東京から福岡0円×ママチャリティー旅(12日目)
8月9日!旅12日目!(広島→下関)
この日朝起きたのは9時過ぎ。この日ホテルに宿泊していた僕のところにみつさんが来てくださった。
そして、僕が岡山から出てきたある想いっていうのは、
「自転車旅から更なる挑戦をしたい。そうだ、最後福岡の100kmは走って自分の足でゴールしよう」
というもの。
最初は1人の情熱からはじめた旅も、色んな人が集まり支えられみんなのおかげで旅が成り立ってきていた。前職の岡田さんからPayPayで支援も届いたり本当にありがたかった。
そのため僕はママチャリではゴールできる見込みが立ってきたのを感じており、そこから更なる挑戦をしたかった。
出来ることをやっても面白くないし、出来るかどうか分からないことに挑戦していく姿を見せたかった。
できるかできないかより、やるかやらないか。
ただ、それをやるために2つ条件がいった。
1つは今まで乗ってきたママチャリを山口でどうするか。
旅前に買った相棒のママチャリモンパニ号を山口で売ることも考えていた。
そして、2つ目は自分の足ってなると予定的に旅の日数が一日足りなかった。
僕が旅の期限があると言っていたのも、8月13日に祖母の初盆があったからだ。前回のヒッチハイク旅のときに亡くなった祖母。
ここは詳しくまた記事にして書くが、旅の期限内に達成して祖母の初盆を迎えるという目標を掲げていた。
この2つの条件が揃わないと僕の更なる挑戦はできない。
そして、この日2つの条件が揃った。
1つ目のママチャリモンパニ号に関しては、ポコチャをはじめた当初から応援してくださるZyagiさんという方が下関に住んでおり預かってくださるということになった。
2つ目に関しては、広島の最強最高兄貴みつさんが朝空いてるのでママチャリモンパニ号を車に乗せて次の日一日かけて行く予定だった山口の防府まで送ってくださるという。
ホテルに来てくださったみつさんの車の後ろにモンパニ号がいて、車で山口の防府に向けて出発。
そして、その途中朝ごはんをなか卯で食べた。
旅中に何回も見かけたなか卯。
その看板にいくら丼が書いてあり、いくら丼食べたいなぁと何回も横目に空腹のまま過ぎ去っていった。
好きなもの食べていいってことで遠慮せずにいくら丼を頂いた。そしてご飯も大盛に、サイドメニューと。朝のいくら丼で2,000円以上のご馳走にありつく。
なか卯の後はスーパーに寄って、ポカリスエットの粉を買って頂いた。
旅中の差し入れの中で、ポカリスエットの粉は持ち運びに便利で本当に助かった。
みつさんには募金に、ご飯に、飲みに、ホテルに、送りまで本当に全てに関してお世話になりっぱなし。
そして、高速を使って防府まで。
僕がママチャリで一日かけて行く約100kmの距離を車を使えば数時間で着くので、本当に車の便利さを肌で感じた。
そして、みつさんとは山口県の防府でお別れした。本当に何から何までみつさんありがとうございます。
そして、昼の12時になり、配信やインスタ、Twitterでママチャリモンパニ号と下関で別れ、最後福岡の100kmは走って挑戦するって言ったら
みんなにバカなの?ドMなの?もうすぐ達成で安心してたのに。など色んな声が飛びかっていた。
常に挑戦しつづけるのが僕だ。
1人24時間テレビのチャリティーマラソン。
主演ランナー、撮影、ガイドなど、全て1人でそれを無一文でやる。
ただ、この挑戦ができるのも差し入れなどがあり、ママチャリを預かってくれるZyagiさん、送ってくれたみつさんがいて、挑戦できる見込みがたったからだ。
みんなのおかげで次のステージへの挑戦ができることに本当に感謝感謝だった。
ただ、その挑戦のためにもこの日はとりあえず下関についておかなければいけない。
最後のママチャリモンパニ号との旅。
パンクやチェーンが外れるなどチャリトラブルが一切無く、一緒に乗り越えてきた気合い全開のモンパニ号。
下関まで一緒に行こうなぁ。ここまで運んでくれたモンパニ号のおかげで、また最後の挑戦ができる。
とモンパニ号に話しかけながら、モンパニ号を走らせる。
まぁ旅中も一人の時間が多くて、モンパニ号と会話してるように楽しんでいたけど。
その後進み続けて、夜20時頃には下関市に入っていた。
配信後、とりあえず関門海峡を目指した。
関門海峡の先に、明るく光っているのが見えた。九州が見える。
ついにここまで来たのかと実感がわいた。
Zyagiさんとは次の日会う予定だったので、壇ノ浦の公園のところで野宿をした。
次の日モンパニ号との別れ、そして更なる挑戦へと進み出していく。