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映画『ファントム・スレッド』から考える、NewsPicks「さよなら、おっさん。」

日経新聞にNewspicksが掲載した広告が話題になっている。

おっさん=年齢や性別で考えるのではなく、”おっさん”=この国の凝り固まった価値観やルールとしており、
「”おっさん”に負けないためには、おっさんから脱却するためにはNewspicksを読もう!」という、日経読者に向けた広告だ。

私がこの広告を見て思ったことは、
「「さよなら、おっさん」をという煽りを見てビクッとし、慌ててNewpicksを使い始める人(今回の場合は日経読者=多くは年齢的な意味で”おっさん”)は、”おっさん”を脱却できるのだろうか」
ということだ。

日経に「今知るべき情報と生の意見」が掲載されていないかというとそうではない。
結局、価値観が凝り固まって変化しようと思っていないことが問題なのであって、その状態の人は、どんな新しく斬新な情報に触れたからといって”おっさん脱却”をすることはできないだろう。
逆に、「最先端の情報に触れている」という考えが強くなり、より一層思考停止状態に陥ってしまう可能性さえある。

本来、人間は本能的に「自己保存」をしようとする生き物なので、自らにとって無難な経験則のある”おっさん”はどうしても変化をしようとしない。

ではどうすれば”おっさん脱却”をできるのか、
先日鑑賞した『ファントム・スレッド』という映画が良いケースになるので取り上げたい。

舞台は1950年台のロンドン。
オートクチュール仕立て屋の第一人者レイノルズ・ウッドコックが、たまたま入ったレストランのウェイトレスであるアルマと恋に落ちる話だ。

レイノルズは長らく同じやり方で高級なドレスを制作してきており、クオリティを維持するために規律に厳しく、変化をすることを拒む。
アルマが朝食時間に発するパンにバターを塗る音さえも「気が散る、黙れ」というほどだ。
そんなレイノルズは、Newspicksの広告の言うところの”おっさん”である。

刻々と流行は変わっていき、レイノルズが作る服よりもよりカジュアルな服が着られるようになる。
レイノルズの元から従業員が去る事態もおき、レイノルズは彼を支える姉シリルに事態を嘆く。

「シック!何がシックだ!そんなもの処刑してしまえ!」

強い言葉を使うものの、自分の作るものに強い自信を持つ彼には、時代の流れに乗り切れないのは耐えることができない。

「この家から死の匂いがする。それを耐えることができない」

そこにつけこむのが、仕事にしか目が向かないレイノルズを独占したいアルマである。
とある常識を逸脱したことを行い、レイノルズの心を奪う。

途中でレイノルズはアルマの常識を逸脱した行為に気づくものの、それを拒まない。

なぜか。

それは、彼は死の匂いに耐えられない一方で、体が変化を拒んでいるかだ。
意思でどうにもならない時に彼がとった選択肢は、アルマという劇薬を受け入れることだ。
劇薬である彼女を受け入れることで、無理やり自信に変化を起こさせようとしたのだ。

彼の、並々ならぬプロ意識、良い服を提供するという使命感、プライドの高さによる選択である。

社会的な地位も高く、気品もあるレイノルズだが、変化を拒むという点において、紛れもなく”おっさん”だった。レイノルズが、目を通す媒体を繊維新聞からファッション雑誌に変えたところで、おそらく彼のシックな装いへの拒絶感はなくならない。

そんな彼が”おっさん”から脱却することができたのは、彼のプロ意識や使命感によるものである。

『ファントム・スレッド』から私が導いた答えは、
”おっさん”から脱却するには情報や価値観を吸収するだけでは不十分で、
「いつしか諦めてしまった”おっさん”のプロ意識や使命感の回復」が必要だということだった。

あとは、Newspicks広告のターゲットである日経読者がこの広告を見てどう感じたのか興味があるが、今後反響が出てくることだろう。

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