20210622 日記173『別冊声優ラジオの時間 #ラジオ偏愛声優読本』のコラムに採用されました
6月21日(月)発売の『別冊声優ラジオの時間 #ラジオ偏愛声優読本』のリスナー募集記事に『豊崎愛生のおかえりらじお』についてのコラムで応募し、採用して頂きました。
採用に至るまで
後にもう少し詳しく書くのですが、1000~1200字という文字数規定を舐めていた結果、ろくに推敲せず、締め切り時間2分前に原稿を送ることになったため、応募した後は「多分、落ちただろうな……」と、自分の中で決めつけて、発表を待つことになりました。
同時に、これまでの29年間、自分が文章で戦っていくと決めながら、コンペに応募さえしたことが無かったので、今回は参加しただけでも前に進んだよ……と思うことで、自分を納得させてもいました。
だから、ラジオの時間編集部さんからのDM通知も、中身を確認する前から不採用のお知らせと決めつけていて、自信満々の状態で、不採用という事実を受け止めるのが怖くて「今回はしょうがないよ」「よく頑張ったよ」と、自分をたっぷり2時間くらい慰めてから、連絡を確認することになった。
結果、採用して頂いたのだけど、この予防線が仇になって、嬉しいという気持ちがあまり湧かず、むしろ、自分が傷つかないために、自分なりに全力を尽くした事実を否定してしまったことに、ものすごい自己嫌悪に陥り、下記の日記を執筆するに至ったという経緯がありました。
だから、今回Twitterで採用と掲載を発表した時、俺が文章を書き始めた頃に「いつか、これで豊崎愛生さんと一緒に仕事をしたい」という夢を話していた高校時代の友人や、『こえ部』という声優さんや作品への愛が詰まった同人誌に俺を見出してくれた代表、その『こえ部』を通じて出会い、お互いの熱量をぶつけあってきた仲間たち、そしてラジオを通じて出会った人たちが、俺よりも採用や掲載を喜んでくれたり「すごい」と言ってくれたことで、ようやく、嬉しいという気持ちを適切に受け取れた気がします。
先に反省モードを消化しておくと、俺の見落としがあり、タイトルの1文字目が思いっきり誤字のまま掲載されてしまった。
編集部さんからお詫びのDMを頂いたのだけど、商業と同人の差はあれど、誤字があるとめちゃくちゃ凹むという気持ちが分かるのと、印刷してしまったものは仕方ないよね……という気持ちと、そもそも俺も推敲が甘いという反省もあり、これも含めて俺の文章だな……とも思っています。
タイトルは編集部さんにつけてもらったのですが、特別な意図があるわけではなく「ただいま」が正解なので、ここに訂正させて頂きます……。(電子版については修正されているそうです)
コラム執筆中に考えていたこと
たまに文章力という表現で褒めて頂くことがあり、それはありがたい限りなのですが、謙遜ではなく、俺は文章力がある方ではないと自覚しています。
文章力という言葉の定義自体がかなり曖昧ではあるのだけど、文芸部に籍を置いて、後にプロになった人間や、美しく、面白い文章を書く人間が周りにいて、当初は俺もその人たちに追いつけるように、カッコよく言葉を扱えるように試行錯誤したのですが、どうしても背伸びの域を超えなかったように思います。
後輩(※この日記に出てくる後輩という概念を司る存在。学年は3個下だが俺に対して忖度はあまりない)にも、文芸部時代の小説に対して「文章そのものに、特徴とか引っ掛かりは無い」という評を受けており、これはその通りの指摘だと思っています。
その上で、俺だけにしか書けないものがあるとすれば、それは勢いとか熱量みたいな部分なのだろうな……とも自覚しています。
大文豪が書いた美しい小説よりも、誰かが自分のために言葉を尽くしてくれた手紙の方が心を揺さぶる瞬間というのは確実にあって、それは文章力の優劣で決められるものではないと思うのだけど、俺が突き詰めてきたのは、最初から後者の方だったのではないかと、つい最近自覚し始めた。
同時に「勢いとか熱量があるのが俺が書けるいい文章で、それが求められているのだから、そういう風に書けるように頑張ろう」と、無理やりエモをひねり出していたシーンも結構あって、それは、過去に抱いた熱量を引っ張り出して書いているような心持ちで、100%嘘ではないのだけど、そういう文章を書いてしまった後は、他の人が同じ題材で書いた本当の言葉には敵わないなと思わされたことが大半だった。
その勢いとか熱量を、ようやく自分で少しコントロールできるようになってきたのは、本当に去年とかの話です。
それは、キレイごとでもなんでもなく「本心から出た言葉じゃないと、誰かの心を震わすことはできない」ということに気づいたからでした。主にオードリーの若林さんから学んだものです。
なので、決められた題材に己の熱量を合わせるのではなく、俺が本当の言葉で表現させて欲しいと思ったものと人生を懸けて向きあうというスタンスに変更して、文章力が無いからこそ、自分が磨いてきた武器の使い方を、10年以上かけて、ようやく理解してきたという感じだと思っています。(それも含めて『文章力がある』と言ってくれるなら、それは素直に嬉しいです)
なので、今回のコラムで、俺が書いてみようと思った内容も「おかえりらじおの魅力をみんなに紹介したい」という話ではありませんでした。
2020年から始まったステイホーム期間中、明確に『ラジオに救われている』という感覚があって、その根底にあるのは間違いなく「豊崎愛生のおかえりらじお」だなという想いがあり、これが「ラジオ偏愛」という想いに相応しいものだろうとも感じた。
そして、俺の場合は、そういう文章を書いた方が、結果的に豊崎愛生さんや番組の魅力を表現することにも繋がるんじゃないかと思ったので「おかえりらじおの持つ雰囲気が伝わってくる文章」という感想を頂いたのが、とても嬉しかったです。
同時に、今回は応募者全員採用というワケではなく、コンペだと意識して臨んでいた部分もありました。
1000字~1200字という文字数規定は、私が普段ここで書いている日記1日分くらい(あるいはそれよりも少ない)だったので、私の認識としては非常に少ない分量で、ならば書く話題はワンセンテンスに絞った上で、そのワンセンテンスを表現する上で、必要な言葉を探し、起承転結を構成するところから文章を組み立てました。
その上で、人様の目に触れるからには、ある程度は体裁を整えなくてはいけなくて、表現や見栄えをいつも以上に意識しながら、熱が噓に思われないようにも気をつけながら文章を書いた。
前回の声優ラジオの時間に豊崎愛生さんのインタビューが掲載されており、所持していたので、どういう雑誌なのか傾向を踏まえた上で、俺がおかえりらじおをキッカケに芸人ラジオを聴き始めたエピソードなどは文字数を割いても入れた方がいいだろうな……とも思っていました。
そういうことを考えながら、大好きなおかえりらじおについての本心を書いた文章ではあるので、自分なりに持てる全力を尽くしてはいたのだな……と書いていて思いました。
そうして書かれた文章は、余裕があったら是非その目でお確かめ下さい。
終わりに
素晴らしい映画のエンドロールを観た時、これだけたくさんの名前が並んでいるのに、そこに自分の名前はどうしても見つけられなくて、それが悔しくなることがあった。
最近はクラウドファンディングに出資すれば、エンドロールに名前を載せることが出来たりもするのだけど、それではあまり意味が無いような気がして、きっと自分の生業の中で関わっていたいという感情だったのだと思う。
目次をみた時、その夢がほんの少しだけ叶ったのかもしれないなと思いました。
あと、他の番組ならまだしも、もし豊崎愛生のおかえりらじおについてのコラムで俺以外の誰かが採用されたとしたら、死ぬほど悔しいだろうな……とは珍しく思っていました。
「いつか、豊崎愛生さんと創作の上で並び立てるようになりたい」という思いから文章を書き始めて、おかえりらじおを聴き続けて11年が経ち、その間も豊崎愛生さんがずっと大好きで、コンペからは逃げ続けたとしても、文章を書くことは手放さなかったのが俺だったので、予防線を張って逃げまくっていたのも、これまでの人生を問われることを潜在的に感じ取っていたからなのかもしれない。
仕事以外で、文章を書いてギャラが発生したのは初めてだったのだけど、それが豊崎愛生さんについて、ラジオについての文章だったことは、とても嬉しいことでした。
そして、苦しみながら文章を書くことを手放さなかったからこそ、これまでの10年間のどこかで俺を見つけてくれた人がいて、たくさんの人から祝福して頂く今に至ったのだとも思った。
29歳、随分時間が掛かってしまったし、かつて夢見た通りの景色ではないけど、あの日、文章を書くことを選んだ自分に、初めて少しだけ胸を張れた気がしました。
同時に、この歳になって、良い部分もダメな部分も自分の能力を自覚し始めて、ようやくその生かし方が少しずつ分かってきた気がしているので、かつては悲壮感を抱いていた30代だったけど、むしろ、これからが本番な気がしていて、楽しみなことしかないなと思う。
どこで、どんな形で、何が実現するかは分からないけど、これからもいろんなものを見て、いろんなものを感じて、それを心からの言葉で書き続けていこうと思います。