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【三浦半島探検紀行2024】~苔むす遺跡~三軒家砲台跡


この日は別の場所に行こうとしていた。

諸事情でそちらに行くことができず、横須賀中央駅前まで来て、さて、どうしようと考えていた時に観音崎行きのバスがやってきたので乗ることにした。

去年行った観音崎公園探索の続きがしたかったのだ。



大雨だった前日から一転。
この日は気持ちよく晴れて、走り出したバスの最後部座席でウトウトしていた私は、たくさんの人が乗り込んでくる気配で目が覚めた。
馬堀海岸のバス停で満員になったバスはトンネルをくぐり、海岸線を疾走。
海を眺めながら永遠にバスに乗っていたい気分になる。


海はいいな~(98回目)


横須賀美術館へ向かう人々の後に続いて私もバスを降りる。
目の前に開けた海の解放感。
湿った海の風が心地よく吹いてくる。


東京湾をフェリーや貨物船がひっきりなしに航行する。


去年、横須賀美術館の裏手にたくさんの紫陽花(の花の枯れたやつ)を発見し、今年はぜひ紫陽花シーズンに行かねばと思っていた。
予想を上回る色とりどりの美しい紫陽花に、嬉しさ123パーセント。
なんとか間に合った。







海に紫陽花はよく似合う。


紫陽花の前で写真を撮る笑顔の人々に交じって見事な花を堪能し、いよいよ今回の目的地「三軒家砲台跡」へ向かう。


https://cocoonfamily.jp/tickets/ot004/
三浦半島の右端、とんがっているところが観音崎


神奈川県立観音崎公園


去年来たときは観音埼灯台を目指し、その途中で偶然にも「観音崎砲台・北門第一砲台跡」マップ黒丸)を通りかかって、その一種異様な光景に目を奪われた。


去年通りかかった「観音崎砲台・北門第一砲台跡」



調べてみると、この観音崎公園には明治時代に作られた軍事施設が点在しており、その役割を終えた現在もいくつかの施設が保存されているようなのだ。
その中でも「三軒家砲台跡」マップ赤丸)はとても良好な状態で残されているとのことで、これはぜひとも見学してみたいではないか。

美しい紫陽花の咲く横須賀美術館の裏手から山へ続く横道を上ると、鬱蒼とした木々に覆われて苔むした道が奥へと続いていた(マップ赤矢印)。


横道に一歩足を踏み入れると空気が一変する。


ツルのようなものが絡まった迫力のある木々が
そこかしこに立っている。


しんとして苔むした道に
鳥の声だけが響き渡る。

人通りのほとんどない薄暗い小道を
奥へ奥へと進む。

あ…っ、なんだここは……
明らかに人工物なのに、ものすごい自然との調和っぷり……
もしかしてここは砲台の一部なのだろうか。
さらに進むと……これが……。


これが砲台跡か……。


神殿の遺跡のような感じすらするじゃないですか。


砲台と砲台の間にはレンガ造りの施設の半地下に続く階段が。
同じような階段のある施設が道に3つほど並んでいる。

階段はロープが張られ立ち入ることはできない。
入口らしきものはコンクリートで塞がれ、
草やツタで覆われている。
明治29(1896)年完成。
北門第一砲台跡は明治17(1884)年完成だから、
こちらは比較的新しい施設のようだ。
あの階段があるところは地下庫だね。
砲弾なんかをしまっておくところだろうか。

こちらの砲台跡、迷彩柄になってるのがおわかりだろうか。
時を経て風景と一体化したのではなく、
自然に溶け込むように作られた砲台だったんだね。
大砲を固定した跡のような、人工的な穴がある。


この穴は?調べてみると
「付属室と各砲座を結ぶ伝声管跡」なのだそう。
付属室からこの管で指示を出してたんでしょうね。
砲台の道を挟んだ向かい側にどこかへ続く道があるが
立ち入り禁止。

たぶんここが井戸だったんじゃないかな。


ここが付属室だったところ。
美しいレンガ積みのアーチの中に錆びついた鉄扉が。

付属室の前の道は苔で覆われている。


上は観測所があったところ。



レンガにはフランス積みとイギリス積みがあるのだそうだ。

フランス積みは長い目と短い目が一列の中で交互に並んでいる積み方。
イギリス積みは一列の中に長い目もしくは短い目のみが並び、それが上下で交互に配置される積み方。

日本では明治10年代まではフランス積み、
明治20年代以降はイギリス積みが主流となった。

見てみると、ここのレンガはイギリス積みだ。
明治時代の建物などでレンガを見たら、フランス積みかイギリス積みかを見てみるのもおもしろいかもしれない。


さらに一番奥の砲台の先に続く道を進む。


錆びついた鉄扉がツタに覆われていて異様な雰囲気。


もうひとつの扉。
掩蔽部(待避所。シェルターみたいなものか?)への入り口。

両脇に門柱が残されている。


鉄でできた金具みたいなものが見えるが…
きっと門が付いてたんだろうね。

「三軒家園地」と記された真新しい石板の両側には
明らかに古そうな石積みの何かがあるが……

埋もれてしまいそうな階段が。
上った先に何があるというのか?

上まで上ると下りの階段があって……
謎めいたコンクリート製の円形が……
おそらくここが「見張所」と記されていた場所。


観音崎の砲台は、明治陸軍が東京と横須賀軍港を守るために、東京湾口部に日本で最初に建設した西洋式の砲台群だ。明治10年代~20年代にかけて9つの砲台が建設され、日清戦争、日露戦争のときに戦闘配備についたが、実戦で使われることはなかった。その後、兵器の進歩や国防方針の変更などによって、多くは大正時代に廃止となっている。
比較的新しかった三軒家砲台は関東大震災の被害を受け修復しながらも、昭和9(1934)年まで使われていた。

私には軍事的な知識が全くなく、ミリタリー的なものにそれほど興味があるわけでもないのだが、130年ほど前に国防のため最新鋭の技術で作られた軍事施設を、こうして今眺めているのはとてもロマンを感じる。

鬱蒼とした熱帯の島のような山の中に、自然の木々に溶け込むようにひっそりと眠る廃墟。その神秘的な佇まいの魅力もさることながら、この遺跡からは、ここにいた人たちの意思や息遣いのようなものが伝わる気がして、親しみすら湧いてくるのだ。

おそらくここで働いていた人たちは、真新しい施設で、国を守るという重要な任務を緊張しながら、誇りをもって担っていたのだろう。
そんな毎日の中でも、海を眺めて解放感に浸ったり、お弁当を食べながら上司の悪口を言ったりしていたかもしれない。

ここは、そんな人間の生活が確かにあったことが感じられる場所なのだ。

ほら、今にもあの錆びた扉から軍服を着た兵隊さんが現れて、海を見張りに行ったり、大砲をきれいに磨いたりする姿が見えるような気がしませんか?








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