後まで現れることはなかった。
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ドラフト会議開始から約3時間半。育成ドラフトが終了しても名前は呼ばれず、父と同じ道に進むことはできなかった。先月、プロ志望届を提出した際には、指名漏れの場合について「そこまでは本当にまだ(考えてない)です」と語っていたが、本人の失意は計り知れない。
ドラフト終了後に取材に応じた慶大・堀井哲也監督は、清原の対応、そして進路について「本日のドラフトで指名がかないませんでした。そういう結果になりましたので、本人もその現実を受け止めて、今日は皆さまの前で本人がごあいさつすることはありませんので私が代わりに、そういう状況と皆さまへの御礼を一言ごあいさつさせていただきました。本人の今後、今の気持ち、まだシーズン中ということで、まずはリーグ戦に集中したい。その先のことはまだ決まっていないと申しておりました。これは雑談の中の話ですが、そのようにご理解いただければ」と11月9、10日に予定されている早慶戦後にも改めて話を聞きながら決める意向を示した。
異例のルートから父と同じプロ野球の舞台にたどり着いた。小学3年からオール麻布で野球を始めたが、父が有名人で「大きな重圧があって、(野球から)目をそむけたくなった」と中学ではバレーボール部、慶応高ではアメリカンフットボール部に所属。6年のブランクを経て、慶大では硬式野球部に入部した。PL学園(大阪)時代に5季連続で甲子園に出場し、通算13本塁打をマークしてドラフト1位で西武に入団した父とは対照的な道のり。「心が折れそうになった」と振り返るが、血のにじむような努力を重ね、2年秋の早慶戦で代打でリーグ戦デビューした。今春のリーグ戦では「4番・一塁」のレギュラーを獲得し、一塁手のベストナインも獲得。6月には侍ジャパン大学日本代表の候補選手となる東京六大学野球連盟の推薦選手20人にも選出された。
8月には東京六大学選抜メンバーとして日本ハム2軍とプロアマ交流戦で対戦。育成左腕の山本から左越えに2ランを見舞った。今秋リーグ、明大1回戦では9回2死からバックスクリーン直撃の同点ソロを放つなど、父譲りの勝負強さを見せつけていた。
◇清原 正吾(きよはら・しょうご)2002年(平14)8月23日生まれ、東京都出身の22歳。小3から「オール麻布」で野球を始め、中学はバレーボール部、慶応高ではアメリカンフットボール部でタイトエンドとして活躍。弟の勝児は慶応(神奈川)で昨夏の日本一に輝くなど2度の甲子園出場。1メートル86、90キロ。右投げ右打ち。
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