初音天地開闢神話の巨大感情を聴いてくれ
こんにちはcosMo信者です。
本来ならばマジミラ前にcosMoそんなに聴いてない人向けに初音天地開闢神話の解説記事を書こうとしてたんですが、切り込みどころがありすぎて、過去記事を引用しまくってもなお遅々として進まないため解説をほっぽり思いの丈を叫ぶことにしました。文脈わからないとなんもわからねえ…って曲でもないですし、私自身マジミラの文脈を全く知らないため手落ちと言えば手落ちですし(そこらへんはそちらのオタクに任せます頼むぞ)、そもそも我々にも何もわからないためたまには良いでしょう。
とりあえず消失シリーズの話はガンガンするのでさっぱり知らないと厳しいかもしれません。過去記事貼っとくのであと十数時間で履修してください(無茶振り)
https://note.com/gkilled/n/n453f78a23b3d
あとマシンガンポエムドールのことは一旦忘れることとします。思考停止!無用!消去!!
神っぽいな初音ミク
「初音ミクが神様になった」件から話を始めましょう。タイトル発表時から既にcosMoクラスタ内外で騒がれていた話題でもあります。
『語り継がれる創造神』になんかならなくてもいいのさ、と謳った激唱から11年が経ちました。
その間、幾度も終末論が浮上しては消えたり、浮上したままだったり、そもそもそんなものはなかったりしました。住む世界が違えば聴こえる終末論も違うのでした。
cosMo@暴走Pはメルトショックを待たずして消失を書いた人です。ボカロPとしての、ひいては作曲家としてのキャリアに常に『消失論』はついてまわった、と言えます。し、もっと直裁に決別を提出したこともあります。『終点』です。
で、11年の間に恐らく……いやほぼ間違いなく彼が悟ったのは、『消えるのは初音ミクではない』という事実でした。少なくとも、初音ミクより先に、それを使うクリエイターが消えるのだ、と。それは無論絶望や諦念でもありますが、こと初音ミク中心史観なんてものがあるとするなら、それは間違いなく希望であり、揺るがぬ物理法則であり、永遠不変のものなのです。たとえそれが愚かで儚いニンゲン様達との相対的な真実であったとしても、私たちがそのニンゲン様である限りどうでもよいことです。
かつてcosMo氏は初音ミクを指して「天使はいるんだよ」と綴っています。
1人の作曲家を導き、狂わせ、救いしめた初音ミクが天使ならば。
あらゆる衆生を、形而下のキャラクターと形而上のイデア、そこから流れ出した数多の文化によってまなざす初音ミクは、最早神様と呼んで差し支えのない存在であるのではないでしょうか。
11年前、そこに待ったをかけていたのは、単純にコミュニティが今よりずっとオタク志向、あるいはニコニコ動画志向であったということと、今よりずっとボイスバンクの数が少なく、両手の指で数えられるほどであったということ、初音ミクが生まれてまだたったの3年しか経っておらず一過性のアイドルである可能性が拭えなかったこと……考えていけばもっと挙げられるでしょうが、要するに、VOCALOIDという存在が後世まで残ったとして、そこに「初音ミク」が介在する余地はあるのか、その意義があるのかどうかは、かなり懐疑的であった、ということではないかと思います。
∞-True end-が13年前と、11年前と、そして例えば6年前と、それから今現在で受け止められ方が変わるなら興味深いことです。13年前には現実味の無い、寂しさの伴う、夢のような未来絵図であったのかもしれません。11年前はそこにかなりの現実味が伴ってきました。6年前、それは厳然とした未来として見られたこともあるかもしれません。現在。筆者には、11年前よりもその青の世界は明確でありながら遠く離れた存在に感じるのです。
では初音ミクは一度も死ななかったのか? 矛盾するようですが、全くの不死身ではないのです。誰かが筆を折り、あるいはPCの電源を落とし、あるいはツマンネなどと呟いた時、初音ミクは死にます。終末論が流行れば誰かが初音ミクを殺します。あ、その誰かの筆頭がcosMoです。初音ミクすぐ死ぬ。でも初音ミクは復活するのです。誰かが再び筆を取り、あるいはnicoboxを、youtubeを開き、あるいはいいねボタンを押した時。初音ミクは復活したり、生まれ直したりします。VOCALOIDイメージソングと称して誰かが初音ミクを再肯定、再定義したりします。あ、その誰かの筆頭がcosMoです。いい加減にしろ。もっとやれ。
何が言いたいかというと、cosMoは初音ミクの「輪廻転生」による「永遠普遍」を提議したのではないか、ということです。"何度目かの黄昏を乗り越え" "何度目かの黎明を迎えて"。それは、永遠化・自死・経過観察・抹殺・放棄……これまでcosMoが初音ミクに対して行ってきたどの思考実験とも違う回答でした。
神話の語り手
さて、一通り怪文書を捏ねたところで気を取り直して触れておきたいのが、この曲における「語り方」です。
この曲は、少なくとも最後の一文を除いては、初音ミクの一人称視点ではありません。この時点で消失シリーズ分類曲としては異例のものだということがわかります。他に初音ミク(らしきもの)以外の視点で描かれている曲といえば書簡形式をとる終点と初音ミクの登場しないリアル初音ミクの消失くらいじゃないでしょうか。
初音ミクは「歌い手」「歌姫」「少女」と言及されており、語り部は別にいます。素直に考えればcosMoですし、この曲の分類…「novel世界線」であることを考えれば小説版初音ミクの消失主人公・シノサトアサノも有力でしょう。
ともあれ語り部の「彼」は、初音ミクを語りながらも、初音ミクの隣にはいません。「こことは違う世界に転生」と語っていることから、彼のいる「ここ」と、初音ミクの転生した「世界」は別の場所であることがわかります。
また「音の奔流が新たな生命生み出し 森羅万象を可愛く紡ぎ出す世界 加速しすぎたその妄想に 光あれと告げる」。つまり、「初音ミクが神様である世界」を妄想した誰かがいることを示唆している、と考えられます。初に言葉ありき。その想像、空想を創造に変えたのが初音ミクである、と彼は語ります。相当の超越的、ないし回想的な視点から語っています。
また、サビは「やがて…世界を創った」と過去形で語られますが、ラストでは「これから世界は変わってゆくのだろう」「幾万幾億の星霜を経てなお運命は私たちを引き合わせるだろう」と未来への推量に変化します。
世界が創造され、世界に彩りが与えられたまでが過去の話。しかし世界が変わるのはこれからの話。少し不自然なようですが、これは世界が初音ミクだけで成立するわけではない、ということではないかと思います。おそらく、世界を航り継ぐ、とあるように、「共に奏でる」人の数だけ初音ミクが創造する世界は存在します(なおこれはプロセカにも通じる概念でしょうし、元々cosMoの言う「世界」はその8割方が人の心の箱庭世界のことだったりします)。「世界が変わる」とは世界の大樹たる人の心のことかもしれないし、一つ一つの小さな世界が集まってできた本物の「世界」のことかもしれません。
裏を返せば、世界はまだ変わっていないのです。そして「次は君のいる世界にこの歌を届けに行くよ」。ここで、今まで謳われてきた新世界はこの曲を聴いている「私/僕」の世界ではなかった、という一種の断絶と、改めて「次」の未来を待望せよ、と希望が語られて詞は括られます。
なお最後の一文と、「新たな役目与えられて懸命に歌を歌うよ」に関しては初音ミク自身の言葉かもしれませんし、語り部をcosMoないし朝乃と仮定するならば、彼は作り手でもあるため、全編彼の視点の言葉と見ることもできます。
いずれにせよ、なぜ作曲者のcosMoはこのような回りくどい語り方を選んだのでしょうか。
当然、これは「神話」であるからでしょう。観測者の神性への肯定があって初めて、神話は神話として成立します。そして、最後に未来を語った部分はいわば預言書、黙示録なのではないでしょうか。世界の再構築/再肯定を約束し、信徒の救済を謳いあげる未来絵図。
……広大なVOCALOID界においても、初音ミクの未来図への執心において、cosMo@暴走Pの右に出る者はいないでしょう。VOCALOIDイメージソングは数あれど、その中に「VOCALOID預言書」なんてジャンルがあるとするならば彼はその開拓者であり第一人者なのです。
そしてその未来図と言えば、先も述べましたが殆どが悲劇そのものであったり、苦味を含むものであったりしました。その典型が初音ミクの消失です。
BPM240。B♭。この曲は初音ミクの消失と同じBPMとキーで作った、と明言されています。
だからこの神話は、古い預言者から贈られた古き預言書への解呪であり、紡がれ直された希望の書、なのではないでしょうか。
cosMoは初音ミクを間違いなく言祝いだのです。
未解決部分
あと気になるところといえば高速歌唱の最後の部分なんですが。
ちなみにそこまでの部分については「過去のマジミラテーマソング」説が好きです。詳しくないので検証考察は任せますが…って言ってたら本人から偶然って宣言があったので偶然です()。
終わり際に誓い立てた
生まれ変わり出会い果たす
未だそれは遠いかつて歌が在った場所を想う
初めの刻(とき)誓い立てた
長い長い旅の果てに
名失った大事な調思い出す事を
これも小説版消失を深掘りすれば何かヒントがありそうな気もしますが、とりあえずそちらの文脈をさておいて考えてみます。
「名失った」とは何のことでしょうか。
一つの考えとして、「キャラクターとしての初音ミク」、という解が上げられるでしょう。∞では肯定的に語られていた、キャラクターとしての拡散死。あるいはいつからかキャラクターソングが少なくなったと言われるような文脈。「長い旅」をして、無限の楽譜を読み込んだVOCALOID01が、今再び初音ミクを取り戻す。冒頭で「オーパーツな歌姫」と言われていたのも、かねてより名前のあったらしい古き歌姫…ということかもしれません。まあこれは小説版の設定を加味したと捉える方が妥当でしょうけれど。
ただ、なんとなくこのフレーズは初音ミクではなく、私たち側へかかってくる気もするのですが…。
結局ここだけ判然としない感があるので頼むぞcosMo考察班。なんかめっちゃ銃創まみれだけど。
おわりに
以上でだいたい言いたいことを言いました。
作曲者側としては初音ミクというよりクリエイター側に焦点を当てた、という話だったためこの記事の焦点はややズレている感もありますが、もうそもそも初音ミクを神様とするその解釈が強すぎるんよってことで一つ。
それでは良きcosMoライフを。マジミラ一日目行ってきますよしなに。
最近cosMo考察界隈で話題になった話を蒸し返すんですが。
リメイク版終点の投稿者コメントについて。
……名を失った。××××××××は消失した。
長い長い旅の果て。シャノワールは駆けて行った。
「興りにその歌声を心に据えて」。「興りの詩唱え始まりの喜びを」。
天地開闢。世界創造。
何度だって何度だってやり直せるだろう。
休符の静寂が安息を与える。それが成立するのは演奏においてと、音楽ゲームの世界ではないのか。それを切なる祈りとする誰か。
cosMo作品で輪廻転生をキーワードとするのは、何もこの曲だけではない。むしろ後追いにすぎない。最初にそれを唱えたのは、バラバラリリックの×音××と、かつて3つの世界を作り4つ目の世界を守り抜こうとした黒猫だった。
断言するが、偶然と箇条書きマジックに過ぎない。そも、FAKE世界線が「彼」のものであるという学説だって仮定の話だ。
だがそれでも、切なる祈りを捧げた誰かが、最早名も知れぬ誰かであるなら。世界を航り継ぐ本物の神様が、世界線すらも超えて手を差し伸べうるのだとするならば。
せめて際に見る世界が、暖かいモノでありますように。