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正論クソアドバイザーを卒業したい話

こんばんは!土曜日担当のえれなです。

突然ですが!

人の愚痴や相談を聞くのは好きですかーーー!?
でも、的確にアドバイスしたにも関わらず、逆に相手を不快にさせたりうじうじしている相談者にイライラしてしまったこと、ありませんかーーーー!?!?

うぉーーー!!!!!


みんな、一度はありますよね。
あれ、何でなんだろうね。

すばり、そのアドバイスが「正論」だからなんです。え、正論ってつまり「正しいこと」じゃん。間違ってないのに、なんで?

今日は、そんなお話。



正論クソアドバイザーとは


周りにいませんか?
恋人から受けた理不尽や不義理の愚痴や、職場の不満をこぼしたときに、開口一番で「そんなやつ別れなよw」「そんな仕事なんでやってるのwやめなよ」とかクソみたいなアドバイスしてくるやつ。

怒涛の説教付きという地獄のハッピーセットで。


はぁ~~~そういうのじゃねぇんだよな~~~
そう出来てたらとっくにしてるんだわ~
外野が適当なこと言いやがって~愚痴って損した~~~

って、なりますよね。
実は昔の私、この「クソみたいなアドバイスをしちゃう側」だったんです。

名付けて正論クソアドバイザー。思い出すだけで黒歴史。穴があったら入りたい。でも気づきや成長があったから、どうか聞いてくれ。
私の屍を越えていくんだ。。。!!!


「正論」は正しくて、正しくない

禅問答みたいな書き方になってしまいましたね。これはどういうことか。

まずは「正論」の意味を調べる。

正論(せいろん)は、道理を説く論について正しいものであると評価する呼び方である。

事実に関する議論や認識論について用いられることはあまりなく、ほとんどの場合が「**であるべきだ」という当為についての論である。

そのため、論の対象は道徳、倫理や規範、政策など、公共的な要素をもつものが多い。ゆえに、公共に資する論でなければ正しいとはされない。

フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)


正論は正しい、辞書にもWikipediaにもそう書いてあるし。でも、その正しいの基準は何なのか。
↑を見ると、正論を言っている自分の視点と価値観からだと言えそうです。ということは、違う視点や価値観から見れば正しさの基準は変わってくるのかも。。。!?と気づきます。

でも、「それが正しい」「相手のためだ」思うほどそれに固執してしまいます。それが、いわゆる正論(あくまでも自分にとっての)ってやつになるわけです。

さて、質問です。

ご自身は以下に当てはまるものはいくつあるでしょうか。正論ばかり言っちゃう自覚がある人、心当たりあるんじゃないかな。

①納得がいかない時は、相手が誰でもすぐに反論する
②自分が正しければ、言いにくいこともはっきり言う
③自分が悪くないのに、謝ることはできない
④正しいことを言っているのに、相手を怒らせてしまうことがある
⑤自分のほうが正しいと思う時は、決して譲らない
⑥相手を論破して気まずくなることがある
⑦納得のいかない指示には従えない

  昔の私はいくつか?全部だよ、全部!何なら今も気持ちだけはそうだよ!笑

↑のチェックリストの「正しい」のジャッジはすべて自分がしているということに気づくのが大事。「合理的」なんて自分の正論をもっともらしくするオプションに過ぎないことにも!


つまりこういうことだねーーー


私も正論言っちゃう側の愚痴を聞くことがあります。「正論言ってるのに逆ギレされてさぁ」の中身を聞くと、「え、お前も結構めちゃくちゃな事言ってるぞ」と思わされるもの、あります。

でも、自分の意見は間違っている、非合理的であるなんて思っている人はいないから、やっぱり人の数だけ「正論」があるということなんだね。


アドバイスは求められて初めてできるもの


そもそも「求められてないときはアドバイスしない」ほうがいい。
してしまう人は、相手へのマウンティングの延長でやっていることを自覚したほうがいい(自分の古傷がえぐられるー!いっそ殺してくれ!ーー!!!

アドバイスされた側は
「別にアドバイスが欲しいわけじゃないのに、いきなり説教されて正直ウザい」
↑相手は表に出さずとも、内心こう思ってる。まじで。

アドバイスした側はというと、
「あなたのためを思ってアドバイスしたのに、なんで理解・実践してくれないんだ」と苛立ったり、戸惑ったりする。

こちら側は「相手にもっといい人生を送ってもらいたい」という善意の気持ちを持ってするんだけれど、かえって自分の感情にとっても逆効果になっているわけですね。

そ、そういえば実践してもらえなかったアドバイスはそもそも求められてなかったなあ(小声)
勝手にアドバイスして勝手に失望してた自分、もはや当たり屋である。

これは本当に誰も幸せにならない。やめておけ。状況を見誤ってはいけない。今なら引き返せる。
アドバイスは求められて初めてできるものと心得よう!


それでも「正論」を届けたいとき


とはいえ!!!
大切な人が無自覚に泥船に乗って、笑顔で水の底に沈んでいきそうなシチュエーションってありますよね!!!!!これはさすがに放っておいたらまずい、そんなとき、ありますよね。

そんな時は面倒くさがらずに、自分の正論を「ラッピング」して、真正面から叩きつけるのを避けよう。

目的は「正論(なはず)の自分の意見に耳を傾けてもらうこと」なんだから、最短距離目指して横着してはダメで、目的を達成できるように策を講じるのだ。。。

以下は私が使ってる「ラッピング」素材です。
届けたい思いはプレゼントと同じように綺麗にラッピングして下準備をしよう。多分他にもやりようあると思いますが、いいのがあったら教えてください。

・共感
もうまずはめっちゃ話聞く。そうだねえ、辛かったねえ、頑張ったねえ、とか共感の相槌のみ返しながら。人は無限に独り言を言えないので、力尽きるまで無言の時間が訪れるまで聞き手に徹して待つ。(クレーム対応の現場でも役立つよ!!!笑
言い返したくなるけど、茶々を入れたくなるけど、相手が言いたいことを言いきって、こちらにチャンスが来るのを待つ。

・自分の感情
友人が悪い男に捕まってしまって、別れられないでいるとき
⇒「大事にされてないんだよ、そんな男とっとと捨てちまいな!」と言いたいところだけど、「大事な人だから悩むよね、でも私は自分の大事な友達が蔑ろにされているように感じて、許せないなぁ」という気持ちを添える。
これはあくまでトークのきっかけ。正面から論破しようとしないこと。北風と太陽って童話とおんなじ。

・相手の許可
意見を求められてないけど、どうしても言いたい!時の最終奥義
↑を一通りこなしたあと、「私の意見を言ってもいいかな?」と相手の許可を求めてその後は手短に。食いついてきたら深く話をしてもいいね!
許可した手前、「ある程度は聞かなきゃな」という気持ちになってくれる。

そもそもこの話の主人公は話している相手方本人だよね!と思うことができれば、自然とこういう立ち振る舞いになるんだと思う。
所詮、アドバイスする自分は無責任な外野なんだから。相手を軽んじずに、あくまで相手の人生にとって自分の意見は添え物、チャーハンの上のネギくらいに思っておけばいい。

※でも、一緒に仕事をするとか"同じ船に乗っている"ならまた少しアプローチが違ってくる。。。かな!?


おわりに

直近で、近い友人に対し「昔の自分を見ているようだなぁ~~~」と思うことがあったので、その勢いでこのテーマを選んでみました。

昔は尖っている自分が好きだった。空気を読まずに的確なこと(自分的には)を言っていたつもりだったし、多分うっすらと「私の言うことをもっと聞けばいいのに」と相手を見下したりしていたんだろうな。(反省ぃぃいいいい

そして、その過去を猛省して「正論クソアドバイザーを卒業したい!」と思いつつも、最後に自分のことと、正論クソアドバイザーのみんなを褒めちゃいますね。
こういう傾向の人って、「面倒見がいい、人のことを放っておけない、正義感が強い、白黒はっきりつけたい、物事に合理的な着地を求める」など長所は一応あるんですよ。我ながら、ナチュラルボーンいいやつなんだと思います。(熱い自画自賛!

ただ、それをうまく発揮されない立ち振る舞いをしてしまうだけで、たくさんの人を幸せにできる機会を逃してきたんじゃないか。。。!?この才能は、もっと活かすことが出来たんじゃないか。。。!?と。


ちょっと時間がかかったけど、とりあえずここまで辿り着けた。人生は日々成長の連続ですね。

みんなで長所、伸ばしていこうねー!

つらつら書いたこと、後からググったらマイナビのいい記事見つけたので貼ります!わかりやすくまとめられてて、悔しすぎるーーー!!!笑
ぜひ合わせて読んでいただけたらと思います。



明日は日曜日担当のしげちゃん!
お楽しみに❤️

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