「初音ミクの消失LONG」はなぜヒットしたのか?-曲構成の視点から-
こんばんはcosMo信者です。
今更やるにはすごく大上段の記事タイトルだなと思われた方いるかもしれませんが、大学生の時に(別にVOCALOID関係ない内容の)音楽学の講義で提出したレポートのファイルがついさっき出てきたので最近の怠慢の誤魔化しも兼ねて晒そうというやつです。ボカロ論の講義じゃないからこそ、多少大仰じゃないと点が貰えないかなと思ってこうなったやつですね。
割と頑張って書いたやつなので見てもらおうとは前々から思っていたのですが保存先がわからなくなって3年ほど時が経ってしまった。
noteに載せる上での体裁以外は敢えて手直しせずそのままコピペしています。なので各種データは執筆当時のものになります。伝説入り曲周りの記述が今書き直すと更に長くなってしまうので許してほしい。
ということでいつもより堅苦しい文章になりますがお付き合いいただければ3年前の私も報われると思います。あ、単位はばっちり頂きました対ありでございました。
本題
『初音ミクの消失(LONG VERSION)』はなぜヒットしたのか
-ショートバージョンとの比較から-
1.序論
cosMo(暴走P)は音声合成ソフト「VOCALOID」を使って作曲するいわゆる「ボカロP」の一人であり、初音ミクの登場した2007年当初からボーカロイド楽曲の発表を行っている作曲家の一人である。
彼の代表曲の一つが2008年発表の『初音ミクの消失(LONG VERSION)』である。この曲は毎分240拍の速さで音高を変えずに1拍3連を延々とまくしたてる「高速歌唱」で有名であり、ボーカロイド楽曲史でも度々言及される楽曲である。
しかし、この曲は誕生当初から爆発的なヒット曲だったというわけではない。07年に『初音ミクの消失』いわゆるショート版が発表された際はそれほどの話題を呼んだというほどではなかった。にもかかわらずなぜ、翌年に発表されたロング版は大ヒットとなったのだろうか。
本論では、まずcosMoと『初音ミクの消失』がボーカロイド研究によってどのように評されるかを確認し、ショート版『消失』と『初音ミクの暴走』との関係について述べた後、ロング版との比較を行いたい。
2.本論
2-1.ボーカロイド文化においての言及
柴(2014)は、『千本桜』や『カゲロウデイズ』は、「物語音楽」としての音楽消費のされ方としてだけでなく、2010年代に入ってからのボーカロイドシーンに生まれた新しい潮流の象徴でもあると論じたうえで、cosMoはその流れの大本となる高速曲のパイオニアであり、ボーカロイドによる物語音楽の先駆者の一人でもある、と言及している。
このようにcosMoがボーカロイドを論じる中で言及される場合、性質はどうあれ専ら『初音ミクの消失』の作者としてであると言っても過言ではない。
Wicoff(2013)もやはり『消失』の作者として、cosMoを論じている。(引用部は筆者拙訳)
柴、Wicoff両名が指摘する「人間による模倣が不可能なほど速い歌唱」は『初音ミクの消失』、そしてcosMoのイメージの核心部分を作っていると言っていいだろう。ニコニコ動画内で100万再生以上の動画を彼は5曲(アレンジ違いを含めて6作品)持っているが、その全てが「高速歌唱」部分を含んでいるのもそれを後押しないし裏付けている。
そしてこのような代表曲を持つ彼のジャンルが「電波ソング」と言われる所以は、一般的な特徴づけだけではなく、「最初は理解できないちんぷんかんぷんに聞こえる」常軌を逸した高速性のゆえでもあろう。柴の論じるようにある種彼のフォロワーであるような高速曲は数多く登場し流行となったが、それでも人間に歌えるギリギリのスピードを保っているか、曲中のアクセントとして断続的に扱うことがほとんどである。対してcosMoは『消失』に見られるように人間の歌える速さを無視してほとんど音高を変えず延々とまくしたてたり、あるいは『ANTI THE∞HOLiC』のように極端な音程の上下を伴ったりするなど、一般的な高速曲の潮流から見れば「やりすぎ」の域である。
またBronsonは『初音ミクの消失』を「技術の過剰消費と減価償却」をテーマとした、VOCALOIDによる社会論評曲の一つと位置付けている。
2-2. ショート版『消失』
『初音ミクの消失』は元々2007年11月に2分弱の楽曲として投稿され、その後2008年4月に5分弱の「LONG VERSION」としてリメイクされた。この08年版(以下ロング版)が現在ではニコニコ動画だけでも800万再生を超える大ヒットになり、cosMoの代表曲となっている。
それに比べると07年版(以下ショート版)『消失』は、発表当時それほどの注目を集めたというわけではない。というのも、最初にcosMoが高速歌唱を楽曲に取り入れたのはショート版『消失』ではなく、その約2週間前に発表した(ショート版)『初音ミクの暴走』だったからである。
『初音ミクの暴走』は「アナタ=マスター(ソフトウェアとしての初音ミクの所有者)」と「ボク=初音ミク」を軸に、当時のコアなボーカロイドオタク向けの歌詞をラップなども交えて高速ロックに乗せた楽曲であるが、07年10月末の時点ではまだラップはおろか、ロックを歌わせることすらも珍しい試みであり、充分に前衛的な楽曲だったと言える。これに対してショート版『消失』はけして不評というわけではないが、歌詞のテーマや曲のジャンルこそ違えど高速曲という観点では『暴走』の二番煎じに過ぎなかった。
なお動画再生数から見ても、このショート版『暴走』は2010年投稿の『初音ミクの暴走(LONG VERSION)』と共にいずれもニコニコ動画上で100万回再生以上されているのに対し、ショート版『消失』は2020年2月現在その半分以下の再生数である。
2-3. ロング版『消失』の変更点
ではロング版はなぜヒットしたのだろうか。単純にボーカロイド文化全体の広がりに応じ視聴母数が劇的に増えた、ということも大きいだろう。しかしそれ以上に楽曲の構成内容としてショート版から大きく変更された点があった。
まず初音ミクにちゃんと主旋律を歌わせ、見かけ上の「普通のサビ」を作った。
元々『消失』は、更にそれ以前にcosMoが発表していたインスト曲『偽りの冒険書』をベースにしたものであるが、ショート版『消失』では高速部分と台詞をミクが「喋る」中で原曲のメロディがそのままピアノなどで流れる、という構成だった。ミクがメロディアスに歌う部分は存在しなかったのである。ロング版では高速部分の構成はそのままに、ショート版で台詞部分に配置していた原曲のメロディを一般的なAメロ、Bメロのように移動させて歌わせた。そしてその後高速部分でも流れている原曲のサビを(見かけ上の)サビとして歌わせたのである。
これにより、高速部分ではどうしても損なわれる情緒感・悲壮感を表現するためのメロディを手に入れることができた。なおかつサビの最高音はA♭5と、「人間には歌いにくい」という特徴も両立していると言える。
なお柴は2-1で述べたような忙しない高速曲が流行ったのは、動画視聴者を飽きさせないためではないかと仮説を上げている。またそれは次々と投稿されたコメントが画面に流れていくニコニコ動画というメディア性だけではなく、通常は人間と比べて情報量の少ないフラットな声色に成らざるを得ないボーカロイドの声の性質にも原因があるのではないかと推測している。
また歌詞もロング化に合わせて加筆されただけでなく、一部は変更された。最も大きな変更点としては曲の最後の部分である。ショート版では以下の通りだった。
ロング版の同じ箇所は以下の通りである。
ショート版はそれまで歌っていた初音ミクの視点から「マスター」の視点へと移っている。一方でロング版は視点を動かさず最後までミクが歌っている。どちらが良い、と一概に断ずることはできないものの、ロング版の変更によって「初音ミクのキャラクターソング」としての一貫性がより保たれたと言える。
またショート版の時には動画内に歌詞がなく、自身のホームページ内に記載があるのみであったのに対し、ロング版では動画内で歌詞を表記した。
ニコニコ動画の仕様であればたとえ動画内に歌詞の表記がなくとも、視聴者がコメントによってリアルタイムで歌詞を書き込んで補足ができる。しかしただでさえ「速すぎて何を言っているかわからない」という現象が歌詞表記のないショート版では加速し、『生を持たないはずの初音ミクの死』というその後もcosMoがライフワークのように追い続けるテーマが十分に理解されない原因となっていたのではないだろうか。
これらの変更により、『初音ミクの消失』はより万人受けする形で世に出たのである。
3.結論
『初音ミクの消失(LONG VERSION)』は、ショート版との比較で述べれば、構成をより一般的なJ-POPなどに近づけ、主旋律の幅を広げただけでなく、キャラクターソングとしての一貫性やテーマのアピールなどでより優れており、ヒットに繋がったと考えられる。
なお『消失』はその後も度々リメイクされており、そのたびにcosMo楽曲内での位置づけは変化している。2010年に発表されたアルバムでは初音ミクが演算した自身の死の形の一つとして、そして2017年に発表されたリメイクでは、「そもそもなぜ初音ミクは消失しなければならなかったのか」という問いへの答えを動画内で述べている。更にcosMo自身はこの曲のあまりの人気ぶりに縛られ葛藤していたような動向や楽曲の発表もあった。いずれにせよ、『初音ミクの消失』はボーカロイド史における転換点というだけでなく、今も生きた楽曲であると言えよう。
参考文献
柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』太田出版、2014
Wicoff, Christopher. 2013. "Hatsune Miku: The Reality of a Fake Pop Star". COLORADO JOURNAL OF ASIAN STUDIES 2(1), 1-11.
Roseboro, Bronson. "The Vocaloid Phenomenon: A Glimpse into the Future of Songwriting, CommunityCreated Content, Art, and Humanity" (2019). Student research. 124.(https://scholarship.depauw.edu/studentresearch/124)