#2 バランスを見極める
みなさん、こんばんは🌙
昨日の続きを、またポチポチと書いていこうと思います。
昨日はみなさんに、
どのような教育が行われ、
どのような子どもたちの姿がありますか?
という質問をしたと思います。
きっと、それぞれにいろいろな答えがありますよね。
みなさんはどんな答えが浮かびましたか?
私は肌感覚で、
教師主体で子どもがやらされている勉強が、
以前として数多くあるのではないかなあと感じています。
お気づきでしょうか?
私は今、あえて勉強という言葉を使いました。
みなさんの答えに勉強という言葉が含まれていたのなら、
ちょっと立ち止まって考えてもらいたいことがあるんです。
それは、勉強と学びの違いについてです。
勉強と学びの違いについて
どういうこと?一緒じゃないの?と
思われるかもしれませんが、
私たち教師は、この2つの言葉を
自覚的に、すみ分けて、
理解する必要があると思っています。
インターネットで検索すると、
佐賀県立唐津西高等学校さんのHPを見つけました。
そこには、
とあります。
つまり、ちょっと大袈裟に言うと、
勉強=教師が主体となって進められ、
子どもは強制的にやらされるもの。
学び=子どもが主体的に行うもの。
と解釈することもできます。
どっちがいい?どっちが悪い?
先ほどの表現だと、
学びはいい!勉強はだめ!
と感じますよね。
でも、ちがう。そうじゃない。
私はそう思っています。
どちらのよさも
社会を取り巻く物事の多くは複雑で、
AかBを問われたときに、
短絡的にどちらか一方を選択するだけでは
やや安直な場合もありますよね。
この場合もそうで、
勉強にも学びにもそれぞれの良さが
やっぱりある気がするのです。
勉強とは子どもがやらされる。
つまり、
それだけ身につける価値があるものや
しっかり習得して欲しいものについては、
ある一定の強制力も必要ですよね。
例えば、10より大きな数の概念がない子に、
12+9=○
という問題はいきなり出しませんよね?
きちんと順序があって、
必要な知識について指導し、
それを子どもが習得することによって、
段階的に理解が深まっていく訳です。
ここでは、教師による指導が欠かせません。
ただ、教師による指導だけですと、
教師が教え、
子どもは教えられるという関係が強化され、
昨今問題にもなっている、
子どもの主体性を欠く画一的指導に陥る可能性が出てきます。
そこで、子どもの主体性が尊重された学びが、
同じく大切になってくる訳です。
だから今こそ…
だから今こそ、我々教師に求められるのは、
バランス感だと思うのです。
言わずもがな、
勉強と学びのバランスをとる。
教師目線で語ると、
指導するべき部分と子どもの主体性を尊重する部分。
いかにこのバランスを見極めるか。
どっちかに偏っていないかな?
このようなバランス感覚。
子どもの様子からすると指導が必要だな。
このような見取り力。
ここは子どもの学びを見守ってみよう。
このような柔軟性。
こうしたものが、今の時代に求められる
教師の資質能力なのかなあ。
なんて思うのです。
これは、子どもの成長を願う
保護者のみなさまにも
当てはまるかもしれませんね。
実はこの文章、研修終わりの日付が変わる前に
書いています。
文章がわかりづらい点もあったかと思います。
ご容赦ください。
少しずつ上達できればと思っています。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
もしよかったらまた読んでください。
それではおやすみなさい😴
良い夜を!
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