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cosMo信者は「Idola」をどう解釈したか

https://m.youtube.com/watch?v=W1NmjkZOf2w

こんにちは、cosMo信者です。
本当は書く気なかったんですが、書くなら今しかないなと思って慌てて2日で書き殴りました。
書く気がなかったというのは、そもそも私がwac氏の曲をアルバム「音楽」に毛が生えた程度しか聴いていないし、歌詞も把握してないし、BEMANIもやってないため、片手落ちどころの騒ぎではないというのが一点。
そしていくら意識されているとはいえある方の曲を別の方に引き寄せて語る以上、考察と呼ぶにはちょっと根拠が薄い話を延々とすることになるというのがもう一点です。
なのでIdolaの歌詞を全てcosMo側の文脈として一旦捉え、かつ好き勝手なお気持ちベースで展開する感じの記事に……しようかなと思ってたんですが。
一介のボカロ聴きとして、GUMI誕生祭書き下ろし曲にそれだけというのもどうかと思ったので、「VOCALOIDイメージソング」としての解釈も消失シリーズを引き合いに一緒に考えていきます。
「いちcosMo狂信者はこう感じていました」程度に捉えていただけるとありがたいです。
あ、激唱ニエンテ騒動とかについては今更説明しません。その話は全然しませんので知らなくても読めます。cosMoは元々wac氏の大ファンだったということだけ頭に置いていただければ十分です。


先に結論を一言で申し上げますと、「だからあたしが何度でも滅ぼしてあげる」に救いを見出した、というのが私の見解です。

では、初めから歌詞を見ていきます。

星の気まぐれが 離散する地平のかなた
沈黙をたべて 君は生まれた

cosMoにとって星というモチーフは「星ノ少女ト幻奏楽土」というシリーズで扱ってはいますが、ここで言及されているのは多分その話ではなく、cosMoという名前そのものの方でしょう。
この2行は全体としてビッグバンの暗示であり、すなわち宇宙の始まり=cosMoのことを指しています。
(※この先全てこの調子で言い切ります)
それと共に、「沈黙」をneu、「君」を激唱として捉えることも可能でしょう。
またこの曲はGUMI誕生祭への書き下ろしであり、GUMIひいてはVOCALOIDの誕生の瞬間、とも取れます。一般的解釈はこれじゃないかな。
参考に当時の特集ページのリンクを改めて貼っておきます。

生まれいづる 奇跡を得た
すべての命に 祝福を!
命なき全てのイドラに 告別を!

2行目までは生まれることへの祝福、しかし3行目がやや不穏です。
イドラとは元々物事を観察する際に注意すべき「先入観」の意だそうですが(Wikipedia)、この曲に関しては素直に「偶像」の意で良いでしょう。
3行目を消失シリーズ人気曲「」などに即して考えるならば、「命なきイドラ」とは「歌うための楽器」のことと思われます。
パッケージにキャラクターが描かれず、ただ無色のボイスバンクとして扱われる可能性。VY1とかに近いでしょうか。
VOCALOID、この場合はGUMIとしての人格を得るということは、その可能性を捨てるということでもあります。故に、その可能性への「告別」。
そして消失シリーズ文脈で言うなら、その「生を得る奇跡」は「死」を得ることと同義です。
あと、「生を得る奇跡」というとそのものズバリの曲もありますね。最近プロセカにも収録された「ココロ」です(※トラボルタPの曲です)
まあ一方で「君が生きてなくてよかった」とかもあるんですけども。(※こちらはピノキオピー)

虚空に貼り付いた
うた 引き剥がしたって
見つかるのは 自分なんだ
あきらめようか
全ての 言葉と
全ての旋律は鳴った

中世では星が天球に張り付いていて地球を回っていると信じられていたそうです。
前半部分の解釈が難しいので最後から切り崩します。
「全ての言葉と全ての旋律は鳴った」つまり全ての歌詞とメロディーです。
「GUMIが活躍する機は満ちた!」的に解釈することも可能ですが、直前の「あきらめ」と結びつけるなら、対応するcosMo曲が2つ考えられます。

世界は音楽に溢れた 正直言って溢れすぎた
もう誰も音楽に期待などしていなかった

ディストピア・ロックヒーロー

もう音楽は十分揃い 新しいものは要らないと叫ぶ

終点

2曲の結論は違うのですが、この部分だけ見れば同じ文意と見て良いでしょう。
では「あきらめ」とは何か。それは「自分は自分でしかない」すなわち「完全に新しい何かなんて作れない」ではないでしょうか。

これを激唱リスペクトの件への「慰め」というある種邪悪な解釈もできますが、これはもう少し広く、上に挙げた二曲にも繋がる「らしさの呪縛」へのアンサーではないかと考えます。
cosMoはcosMoらしさ、ということに大変苦しんでいた時期があり、ちょうどIdolaの制作・発表時期はその最盛期にあたります(いちリスナーとしてはそのように見えます)。
「虚空に張り付いたうた引き剥が」す、というのはその呪縛を無理矢理解こうとすること、と考えればそれなりに筋が通ります。
この辺の話は過去記事で詳しくやったので興味のある方は一読下さい。

VOCALOIDイメージソングとしては「戸惑」「分裂→破壊」などを踏まえて
「別の誰かが歌っているかのような全く違う曲たちもただ調整が違うだけで結局全て君が歌っている」
「あらゆる言葉とあらゆるメロディーが(君が望まずとも)君によって鳴らされる」
あたりが考えられますが……ちょっと強引ですかね。

次々に 生まれてく あたしたち
明日と 昨日に からめられながら
意味を喪くした うたに
せめて名前をつけてあげる
かりそめの名を

こちらは逆にcosMo文脈だと後半がふわふわしすぎるのでボカロ文脈の方を考えます。

次々に生まれるVOCALOIDとは、文字通り新たなキャラクターが生み出されることと、新たな曲が作られることの2つが考えられます。
それらによって各VOCALOIDには聴き手・作り手からイメージが付与されていきます。一度付与されたイメージは多少上塗りされることはあれど、完全に消えることはありません。「昨日」を良くも悪くも無視できないものです。それによって「明日」が作られます。
まあ、ここの昨日と明日はneuとuənかなとは思ってるんですが。

「かりそめの名」はVOCALOIDがかつて熱狂的ファン以外からは「所詮仮歌ツール止まりの紛い物」のように見られたことからかと思います。
「意味を喪くした」は歌う者がいなかったために完成しなかったボーカル曲、と解釈します。
金銭・コミュ力・時間がかかるために敷居が高かったボーカル曲作成を一気に普及させた、というのはVOCALOIDの意義の一つとしてよく語られることでもあります。
また前段の「全ての言葉と全ての旋律は鳴った」を踏まえて「最早作る意味もない曲でもせめて世に出してあげる」とも取れます。
ボカロ曲である、ということはそれだけで、特にボカロタグ全曲巡回勢が存在するニコニコ動画においては、わずかでも再生数を伸ばすきっかけになります。またその中でもGUMIを使用するということはGUMIファンを呼び込むきっかけになります。要は聴いてもらえる取っ掛かりが一つ増えるということです。

おはよう せかい
あたらしいおもちゃです
リズムにあわせ わんつー わんつー
メロディかなで ららららら

オタクの新しいオモチャであるVOCALOIDがボカロPの調教に合わせて歌うさま。
最近のcosMo曲である「マシンガンポエムドール」の文脈を持ち出せば「VOCALOID」ではなく「プレイヤー」や「コンポーザー」なのでは、という深読みもできますが、流石に穿ち過ぎでしょうか。

どうせ
あばれたって きえたって うたいさけんだって
せかいはかわらないんだ

暴走、消失、激唱。全部cosMoの消失シリーズ代表曲です。ここの引用は有名ですね。
ただここに続くのが「世界は変わらないんだ」であり、これって遠回しなdisなのでは? と疑問に思うコメントも以前見かけた覚えがあります。
しかし、何をしようが世界は変わらなかった、というのは真実です。激唱は消失シリーズTrueルートの結論曲ですが、その実態は「現状肯定」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。それ以上(=初音ミクが語り継がれる創造神になること)を求めることは間違いだった、だからといって現状を悲観する必要もなかった、と明言する、それだけの歌です。
そして続くサビの入りがこれです。

だからあたしが 何度でも滅ぼしてあげる

冒頭で述べたように、これはcosMoにとっての救いだと思っています
前段を考えるとこの「あたし」はcosMoではありません。
じゃあ誰のことなのか。「次々に生まれてくあたしたち」から考えればVOCALOID、とするのが妥当のようにも思えますが、「明日と昨日にからめられ」「リズムにあわせ」歌う彼女らにそんなことができるのか?
そもそも暴走・消失・激唱も体裁としてはVOCALOID初音ミクが自分の気持ちを歌っている楽曲なわけです。
となるとこの状況で世界を何度でも滅ぼせるのはcosMoでも、VOCALOIDでもない、別の第三者である。
勝手ながら、これはwac氏本人、ないしiconoclasmのことではないか? と私は思っています。
変わらない現状、変わらないレッテル、変わらない偶像を「何度でも」滅ぼしてくれる、これほどの安心感があるでしょうか。
Don't be you and me、というのは、cosMo文脈においてはいつだってやり直せる、という救いなのです。

補足するとcosMoにも「何度だってやり直せるだろう」とか、「世界うまくいかないから壊すね(意訳)」とかやってる曲もあります。
cosMoの別名義である「黒猫アンティーク」がそれです。
雑に言うと、暴走・消失・激唱を描いた暴走Pとこの黒猫アンティークは完全に別物と捉えた方がいい節があります。
それでいくと「あたし」は黒猫アンティークなのでは? というのも一瞬考えたのですが、「ボカロの世界へのアンサー」というコメントからはかなり外れてしまいますし、どちらかというと同じアプローチをしている、と考えた方がしっくりくると思います。あと夢があります。

結論は書いたのであとはさらっといきます。

物語が続く限り あたらしい君が
また生まれてくるでしょう

この君はcosMoでもVOCALOIDでもどちらでも良いでしょう。
ここも「次々に生まれてくあたしたち」→「君」に変わっているので、前段の一人称の中身違いも説得力があるかなと。

いつまでも 待っててあげる
約束の地で 
喜びのうた つなぐ言葉
あたらしいメロディ 全てを君に託して

そうして約束の地がこういうのとかこういうのなのであれば、もうcosMo信者としては感無量なのです。

星が降りそそぐ 量子と魔法のいたずらで
キラキラと ずっと だましつづけて

量子と魔法はwac氏側の該当曲もあると思いますが、cosMoも波動関数をタイトルに関した曲があったり魔法少女♂を名乗ってたりと結構馴染みのあるモチーフです。
とはいえ「いたずらのようなものだった」というコメントも見ているので、wac氏側の文脈を見た方がすっきりするとは思います。

……だからwac氏のファンや信者の有識者はそちら文脈の記事書いてくれ! 頼む!!!

ということで、後半駆け足になりましたが一通りの見解を語らせていただきました。
やっぱり片手落ち感がすごいですねこれ。
でもとりあえず長年「Idolaは…やべーの! こう……とにかくcosMoファンは聴いて!」とかふわっふわな布教をしていた状況に一旦決着がつけられたかなと思います。
ちなみにIdolaについてcosMoは当時個人の生放送で質問された時「自分から何か言うようなことはないので…」と恐れ多いような感じだったと記憶していますし、レスポンス曲とかも特に発表されていませんが、強いて個人的に一つ選ぶとするなら「初音天地開闢神話」がそれっぽいかなと思います。興味がおありでしたらお聴き下さい。
逆にwac氏側の文脈もいっぱい知りたいのでとっかかりなどあればご教授いただけるとありがたいです。まずは歌詞考察からか…
あとcosMoの◯◯はwacの◯◯のリスペクトみたいな話は無限に聴きたいので教えていただけると命が助かります。
知ってる中だと「冒険少女と箱庭遊戯」が明らかに「garden」って知ってめっちゃ笑いました。モロじゃねーか!

それでは皆様良いVOCALOIDライフ、良い音ゲーライフを。