浪人生だった
もう8年も前の春。
高校生活を共にした仲間たちが大学生になる中、私たち32人はまた、高校の一室に集まっていた。
私の高校では、大学受験に落ちた浪人生を受け持ってくれる「浪人生クラス」がある。
現役時代から我々を見てくれている先生方、そして見知った同級生たちと勉強ができる点が魅力で、
もちろん一般の予備校へ入る子達もいたが、私たちは浪人生としてもう一年、あの高校で勉強することに決めて、集まったのだ。
浪人生クラス初日は、「入学式」と称して校長先生のお話と、担任となる先生の挨拶があった。
この春着任したばかりの、初めましての校長先生に「あなたたちが3年間努力してきたことは、私もずっとみてきました。」と若干不思議な挨拶をされたあと、
我々の担任となる先生が教壇に登場した。
我々の学年を3年間担当してくれていた日本史の先生。
定年間近、色白でおちょぼ口の、決して可愛くはないはずなのに、いつの間にか一部の女子から可愛いともてはやされていた、魅惑のオジィである。
いつもヘラヘラしているオジィだが、この日ばかりは様子が違った。
教壇に立つなり、突然勇ましく演説を始めたのだ。
「みなさん!みなさんは、浪人生クラスの生徒です。でもね、社会的地位として、浪人生クラスの生徒なんてものはないんですよ。
高校生でもない、大学生でもない、予備校生ですらない。
もし皆さんが今逮捕されたとしたら、ニュースには『〇〇県〇〇市の無職、誰々容疑者』って報道されるんですよ!
職質かけられて、あなた誰ですかって言われても、なにも名乗る身分がないんですよ!」
3年間オジィを見てきたが、こんなに熱が入っているのは初めてだ。するとオジィは今度は急に、にっこり微笑んで優しくこう言った。
「でもね、警察に職質かけられたって、こう言ったらいいんです。『確かに私には社会的身分はありません。でも、私は私です。』って。」
おやおや話がおかしくなってきた。しかしオジィは、さらに菩薩のような微笑みを讃えてこう訴える。
「社会的身分がなくたって、たとえ無職だと報道されたって、君たちは君たちなんです。大丈夫。警察にだって胸を張って、『僕は、私は、私です』って言えばいいんです。」
あまりにも慈愛に満ちた微笑みと語り口に、うっかり心暖まりそうになったが、そもそもなぜ私たちが警察に職質をかけられ、報道される前提になっているのか。
そんな私たちの疑問をよそに、オジィは「1年間、頑張りましょう」と演説を締めて、ほくほくした顔で教壇から降りていった。
何だかあまりに濃くて、ある意味夢のような「入学式」だった。
ちなみに例のオジィはその後一年にわたり、何かと迷言を吐き続けた。
例えばゴールデンウィーク前。
「ゴールデンウィークには大学に入った子達が帰ってきます。ちょっとくらい遊ぼうや〜息抜きしようや〜って誘ってきます。
でも、負けちゃいけん。遊んだらいけん。
本当に大学生活が楽しいなら、大学入って最初のゴールデンウィーク、地元になんか帰って来ん。
ゴールデンウィークに帰ってきて誘ってくる奴らはの、大学でうまく行っとらんヤツなんや!相手にしたらダメ!」
はたまた、現役生の修学旅行の下見で海外2カ国を回ってきた後には、こんなことも言っていた。
「楽しくはなかったわ。疲れた。
だいたいあんな数日で2カ国回ったって何もわからんよ。
あ〜、修学旅行本番またついて行かにゃならん。ボクは日本でええのに…。」
浪人生クラスの1年間は、このオジィに限らず現役生を受け持ついろんな先生が、現役生には言えない愚痴やら何やらを話してくれた。
そういう意味では今まで見えなかった先生たちの一面が見えて楽しかったし、先生たちも、現役生じゃない、同僚でもない、でも気心知れた「大人たち」と話すのがちょっと楽しそうだった。
浪人することをまるで罪のように厳しく責める先生も中にはいたが、私はこのクラスで1年間を過ごせて楽しかったなと思っている。
2021.3.19投稿