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なぜ人の可能性を広げたいと思うのか?WHY YOU?
はじめまして。「ほ の か」です。福岡出身の大学4年生です。
写真は可愛さのピークだった幼少期の私です(笑)
届けたい人に自分の声が届くようにtwitterだけでなく、
noteをはじめることにしました。
はじめに自己紹介をします。
1.私の目標
<Vision>
愛のめぐる社会をつくる
<Mission>
Well-beingな「 」をデザインする
2.私の大切にしていること
私がよりよく生きるための6つの大切にしている価値観です。
・外向きである:人や社会のために何ができるかを考え続ける
・自責の念:自分の人生は自分で責任をもつ
・成長マインド:よりよい価値を生むための自己変革
・信頼:一貫性のある人である
・謙虚に。素直に。:周りに愛される人間であること
・愛をもつ: 愛ある場所に人は集まる
3.今までの私
こんなMissionやVision、大切な価値観を持っているのは
私の過去の影響が大きいので、今までの私について書かせてもらいます
*小学校1~3年:人見知りだけど好奇心旺盛
人見知りだったものの、やりたいことは沢山!
一人っ子だったのもあり、何でもやらせてもらいました。
<習い事>プール・ピアノ・習字・リトミックなどなど
中でも一番頑張っていたのは小2ではじめた「バレーボール」です。
その後、高3まで10年間続けました!
*小学校4年:父の転職
小学校4年生のときに父が転職しました
広かった社宅から小さなアパートに引っ越しへ。不安でした。
その不安は形となって現れました
父が転職した先は、いわゆるブラック企業
私が朝に起きても、夜に帰ってきても仕事で家にいない。
たまに見かける父は疲れはてた姿
もっとキラキラしてたのに・・どうして・・・
何のために働くのだろう・・?
そんな問いをもつようになりました。
優しかった母もそんな父の影響を受け、少し厳しくなりました
わがままを言って人に迷惑をかけてはいけない
と怒られることが増えました
今までは思ったことは何でも言えたのに・・・
自分のやりたいことは我慢するようになりました
気付けば自分の思ったことを口に出すのもやめていました
毎日、無理やりニコニコいい子でいました
*中学入学:文武両道「承認欲求」
中学入学
部活がはじまり、大好きなバレーボールが毎日できること
それが嬉しくて仕方ありませんでした。
とにかく、早く試合に出たかったのです。
練習を誰よりも頑張っていました。自主練も毎日しました。顧問の先生が、勉強や学級委員などを頑張っている人を試合に出すと言っていたので、塾に通って勉強に取り組み、委員長も頑張りました。
すると周りから
「すごい」と周りの友達から褒めてもらえるようになりました。
部活も大変なのに勉強の成績もよくて、学級委員とかもして「すごいね」
今まで褒めてもらえなくなった親にもそう言ってもらえました。
褒めてもらえることがとても嬉しかったのです。
全部、頑張ることっていいことなんだ!みんな認めてくれる
みんなに認められる自分でいたい
そう思うようになりました。今もなお残る承認欲求の芽生えです。
*中学2年:挫折
中学2年生のとき、先輩が引退して、自分たちの代になった!
試合にようやく出れるようになって、もっとこれから楽しくなる!
そう思っていました。
しかし、私はレギュラーにはなれませんでした。
とても悔しかったです。
私は自分の小さな身長のせいだと思いました。
レギュラーに選ばれたのは身長が高い初心者の子だったからです。
私は、試合に出るために練習も一生懸命したし、自主練も、勉強も、委員会だって頑張ったのに・・・試合に出れないなら全部、無駄だった。
身長なんて頑張ったって伸びるもんじゃない
頑張ったって無理なことはある
頑張ったって意味ないなら何もしたくない
そう思い、なんとな~く部活も勉強もするようになりました
成績も下がっていきました
そんな私のことを周りの人は必要以上に心配してくれました
「学校でなんかあったの?大丈夫?」と気にかけてくれる母
頑張れない自分にイライラして、友達に少し強い言い方をしただけで
「え・・ほのかも怒ったりするんだ。大丈夫?」と驚いた顔の友達
周りの反応が怖くなってきました
私はみんなからどんな人だと思われているんだろう・・?
いつも勉強や部活を頑張って、ニコニコ笑って優しい「いい子」
そんな私だったから、みんなに好かれていたのではないだろうか・・
みんなに嫌われたくない。
「いい子」じゃない私なんか誰も必要としてくれない
「いい子」でいるために頑張らないといけない
そう思うようになりました
だから、もう何にも頑張りたくなかったけれど、頑張る私に戻りました。
毎日、朝6時に起きて、朝練に行き、学校ではだれにも嫌われないようにみんなに合わせてニコニコし、行きたくもない部活に行き、家に帰れば塾に行き、成績をとるために勉強をする
みんなに「すごいね」「いい子だね」そういってもらって安心する毎日
次第に、何のために生きているのかさえわからなくなってきました。
もう何もしたくないのに、頑張らないと1人になる気がする不安で仕方ないから、ニコニコ笑っているお人形。
そんな自分のことが大っ嫌いになっていきました。
*中学3年生:私を救った友達の言葉
中学3年生のとき、私は妬みによる嫌がらせを受けました。
だけど、周りの人は完璧な自分以外受け入れてくれないと思っていたので
辛かったけれど、いつも一緒にいる友達にも、家族にも相談しませんでした
そんなある時、いつも一緒にいる友達が学校に行くと泣いていました
「気付いてあげられなくてごめん。」と泣いていました
嫌がらせを受けていたことを知った友達が私のためにないてくれました。
「どんなほのかでも、味方でいるから、大丈夫だよ」と言ってくれました。
すごく嬉しかったです。
凍った心が解けていき、涙が止まらなくなりました。
「いい子な自分でいないと誰からも必要とされない」
そう思っていたのは、私の思い込みだった。
どんな自分でも、必要としてくれる人はいる
そう思うと勇気が湧きました。
そこから、私の考え方は変わっていきました。
自分の人生は自分でつくるもの
自分の人生は自分で楽しくしよう!
100人に好かれる自分よりも自分が好きな自分になろう
そう考えられるようになっていきました。
*高校・大学:その後の私
*自分で考えて、自分で決めて、自分の人生を自分でデザインする面白さ
中学で「自分の人生は自分でつくる」と決めた私は、
自分のやりたいことに挑戦し、
やると決めたことを結果がどうであれ頑張り抜く面白さを知りました。
下が、高校以降のやってきたことです。
・高校は同期が全員推薦の中、1人一般で再度バレーボール部に入部
・高3の時点でD判定の大学を志望し、猛勉強し、B判定になるも落ちる
・富士山に登る
・教育NPOでキャンプの運営リーダー
・オーストラリアに1か月留学
・教育NPOの高校生のキャリア教育事業の立て直しのために学生代表になる
・スウェーデンに2週間の教育視察に行く
自分で決めて行動した経験を通して、考え方が広がっていきました。
昔は何のために毎日があるのかわからなかったけれど、
今は毎日が楽しくて、大切だと思える人に囲まれる毎日を送ることができています。何より嫌いだった自分のことが好きになることができました。
これからもどんどん挑戦したいです。
これからは、キャリアコンサルタント資格を取ることと、ビジネスの勉強をはじめてみようと思っています!
4.最後に
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。
自分の人生を自分が主体者となって歩める人を増やしたい
この思いは自分が自分の人生のハンドルを手放し、辛かった経験からきています。
もっとみんな有意義に時間を使えるはず。
どんな人でも気づきがあれば変わることができると信じています。
私の言葉がその気付きとなる存在になれたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。