ネコはコワイ
小さいころからイヌ派だった私が、一匹のネコに溺れて行く様を書きました。
***
わが家には推定十歳になる、まるという名の三毛ネコがいます。
ネコは何を考えているのかわからないからコワイ、私は長年そう信じ切っていました。まるに会うまでは。
十年前のある夏の日のことです。
台所で洗い物をしていた私の耳に、まるでその日訪ねて来ることが決まっていたかのように、人懐こく鳴くネコの声がしました。
ドアをノックするようにくり返すその声に、私はほんの少し興味を持ちながらも完全無視を決行。なんといっても、ネコはコワイのですから。
しかしその声は止まず、あまりのしつこさに、
「しつこいニャァ」と、ついネコ語が口から出てしまいました。
すると、ネコはそれを見透かしたように、さらにツヤのある耳ざわりのいい声で何度も鳴くのです。
声はさっきよりも一オクターブ上がり、ドア越しに立つ私の足元にすり寄って来るようでした。
聞いているうちに、私はムズムズと我慢できなくなり、どんなネコが鳴いているのか見てみたくなりました。
そおっとお勝手の窓を開けて外を見ると、そこにいたのはみすぼらしい三毛猫です。
私には三毛猫がほとんど雌であることの知識はありました。
彼女は、内臓がぺちゃんこになっているのではないかと思うほどに痩せこけ、毛並みも薄汚れてパサパサに乾き、その姿はまるで使い古された雑巾のようです。
甘くねだるような声とは似ても似つかない姿は、ネコ嫌いな私がうろたえるほどでした。
お腹が空いているだろうことは一目瞭然です。
「なぜ突然この家に来たのだろうか?」
不思議に思いながらも、今朝食べ残した食パンの耳を見つけると、私はドアのすき間からネコに差しだしていました。
気持ちの半分、いえ、半分以上、いけないことだとわかっているのに、なぜかそうしなければいけないような気がしたのです。
彼女は背を伸ばし、痩せて棒切れと化した両手を祈るような形にしてパンをつかむと、その場で一心不乱に食べ始めました。その姿は野生の飢えたハンターのようです。
しかし、パンにかじりつく一匹のネコは限りなく無防備にも見え、私は生まれてからこの方、苦手だと思っていた小さな生き物をそっと胸に抱きたい衝動にかられました。
彼女はそんな私の思いを知ってか知らずか、獲物を食べ終わるとこちらに背を向け顔を洗い始めました。
さっきまであんなにすり寄ってきていたのに、私はもう用なしなのか。
まさにその瞬間、ネコのツンデレ具合を初めて目の当たりにしたのです。そして、ネコの気まぐれな態度に免疫のない私は、そのツンデレの罠にまんまとハマっていったのでした。
当然と言えば当然ですが、エサをもらえることがわかるとネコは毎日来るようになりました。
元々が動物好きの私は、彼女に会うたび犬とは違うその習性に心を奪われていきました。
何を考えているかわからないからコワイと思っていた気持ちが、何を考えているかわからないのがイイに変化していったのです。
初めての日から数えて三日目に、パンの耳はキャットフードになり、さらに一週間後には、まるという名前で呼び始め、さらにさらに数日後には、とうとう家に迎え入れることになりました。
こうして私は、長い間コワイと思っていたネコを飼うことになったのです。
現在、六キロという幸せのお肉を身にまとう我が家のまる。
その背中をなでながら、あの日私はまるに選ばれたのだ、そう悦に入ることがある反面、そんなふうに思わせるネコはやっぱりコワイ、と思ったりもするのです。
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