ひとりごとです 「偽物の心の傷」

 中高生の頃“心の傷”というものに謎の憧れを持っていた方は多いのではないでしょうか?
例えば、鬱を気取ってみたり、リスカをしてみたり、いわゆる病み垢なんてものを作ってみたり。自分もその中の1人でした。(病み垢は作ったことありませんが)

 身も心も健康なのに、なぜか負の感情を作り出そうとする。無理に「死にたい」と思う様になる。今でも机の引き出しに首吊りの為に買ったロープが。わざわざ学校帰りにホームセンターに寄って買いました。たしか7~800円くらいだったと思います。「菓子パン何個分だよ」とか思いながら会計をしました。そんな事を考える時点で、そのロープは自分に必要無いものです。ただ、無理に心の傷を作ろうとして買ってしまう。他にも風邪薬を沢山買いました。オーバードーズというものに憧れて。ちょっとだけ体調が悪くなるだけでした。少ない小遣いをそんなことに使って…「若気の至り」と言うべきか「馬鹿」と言うべきか。

 今思うと、あの頃は「死にたい」と思うことを特別なことだと勘違いしていたのかも知れません。生きている限り当たり前の感情なのに、自分の中にしかない物だと。そして、その感情を無理矢理大きくして心の傷を捏造する。心に傷を負うことを一種のステータスだと感じていました。心の傷が深ければ深いほど、人間的にも魅力的だと。

 死ぬ気もないのに自殺の方法を長々と調べたことも。「完全自殺マニュアル」なる本を買ったり。お陰さまで自殺方法については大変詳しくなりました。この方法だと結構苦しむんだな…とか、これは意外と苦しまないで逝けるんだな…とか。首吊りをやりましたが、痛くてすぐ止めました。ちょっとだけ首にかすり傷の様なものが出来て、それを見てなぜか嬉しくなって。

 一番多くやったのはリスカです。男の人でリスカをする人ってどれ位いるんでしょう?女の人よりは圧倒的に少ないと思います。だから男でリスカをしている自分を「特別なことをしてる」と思い込んでしまう。ただ、リスカの傷は言い訳が出来る傷ではありません。例えば、首吊りをして首に傷を付けた時は「寝てる時に引っ掻いたんですかねw」と別の理由で逃げることが出来ます。しかし、リスカの傷はどう頑張っても“リスカ”以外の理由が見当たらない。隠し通すのはかなり難易度が高いです。そして、中々消えない。3年以上経ちましたが、まだくっきり残っています。

 成人して考え方も少し大人になった今では、どうしても心に傷を作りたかったなら、何かに本気で挑んで、大いに失敗する。そんな方法があったじゃん…と。まぁ、自分もまだ成人2年生。まだまだ若い!挑む時間は大いに残されてるはず。やりたい事に全力で挑んで、失敗して、意味のある傷を作っていこうと思います!

最後に一言
時間は思っている程有能じゃない

 

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