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侍から技師へ――MIT初の日本人卒業生、本間英一郎の物語
年収3,000万円(日本円換算)で話題のMITですが、最初に留学した日本人のことを少し。
1867年、5人の日本人学生が高度な教育を求めて長い船旅を経てアメリカ・マサチューセッツ州に渡りました。その中には、わずか13歳で侍の家系出身の本間英一郎という少年がいました。当初、彼は日本に戻り侍としての道を歩むことを期待されていましたが、運命は予想外の展開を見せます。
渡米後、本間はウースターの軍事学校に入学しますが、在学中の日本では大きな歴史的変革が起こります。江戸時代から続いていた徳川幕府が崩壊し、新たな明治政府が成立しました。この変化により、武士としての義務を果たす必要がなくなった本間は、人生の新たな可能性を模索する自由を得ます。
1870年、本間は開校間もないマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学し、土木工学を学びました。そして、1874年にはMIT初の日本人卒業生となります。当時のMITで注目を集めていた最先端技術、それが鉄道でした。本間はその分野に情熱を注ぎ、卒業後は日本に戻り、鉄道技師として活躍します。特に、中央日本の険しい宇在峠を通る鉄道の建設は、彼の代表的な業績として知られています。
現在、本間の卒業から150年を迎え、MITでは彼をはじめとする初期の日本人学生たちを紹介する展示会「From Samurai into Engineers(侍から技師へ)」が開催されています。この展示は、MITハイデン図書館で12月19日まで行われています。本間の人生は、時代の転換期における変革と適応の象徴とも言えるでしょう。
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