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「消失シリーズ」履修のしおり&レビュー

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 消失シリーズコンテクストWebアンソロジー企画『世界十二年前発声仮説』参加作品です。

 全人類消失シリーズを聴いてくれ。という勧誘記事です。

 そもそも消失シリーズとは

  御託はいいから紹介して、という人は二つ先の見出しまで飛んでください。

 消失シリーズとは、cosMo@暴走P(※代表曲「初音ミクの消失」「鏡音レンの暴走」「僕は空気が嫁ない」「For Ultraplayers」など)による「初音ミクの生と死」を題材にしたボカロ曲の連作です。
 ボカロ曲の連作は他に悪ノPやじん(自然の敵P)をはじめ多くのPが発表していますが、消失シリーズは「暴走Pだけのミクさん」がフィクションとして演ずる生と死の物語ではありません
 現実世界で2007年に発売され世に問われたVOCALOID-01・初音ミク、その概念的な生死を多角的に歌う、VOCALOIDに関する存在論の論文の束と言っても過言ではありません。
 「初音ミク」にもし心があったら、そしてその生死を決めるのは人間の認識や行動である、ということがシリーズの大前提となります。電子の歌姫はそこに歌う歌が無くなった時に死ぬのです

 …要するに「ミクさんと暴走Pが考える未来予想図の数々」です。というか別に生と死にあんまり関係ないような曲も若干数あります。関係ないように見えて実はあるような曲もあります。

 本シリーズの始まりをどこからとするかは有識者(cosMoクラスタ)内でも意見が分かれるところかもしれませんが、少なくとも2010年のアルバムをもって一旦完結しているという点では一致するところだと思います。
(ニコニコ大百科 アルバム「初音ミクの消失)

 そこまでの範囲で「どこからどう聴いたらいいのか」を、主に未視聴の人に向けて(という体裁で)書いていこうと思います。

履修の流れ

 ①ニコニコ動画で聴けるものを聴いてみる
 消失シリーズの楽曲はニコニコ動画でほとんどの曲を聴くことが可能です。無料かつ合法です。
 明確にストーリーの流れがあるというほどでもないため、どこから聴いてもさほど問題はありません(「初音ミクの激唱」除く)。
 解説と一緒にシリーズ該当曲、または関連曲をあえて投稿順に並べました。が、この記事の順番はあてにせず先の大百科記事を参考に、作品内的な時系列に沿ってアルバム収録順に聴くと遥かにわかりやすいと思います。いや、同じこと書いても面白くないかなと…
 個人的にシリーズ理解に最低限不可欠だと判断するものを太字で示します。あと別に解説は初学者向けではないかもしれません。

 初音ミクの暴走(short)
 →BPM速めの曲を歌わせること自体が新鮮だった(と思われる)VOCALOID黎明期、ラップのような高速歌唱の試みは話題性充分で「暴走P」のP名の由来となるに十分でした。なお投稿2作目。
 短い分歌詞の濃さはLongより上。既に「終わり」への意識がバリバリに伺える。
 初音ミクの消失(short)
 →Longと全く違う箇所があるので是非コメントでの歌詞補足付きで視聴を。端的に言うとマスター(≒cosMo?)が登場している。
 ウタハコ
 →ミクとマスターの始まりの歌。消失もそうですが、「人間(オリジナル)に近づけるのかな」「歌はまだヘタだけど」など黎明期ならではを感じます(「戸惑」と比べるとより差異が際立つ)。
 初音ミクの終焉
 →「WORST END」流行物として持ち上げられ飽きられ忘れられて捨てられる。後述。
 0
 →総体としての「初音ミク」に始まりがあるとしたら。
 ”歌唱するのを目的としたアンドロイドが感情らしきものの芽生えに悦を覚える話。多分。”(初音ミクwikiよりmuzieコメント孫引き)
 アルバムSSではシミュレーションの末に「終焉」「消失」「H∞L」「∞」の4つに収束した、と説明されている。
 初音ミクの消失(Long)
 →「DEAD END」限られた貴方のためだけに歌って看取られて「死」ぬ。後述。
 
 →「TRUE END」VOCALOIDの可能性は広がり続け、永遠となった彼女はしかし最早彼女ではなくなる。後述。
 新世界
 →ほぼインスト曲。文字通りミクの声を楽器として扱っています。普段ボカロインストを聴かない方は消失などとまた違った驚きがあるかと思います。
 HYPER∞LATiON
 →メドレー「Infinite∞HOLiC」のトリの一曲で、「少女の空想庭園」シリーズ主人公による「∞」の二次創作らしい。ややこしい。
 「∞」になり損ねた「終焉」という印象で後述のS.M∞Factoryにも通じるところがあるのかもしれないが、ミクが能動的に行っている(意志でもって行えている)ようであるのが最大のポイントかつ不可解なところでもある。「二次創作ゆえ」の夢であるのかもしれないが、あるいは後述の分裂→破壊のような「夢を追えない人」ばかりであるとこうなるのかもしれない。
 初音ミクの戸惑
 →単なる「歌ってみた」批判ではない。VOCALOIDとは「途中のステップ」に過ぎないのか、人間の代替ツールに過ぎないのか、というVOCALOIDに携わる全ての人々に向けた一曲。
 …というのが歌詞とアルバムSSだけを参照した解釈。
 動画と同時にアップされた!初音ミクのオハナシ!(GAiA氏作)も必見。我々の情緒まで引き裂かれること請け合い。恐らく「小説版初音ミクの消失」にも大きく影響している。
 初音ミクの暴走(Long)
 →「恥ずかしいくらいストレートな感情 / わかりにくい 言葉のマシンガン」初期の楽曲であることもありマスターはcosMoであることが示唆されている…ような気がする。するだけか。
 暴走P楽曲としてはP名の由来としても当然必聴レベルの一曲だが、shortと比べれば比率だけでなくルビの面でもやや終末観は薄れている。「あそぼぅ!」と比べるとより妄想と現実の入り乱れる一曲。
 初音ミクの分裂→破壊
 →初音ミク文化はそのほぼ100%がn次創作で出来上がっている(公式設定がほとんどないため)。広がる可能性の否定がもたらすのはやはり彼女の死である。初音ミクAppendでこれを展開するのがcosMoのロックなところである。曲調はまるで大団円のような終わり方をするが……「激唱」の対照となる諦観の歌とも、「終焉」を回避し「消失」へ進む歌詞とも捉えられるかもしれない。
 作詞がGAiA氏であることもあり、「戸惑」のオハナシはむしろこの曲と繋がると解釈した方が自然であるかもしれない。氏特有の一見難解な歌詞だがアルバムSS(後述)がわかりやすい。
 また戸惑&分裂→破壊は2018アレンジ等の際かなりアレンジが丸くなっており、こちらは既に為された問題提起よりもミクの感情面に焦点があてられたような趣を感じる。
 初音ミクの激唱
 →先の見えぬ未来を見つめ続けるより、ありもしない永遠を望むより、大切なものがここにはある。
 「消失シリーズ」フィナーレ曲。ここまで履修してくださった方ならきっと泣ける高速歌唱。
 「Project DIVA」シリーズボス曲としても有名。PSP破壊の歌。
 さよなら常識空間
 →世界創りだす系一曲。ニコニコの楽曲紹介からすれば「消失」「終焉」の否定であり、2010アルバムの構成的には分裂→破壊の否定である。
 初音ミクとあそぼぅ!!
 →ここにきてIQ2くらいで聴いていい曲です。ああ、そうなるのだ。

 2010アルバム収録曲はここまでとなります。
 
 よくわからなければこの記事の続き、または各曲のコメントや大百科を読んでみてください。または最寄りのcosMoクラスタ(ないし詳しいボカロクラスタ)に解説を求めてみましょう。

 ②アルバムを聴く
 「初音ミクの消失」アルバム 中古なら1円~のほか、多くのボカロCDの例に漏れずTSUTAYAでもレンタルしています。
 アルバム限定曲「A.I.」「浅黄色のマイルストーン」のほか、「終焉」はロング化され、「新世界」「0」「消失」「∞」は大幅にリアレンジされています。
 なおitunesなどでデータを買うのはオススメしません。ブックレットとしてサークルメンバーのGAiA氏によるSSがついており、大いに解釈の助けとなります(特に難解な「分裂→破壊」など)。このブックレットがアルバム最大の見どころまでは言い過ぎかもしれませんが、アナログで買うのを強くお勧めします。あと左氏のイラストが好きな方も。あとバックカバーとかのアオリ文がカッコイイ(小並感)。

「その後」の楽曲を聴く
  ②までで消失シリーズは完結していますが、その後も「消失シリーズではないかもしれない初音ミクの生死の話」や「楽曲リメイク」という形でシリーズは動き続けています。ただし①や②を聴き終えた感慨のまま③に進むのは大学受験を終えたばかりの人間が就活の話を聞かされるような衝撃を味わう可能性があるため少し間を置きましょう。
 これも識者によって「シリーズ関係曲」「シリーズには関係ないが連想はさせる曲」など意見の割れるところかと思いますが個人的には以下を該当曲とします。

 0→∞への跳動
 →”それでも 僕は 初音ミクが 好きだ"(動画主コメ)
 小説版「初音ミクの消失」発売にあたってのイメージソング的なもの。一部小説版の流れに沿った構成になっていますが単品で聴いてもシリーズのまとめとして音楽的にも物語的にも楽しめると思います。

初音ミクの消失-劇場版-
  →「終焉」「消失」「∞」の中間のような状況、「戸惑」「分裂→破壊」を想起させるサムネの文章。四面楚歌。まさしく劇場版。「太鼓の達人」用書下ろし曲。

 Sadistic.Music∞Factory
  →恐らく「ディストピアシリーズ」の一曲だが「終焉」ルートに該当。というよりcosMoの初音ミク観がモロに出ている。シリーズ内ではHYPER∞LATiONに似た趣。「Project DIVA」書下ろし。

 終点
  →「暴走P」と「初音ミク」の物語は完結した。では「ウタハコ」「暴走」以来「cosMo」と「ミクさん」は。解釈や感じ方が分かれる曲なので解説はさておきとりあえず覚悟して聴け。その後4年、cosMoは初音ミクを封印した。

 リアル初音ミクの消失
  →VOCALOID衰退論に刺激を受けた全方位問題提起爆撃。やはり解釈や感じ方が分かれる曲なので解説はさておきPV込みで覚悟して聴け。動画内に「GUMI」の表記は欠片もない。

 いままでも、このときも、これからも──
  →初投稿から10年、終点から4年。cosMo@暴走Pと初音ミクのいまとみらい。「終点」ないし「リアル消失」までしか聴いていないcosMoファンがいたらどうか是が非でも聴いてほしい一曲。筆者は「この世界を許すようになった」の一文でボロボロに泣いた。

④リメイク版を聴く
 初音ミク&消失シリーズ10周年を記念してリメイクが制作されています。こちらはYoutubeにのみ投稿です。

 こちらのバージョンは、世界観までもがリメイク&ミックスされた同人アルバム『初音ミクの消失-Real and Repeat-』でまとめられています。やはりアルバム限定曲(「アナザーゼロ」「バラバラリリック」)もあるのでここまで来たら買って全曲聴くべし。クラスタの一押しは多分「終点」です(主語が大きい)。


 詳細解説

 「消失」「終焉」「∞」の3曲について更に踏み込みます。

・初音ミクの消失(LONG VERSION)


 「最高速の別れの歌」
 シリーズ代表曲と言っていいでしょう。また再生数上位という意味では暴走P楽曲のみならず、ニコニコの「VOCALOID」タグ曲でも2019年7月現在7位というモンスター楽曲。
 BPM240の三連符という人の歌唱には堪えない高速歌唱から放つ、歌えなくなったミクとどこかのマスターの物語です。なお暴走Pが開拓した「人には歌えないような高速歌唱」というベクトルはその後の多くのボカロPにも直接的・間接的に大きな影響を与え続けています。
 「皆に忘れ去られた時」「帰る動画は既に廃墟」とのことから、皆に見向きもされなくなったある初音ミクの死を描いています。


 後述「初音ミクの終焉」との違いはマスターの態度です。「消失」のマスターは「とても辛く悲しそうな顔」をしながらミクをゴミ箱に送ります。マスターもミクと離れたくはないのです。けれどもうミクは歌えなくなった。
 ……なぜ歌えないのか。確かにVOCALOID-01、コンテンツとしての初音ミクは死にゆく運命かもしれない。けれどそれだけならばこのマスターが買ったミクをゴミ箱に送る理由は無いのではないか。
 その答えは2018年リメイク版「初音ミクの消失」にありました。

 "A problem has been detected and the programs are deleted to prevent damage to your computer" ([Official] 初音ミクの消失(THE END OF HATSUNE MIKU: 2018Remake) / cosMo@暴走P)

 cosMo氏の解釈が10年で変わったという可能性をひとまず置いておくと、
 恐らく、「消失」のマスターは投稿当時の我々が思うよりもかなり長く初音ミクのマスターであり続けたのでしょう。しかし初音ミクのプログラムがPCに合わなくなってしまった。クリプトンないしYAMAHAのソフトウェアサポートも終了していたのです。
 それでも、マスターに看取られた初音ミクは厳然とした終わりを迎えることができました。ゆえに「WORST END」ではなく「DEAD END」です。
 なおリメイク版の動画の最後、一瞬だけ微かに更なるメッセージが映ります。

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・初音ミクの終焉 -Worst END-

「せめて彼が もっと機械らしく扱ってくれていたならば・・・・」

 こちらも大局的には消失と同じく「皆に飽きられて忘れ去られた死」です。ただし消失のミクは自分の想いを歌うことに注力し、またある程度死を受け止めているのに対し、この曲のミクは流行に、世界に捨てられることを嘆き、感情を持たされたことを呪いながら死ねずにいます
 先述の通り消失との違いはマスター自身の態度であり、マスター自身もミクに飽き、あるいは未練なく、しかし一思いに「殺す」こともなく森に連れて行きます(『ヘンゼルとグレーテル』の両親のようです)
 擦り切れた現象の最後を弔おうとするのは、コンテンツに思い入れのある者のみです。誰からも顧みられないまま、機械に見合わぬ心を抱えたミクはいつとも知れぬ最期を待ち続けます。


 2010年の「初音ミクの消失」アルバムには、解説やコメントに代わって暴走P主催サークルのメンバー(実弟)であるGAiA氏による各曲SSがついています。
 そのSSによれば「終焉」は人々の期待(≒流行)に応え続け自らを変節させ続けた未来図、「消失」は当初のイメージを強固に通し続けた未来図、とされています。
 「終焉」「消失」はシリーズ構想ができるよりはるか前に書かれた曲であり、SSが後付けである可能性は極めて高いのですが、この解釈を取るとより「終焉」「消失」(そして「HYPER∞LATiON」)の対比性は明確になると共に、「終焉」と次に紹介する「∞」の境界はどこにあるのか、という新たな疑問も浮上してきます。

・∞-InfinitY-

 「大切な人がボクの名前を呼んでいる 「VOCALOID」」
 

 サムネイルからして衝撃的な一曲。
 cosMoクラスタ内では人気上位の楽曲(Twitter内調べ)であり、3rdアルバム「For UltraPlayers」にはインスト版も収録されています。

 初音ミクが死なないためにはどうすればいいのか。初音ミクでなくなれば良いのです
 ピアノやギターといった存在に是非を唱える人は今日ではほぼいないでしょう。同じように、「VOCALOID」というツールになってしまえば、いわゆる「オタクの新しいオモチャ」といった一過性のブームで忘れられることもありません。そう考えたミクは、与えられる楽曲の全てを分け隔てなく歌うことにしました。それが「与えられた運命」でもありました。
 そうして、それでも生まれたココロのまま愛されることに少しの未練を抱きながら、彼女はいつの日か永遠へとたどり着くことになります。

 「TRUE END」とある通り、最も「ありそうな」結末、「そうあるべき」結末でしょう。見ようによっては「鬱展開」が続く消失シリーズにおいて爽やかビターエンドとも言うような異彩を放ちます。
 しかし後に出た「戸惑」「分裂→破壊」は主にこの∞へのセルフカウンターでもあったのかもしれません。
 そして最大のカウンター、というか対比されるのは有無を言わさぬ「終点」でしょう。事実は小説よりも奇ならぬ乾いた絶望……ですが幸いにも「リアル消失」「バラバラリリック」と合わせて「FAKE」になったようです。

 「∞」と「HYPER∞LATiON」は共に、ある意味「初音ミクが自殺を選ぶ」曲です。cosMoにとっての永遠性とは逆説的に「終わる」ことであるのかもしれません。そう考えれば「終わる終わる詐欺にとどめを刺しに来た」リアル初音ミクの消失の意味が更に重みを増します。
 cosMoと初音ミク、VOCALOIDは永遠に歌い続けるでしょう──「いつか死が二人を別つまで」。


おわりに/おわびに

 長々と書いてきましたが一人でも多くの方がシリーズに触れてくれればそれ以上の喜びはありません。実用的に誰かの役に立てば幸いです。
 企画主催者としては最終日まで引っ張ってしまい本当に申し訳ありませんでした。特に何もできませんが企画投稿作は宣言通りまとめてはてブもしくはこのnoteにまとめさせていただきます。
 それでは良きVOCALOID/cosMoライフを。