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我が心のとしまえん


としまえん―――東京北部育ちの人間にとって、その名は心の中に懐かしく、甘酸っぱく刻まれている。

2020年8月31日、多くの人々に惜しまれ閉園した東京都練馬区の遊園地・としまえん。
物心ついた時から人生がとしまえんとともにあるのはあたりまえだったアラフィフ・TOKYO ノースサイド民の私だが、としまえん(豊島園)の開園は1926年、なんと大正15年なんだそうだ。歴史のある遊園地だったのね。


子供の頃はとにかくいつ行っても混んでいて、賑やかだったなあ。(あ、もうちょっと泣きそうです……遠い目……。)
小さい頃親に連れられ、家族で行ったとしまえん。プールにも行ったなぁ。初めて子供たちだけのグループで遊びに行ったときは、その中に好きな子がいてドキドキしたり。中学生になって友達のTちゃんにシャトルループに乗せられ、死にそうになったのも懐かしい思い出だ。

働き始めてからはとしまえんとしばらく遠ざかっていたが、結婚後、新聞屋にチケットをもらったので、夫と出かけることにした。
久しぶりに訪れたとしまえんは、子供のころのような賑わいはなく、閑散としていた。園内の様子やアトラクションも昔とは少し変わっていて、懐かしさと共に胸をぎゅっと締め付けられるような切なさがこみあげた。

私が一番好きだった「アフリカ館」はもうなくなっていた。

練馬区出身で現在41歳の私にとって、強烈な印象が残るアトラクションは「アフリカ館」である。巨大体育館のような施設の中にアフリカの情景が再現され、ジープ型のライド(乗り物)で探検するというものだった。30年ほど前のあのころ、多くの練馬っ子にとって初めて体験する“遠い異国の地”といえた。

館内は十数セクションに分かれ、6人乗りの車がレール上を自動で進んでいく。古代エジプトのアブシンベル神殿、エジプトの宮殿での宴会風景、寂しげなナイジェリアのカノの町、にぎやかなマサイ人の集落、ゴリラの森、揺れるつり橋、ピグミーの人々、ライオンのすむ草原、ゾウの群れ――。最後に空港のカウンターで女性客室乗務員のマネキン人形数体が「サヨウナラ、サヨウナラ」と手を振って約5分間の旅はおしまいとなる。乗り場の壁には、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(タンザニア、標高5895メートル)が描かれていた。

なぜアフリカ?という疑問もあったし、勘違いアフリカみたいな描写や最後の謎の空港などつっこみどころも多かったアフリカ館だったが、としまえんに行った子供にとって「初めて体験する“遠い異国の地”」であったことは間違いなかったと思う。
アフリカ館のジープ、もう一度乗りたかったなあ。

ふと見ると、「ミステリーゾーン」が昔とかわらずそこにあった。子供のころは最長60分待ちの超人気アトラクションだったミステリーゾーンだが、ならんでいる人はひとりもいない。
懐かしさのあまり、私は夫とともに自動式ライドに乗り込み、真っ暗なミステリーゾーンの中に入っていった。ミステリーゾーンはその洋風な名前にもかかわらず純和風のお化け屋敷だ。子供のころは怖くて仕方がなかったミステリーゾーンだが、大人になって冷静に眺めるとそのチープさたるや凄まじい。無言のままライドに運ばれる夫と私。着物を着た農民風の人形に「たすけて!たすけて!!」と懇願されるも、助けてほしいのはこっちのほうである。
「これ、ほんまに60分ならんでたんかー⁉」
ライドから降り、懐かしさに耐えきれずうるうるしている私に夫が冷たい目を向ける。
ならんでたんだよ。あの頃は。

それからは時々としまえんに出かけるようになった。
春は花見で桜を眺め、初夏は紫陽花を楽しむ。ユナイテッドシネマで映画を見たり、夫は庭の湯に浸かりにも行っていた。

そんなある日、突然としまえん閉園のニュース。

去年の6月、見納めに夫ととしまえんに行ってきた。
閉園のニュースを聞いてやってきたのか、園内は多くの家族連れで賑わっていて、昔を思い出すような混雑ぶりだった。
あじさい園の見事な紫陽花を堪能し、少し休んで最後、ミステリーゾーンにも別れを告げてきた。相変わらずチープで笑ってしまった。
大阪育ち、としまえんに深い思い入れのなかった夫も、閉園のニュースを聞いた後はさすがにさみしさを感じていたようだ。
カルーセルエルドラドの前で記念撮影。
としまえんを目に焼き付け、後ろ髪を引かれる思いで私たちは帰路についた。

帰りの電車の中で夫がつぶやく。
「でも、俺はやっぱり年増えんかなぁー(ニヤニヤ)。」

人それぞれのとしまえん、ということか。







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