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ぎぶの音読舞台 宮沢賢治著 『永訣の朝』

今まさに、映画館でも上映されていますね。
『銀河鉄道の父』

先日観てきました。
実は、私の中にできている賢治のイメージとは少し異なったキャラクター?で、最初は違和感だったんですけど、どの役者さんも素晴らしくて、これはこれで成立されているなぁ、、、すごいなぁ、、、プロって😌と思ったのでした。

心が揺さぶられて、今回この詩を読んでみた次第です。
方言は勉強不足のため、ご指摘などがございましたら、是非ともお願いいたします。


『永訣の朝』は、賢治の最愛の妹である トシの死
を悼みかいたものです。
何度も出てくる
【あめゆじゆとてちてけんじや】は、【雨雪とってきて】と、賢治にお願いしているトシの言葉。けんじや は、賢治を呼んでいるのか、献じてという言葉の意味なのか、、、

様々な受け取り方があるかと思いますが、私には,この言葉が賢治の脳裏に焼きつき、心の支えとなったのではないかと思うのです。

宮沢賢治の作品は、ちょっと難解な印象があります。なのでちょいと補足を😀
😺
【(*Ora Orade Shitori egumo)】
 →わたしはわたしひとりでいきます
😺
【(*うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)】
 →今度生まれてきたら今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる
😺
【どうかこれが兜率の天の食に変わって
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ】
 →どうかこれが天上界の食べ物に変わって、トシばかりでなく、天界の多くの者にもたらすことを、自分の幸福とひきかえにして願う


先ずは詩をご覧下さいませ😊

永訣の朝 宮沢賢治

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (*あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(*Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (*うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率の天の食に変わって
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

お読みくださった方も、最後までお聴きくださった方も、ありがとうございました😊