エアシャカールとファインモーションを取り巻く「運命」とは何だったのか──シャカファイ運命論
こんにちは。『ウマ娘プリティーダービー』のエアシャカールとファインモーションの組み合わせ(通称:シャカファイ)を好むTen-Gooと申します。
今回はC102にて頒布しましたシャカファイ同人誌『Our Brief Eternally(1・2)』の完売を記念して、そこに掲載しておりました論考『エアシャカールとファインモーションを取り巻く「運命」とは何だったのか ──シャカファイ運命論』を加筆修正の上、Web再録します。
堅苦しい内容になるかもしれませんが、シャカファイ大好きさんも、シャカファイちょっと好きさんも、シャカファイこれから好きになるさんも、「またオタクが何かイカれたことやってンな」というリラックスしたお気持ちでお読みいただければと思います。
↑このリンク先の本です。
1・2巻同数を印刷したはずなのになぜか1巻だけ数冊余ったので、訳アリ品として限定でお出ししています。誰か2巻だけ買った人とかいるのか…?
なお、本論考は2巻に掲載されています。
本文章はエアシャカール・ファインモーションの育成シナリオのネタバレをこれでもか! というほど含みますので、ご注意ください。
さて、それでは早速シャカファイと「運命」の関係性を紐解いていきましょう。
以下、同人誌に掲載した論考です。
はじめに
ウマ娘のゲーム内のエアシャカールとファインモーションは、運命によって紐づけられた二人である。
これが、シャカールとファインの関係性に狂わされた私がたどり着いた定義だ。この定義に基づく話を書きたいと思い、同人誌『Our brief eternally』を構想した。
同人誌の執筆にあたり、まずはじめに行ったことは、定義の信憑性を自分の中で高めることだった。
まず、エアシャカールのキャラクターストーリーの1話から4話と、育成ストーリー内で必ず起きるイベントを文字に書き起こし、改めて彼女たちの物語をたどることにした。
同様に、ファインモーションのキャラクターストーリーの1話から4話、育成内で必ず起きるイベントの書き起こしも行った。
それらを分析、比較した結果、興味深い事実が浮かび上がってきた。それらを、時折妄想と願望も交えながらここに記していく。
なお、本論では、事実関係をはっきりさせるため、事実をこのような地の文で書き起こし、筆者の妄想や推論、個人的感情を含むものは※と共に()の中に書き記すことにする。
(※早速このカッコ書きを使用させてもらう。キャラクターストーリーを4話までしか書き起こしていない・育成中に起きるランダムイベントを書き起こしていな理由は2つ。①全てを書き起こすと文章がものすごい量になる。②目視で確認した結果、それぞれの4話以降のキャラストやランダムイベントには運命という単語が登場しなかった。よって、本論は正確なデータとして機能しない。その点を踏まえてこの文書を楽しんでいただけると助かります)
序:「運命」とは何か。
まずはじめに、一般的な「運命」の定義を確認する。
1・人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。
2・将来の成り行き。今後どのようになるかということ。
──goo辞書より
運命とは、何らかによって人間に与えられる、自らの意志ではコントロールできない力だ。
私は、ウマ娘のエアシャカールとファインモーションは、その見えざる力によって結びつけられていると考えている。間違いなくカップリングオタクの誇大妄想だが、その狂気の考えに至った経緯と判断材料を、ひとつひとつ紐解いていく。
1:エアシャカール、ファインモーションの育成シナリオ内において「運命」はどのように出現するのか。
シナリオ書き起こしの結果、エアシャカールとファインモーション、それぞれの育成ストーリーで、「運命」という単語が重要な意味を持って登場していることがわかった。
ここでまず、Twitterで実施したアンケートの結果を確認する。
問:シャカールとファインの関係性において、『運命』という言葉からより強く連想するのは、どちらか。
答: エアシャカール…… 47 %
ファインモーション…… 53% (投票数:224票)
解答ボタンを押してくれた方の中で、もしこの文章を読んでくれているという人がいたら、深く感謝の意を示したい。
ご覧の通り、拮抗した結果となった。
筆者のフォロワーさんにはシャカールとファインの関係性を好む人が多いが、彼/彼女たちの間でも、「運命」という単語は極端にどちらかに偏ったイメージではないことがわかるだろう。この結果を踏まえて本論を読むと、より一層楽しめるのではないだろうか。
まずは、エアシャカールの育成シナリオを分析する。
エアシャカールのシナリオ内では、「運命」という単語が存在感を持ち、度々現れる。
その単語の登場回数は、なんと60回以上にも及ぶ。
そのうち、※シャカールが自ら「運命」と発言したのは、39回だ。残りはトレーナーや他のキャラクターの発言だ。
(※1:この「運命」カウントの中には、エアシャカール自らが「運命」と口にした回数と、トレーナーが「運命」と口にしたりモノローグに表したりする回数、ルート分岐で現れるものも含める。 ※2 エアシャカールの育成シナリオはギミックが細かく、短縮版にすると、ログが「エアシャカールの記録」変化する。今回は非短縮版・短縮版に現れる「運命」という単語を全て集計している)
エアシャカール育成で登場する「運命」カウントは、以下の通り。
キャラクターストーリー内 1回
ジュニア級 6回(うちエアシャカールの記録:2回)
クラシック級 34回(エアシャカールの記録:6回)
シニア級 9回(エアシャカールの記録:2回)
一度に「運命」が最多登場するのは、クラシック級の『Chaneges』というイベントで、※7回出現した(※“エアシャカールの記録”での登場分を加えると9回)
「運命」の出現方法について、いくつか例を挙げる。
キャラクターストーリー
※「信者は運命を受け入れるしかないのさ。呪うこともできない」
──第2話『ブラックボックスから聞こえる』
(※キャラクターストーリー唯一のこの「運命」は、アグネスタキオンによるセリフである)
ジュニア級
「ンなクソみてェな運命を変えるなら、諸悪の根源を断つしかねェ」
——『エアシャカール登場』
クラシック級
「本当に——本当に、運命を……変えた」
——『日本ダービーの後に・≠』
シニア級
(あの時、もう1度最悪な運命を見せてきたのは……オレを煽るためだったと、なぜか納得している自分がいる)
——『天皇賞・春に向けて』
全体を通して、シャカールのシナリオには「運命」が立ち込めている。ちなみに、「データ」という言葉の登場回数は50回超、「ノイズ」は17回。それらと比較しても、「運命」の存在感は大きいと言っていいだろう。
シャカールは、「運命」をどのように解釈しているのか。関連がありそうなセリフをいくつか引用し、定義する。
「どんなルートを、どんなパターンを通っても、必ず“ココ”に帰ってくる。だから、それは……運命って呼ばれンだ」
「ココまで全部、予定調和で……結果はこうなるってわかってンのにもがくオレを、 空から笑ってるヤツがいる。“屈服して、 自分であることをやめろ。 やり方を変えろ。 運命に迎合しろ。 さすれば救われるだろう”ってな」
——『Changes』
「少し、考えてた。『Parcae』 はなぜ、 オレを苦難へ導こうとしていたのか。なンでオレに、あの運命を与えようとしていたのか……」
——『クリスマス』
また、上述したキャラクターストーリーのアグネスタキオンのセリフから、シャカールにとっての「運命」は、『第三者(神)から与えられ、どんなに逆らっても必ず到達してしまうもの』であると考えられる。
次に、ファインモーションのシナリオに出現する「運命」について分析する。
ファインシナリオ内で、「運命」というワードが登場したのは、なんと2回である。
シャカールシナリオに比べると、圧倒的に「運命」の登場回数は少ないことが分かる。しかし、先ほどのアンケートでもわかる通り、ファインにも「運命」のイメージがある。それこそ、シャカールにも勝るほどの。
それには理由がある。
ファイン育成シナリオには、ど直球もいいところの※『Destiny』というイベントがある。
(※これはとんでもないイベントだった。行き詰まったシャカールがファインちゃんに「オレの神になってくれるのか?」と縋るイベントだ。この会話を目撃したシャカファイ村は三日三晩燃え続けた……)
ファイン育成シナリオ内で出現した「運命」のうち1回は、このイベント内での発言だ。「運命」が全体的に散りばめられていたシャカールシナリオに対し、ファインシナリオは、イベントタイトルの『Destiny』も合わせて、まさにここに一極集中で「運命」が盛り込まれていたので、※プレイヤーの印象に強く残ったのだろうと推測される(※私もそうだった)。
「ごめんねシャカール。私は運命を愛しているの。……愛さなければ、ならないの。」
——シニア級『Destiny』
ちなみに、ファインシナリオの中にもう一度登場する「運命」という単語は、エアシャカールが発している。シナリオ内でファインが自ら「運命」を語るのは、『Destiny 』でのたった一度きりなのだ。
「……あーあ、クソ。こっちはミリも気持ちよくねェっつーの。結局、 お前も運命を覆さねェんだな。 オレは……」——『宝塚記念のあとに』
後述するが、シャカールから見たファインは、『「運命」を「神から賜ったもののように扱う』と表現されている。以上のことから、ファインにとっての「運命」は『神から賜った愛すべき(受容すべき)もの』と定義することができる。
ファインシナリオ内の「運命」については、もう一つ興味深い分析結果が出た。自分のシナリオでは60回以上も「運命」と口にしていたシャカールが、ファインシナリオでは上述のたった一度しかその単語を口にしていないのだ。
シナリオでの登場回数が違うのはもちろんだが、それでもシャカールはファインの育成ストーリーイベント全34個中※13個に登場している(※シニア級の分岐で有マ記念を選択した場合。しかし、有マを選ばなくとも必ずシャカールが登場するイベントは起きる。すげー……)。
どちらのストーリーにおいても、シャカールはシャカールである限り“神から与えられらもの”に逆らうために走っているように思われる。
そこに、何らかの意図があるのではないかと推測し、改めてシナリオを分析した。
その結果を、次項にてまとめる。
2:ファインシナリオ内のエアシャカールは、「運命」を変えるために走っていたのか。
前項で、ファインシナリオのシャカールは「運命」をほとんど口にしないことを述べた。しかし、ここでもシャカールは確実に、※神(第三者)から自分に与えられた未来を変えるために走っていたと思われる。
(※なので、Destinyのイベントでは、「お前はオレの神になってくれるのか?」とファインを新しい神に見立てて、異なった未来を得ようとしている)
しかし、ファインシナリオのシャカールは頑ななほど「運命」という言葉を口にしようとしない。
それには理由があった。
分析の結果、ファインシナリオ内のシャカールは「運命」に抗うために走っているのではないということがわかった。
では、ファインシナリオのシャカールが逆らおうとしているものは、一体何なのか?
それは「結末」だ。
シャカールは、ファインシナリオで「運命」という単語を語らない代わりに、「結末」という言葉を多用する。
ファインシナリオ内のシャカールが「運命」と口にしたのは1回だったが、「結末」と口にしたのは6回だった。ただし、そのうちの5回はシニア級「有マ記念の後・Sweet memories」で登場している。
「結末」の意味を確認する。
最後の締めくくり。最後に到達した結果。「連載小説に―をつける」
——goo辞書より
ファインシナリオのシャカールは、自力で「結末」を覆すことができない。それゆえ自らの定められた「結末」を覆すための鍵を、ファインの中に見つけている。だから、ファインシナリオのシャカールは、あれほどファインに執着している。
ファインシナリオでの「結末」の登場例を確認する。
「……全部、 ハナからわかってた。オレはココで負けて終わり。だが、 それじゃ面白くもねエ。結末を歪ませるモノを、オレは探し続けてた。」
「『定められた結末を変えられるとすれば……コイツなンじゃねェか?』
お前の結末を変えれば――走り続けさせれば、前提から崩れて、オレの結末も変わるはずだ。」
「で、結局データ通りのだっせぇ結末だ。 」
——シニア級『有マ記念の後・Sweet memories』より
シャカールの目論見に反し、ファインは自分の新しい神≒新しい「結末」を導こうとはしなかった。それを受けたシャカールは、ファインの最終目標の有マ記念で引退を決意する。
以上のことから、ファインシナリオにおける「結末」は、「史実通りの戦績を辿り、菊花賞後一勝もできずに選手生命を終えること」と定義しても良いだろう。
そして、ファインシナリオのシャカールは、菊花賞後、自分が一度も勝てないで終わるという史実通りの「結末」を変えるために走っていると推測できる。
結局、※有マ記念でもシャカールは「結末」を変えられず、ファインは帰国してしまう。(※夏合宿のシナリオ分岐で有馬記念を選択しても、しなくとも、結局有馬記念でシャカール絡みのイベントは起きるし、必ずそれを経た上でファインは帰国してしまう。徹底している……)
というわけで、一見、ファインシナリオにおけるシャカールの「結末」は変わらなかったように見えるが、ただ一点、変化があった。
有マ記念を最後に引退する予定だったシャカールは、ファインの次のセリフで自身の幕引きを思いとどまる。
※「私のために走って。 勝って、シャカール……証明して。」
——シニア級『有マ記念の後・Sweet memories』より(※なんちゅうセリフじゃ……)
シニア級で起きる『Such a sweet sorrow』のイベントによると、“シャカールは有マ記念での引退を宣言したが、引退届を提出したかはわからないという状態”になっている。
しかし、彼女はファインがいなくなった世界で今日も、パソコンを片手に思考している。
そんな時、ファインは親善大使となって日本に戻り、再びレースの世界に身を置くことになる。
その時のシャカールのセリフが次だ。
「そーか、 結末は変わってたンだな……! なら引退する意味がねェ。予定変更だ。」
——シニア級『Such a sweet sorrow』より
親善大使のファインが帰ってきたことによりシャカールは自らの「結末」が変わっていたことを理解し、引退を撤回し、走り続ける道を選ぶ。
以上のことから、ファインシナリオのシャカールは「運命」を変えたのではなく、彼女を取り巻く「結末」が変わったのだと言えるだろう。
3.シャカールシナリオ内で、ファインモーションにとっての「運命」はどのように表現されているか。
上述の通り、ファインシナリオ内で「運命」という単語は2回しか出現していない。自分のシナリオで「運命」をあれほど強調していたシャカールすら、ファインシナリオではほとんどその言葉を口にすることはなかった。
「運命」は、ファインのストーリーを象徴する単語ではないのかもしれない。
しかし、Twitterでのアンケート結果からも分かるように、私たちの目には「運命」とファインの間には、強い結びつきがあると見える。
それはなぜか。
その理由は、シャカールシナリオの中に現れている。
早速確認しよう。
第1項、第2項にまとめた事柄から、ファインシナリオの中のシャカールは「結末」を変えるために走っていて、シャカールシナリオのシャカールがは「運命」を覆すために走っているということがわかる。
それを表しているシャカールの育成シナリオを一つ抜粋する。
彼女は1人でそこまで積み上げた。必要なのは蝶が羽ばたく程度の風でよかった。そして、運命を覆そうと勝とうと決意した——
「もうその日に、運命は変わっていたんだよ」
——クラシック級『Change』より
シャカールが「運命」を覆し、7センチの壁を越え、与えられた“最弱世代”の称号を返上し、最強になる。それがシャカールシナリオの大筋だ。
“蝶が羽ばたく程度の風”を呼び込んだのは紛れもなくトレーナーだ。トレーナーと出会ったシャカールは、二人三脚で「運命」を覆すことに成功する。
つまり、シャカール育成ストーリー内のシャカールは、他のウマ娘にはない“ゆらぎ”を持つファインに自らの可能性を見出す必要がなくなった。
ファインシナリオ内のエアシャカールは、ファインに可能性を見出していたからこそ執着し、どうにかして「結末」を変えようと何度もアプローチした結果、登場回数が多くなった。
ならば、「運命」を変えることに成功したシャカールは、ファインにアプローチする必要がなくなると考えるのが自然である。
しかし、ファインはシャカールのシナリオに複数回出現した。
特徴的なのは、その登場の時期だ。
シャカールの育成シナリオ内でファインが出現するイベントは、10個だ。そのうち、回想での登場が2回。かつ、ランダムイベントは計測していない。
回想を除いたファインの登場イベントは、クラシック級の『Noisy Days』、シニア級『バレンタイン』、『夏合宿(三年目)スタート!』、『夏合宿(三年目)終了』、『天皇賞(秋)のあとに・Ambition』、『有馬記念に向けて』、『有馬記念の後に・All eyez on me』『エンディング(ノーマル)』だ。
ファインがセリフを伴って登場するイベントのうち8個中6個が、シニア級の後半部分に集中していることがわかるだろう。
『夏合宿(三年目)スタート!』以降のシャカールの固定育成イベントは全部で8個だ。なんと、そのうちの6個にファインは登場していることになる。シニア級夏以降のシャカール育成ストーリーの8割にファインが登場しているのだ。
これは……変だぞッ!?
育成内でシャカールが自分の本当の望みを理解したのは、※シニア級の宝塚記念で一着を取り、最強になった後だ(※詳しく記述すると終わりがないので割愛する。気になる方はぜひシャカールを育成してください)。
ファインの登場頻度が増すのは、シニア級の三年目の夏以降。つまり、ファインはシャカールが宝塚記念を通して自分の本当の望みを理解した後に頻繁にストーリーに登場することになる。
これは……なんらかの““意図””を感じるぞッ!?
さて、ここまで前置きを書いて、ようやく本項のテーマ、『シャカールシナリオ内で、ファインモーションにとっての「運命」はどのように表現されているか』にたどり着く。
おさらいすると、ファインシナリオにおけるシャカールにとってのファインは、自分の「結末」を変えられる可能性だった。
では反対に、「運命」に抗おうとするシャカールシナリオの中で、ファインはどういった役割を持つのだろうか。
この問いは本論考にとって非常に大きな意味を持つのだが、詳細な推論は次項で行うこととし、ここでは、※シャカールのセリフの中から「運命」とファインに同時に言及する部分を確認するに留めたい。
(※そんな都合の良い部分、あるのか? あるんだよ、これが……)
エアシャカールの記録
「ファインモーションにもデビューが迫っている。新世代の台頭だ。ヤツとは運命の解釈が異なる。 賜ったものかのように受け入れる……あの顔は、好きじゃない」
——『夏合宿(三年目)スタート!』
……この項は、以上で閉じる。
そして、次項で記す推論が、私がこの同人誌を上梓した理由である。
4:「運命」はシャカールとファインを本当に紐付けているのか。
この論考の主張は『エアシャカールとファインモーションは「運命」に紐付けられた二人組である』だ。
この項では、いよいよその狂気の結論に至った理由を記していきたい。
ファインシナリオにおけるシャカールとファインの結びつきを改めて整理する。
ファインシナリオ内のシャカールは、定められた「結末」を覆すために走っていた。そして、それを成すためには、ファインの持つ”ゆらぎ”が必要だと考えていた。
「お前のデータには、ゆらぎが見える。ルールにねェゆらぎだ。 それを利用すれば……。……”7センチ”も変わったかもしれねェな。」
——『My dear』
「……なら、 仮にだ。もしオレが頼めば……お前は走り続けるのか? それがオレに必要だって言ったら? お前はオレの神になってくれるのか?」
——『Destiny』
「『定められた結末を変えられるとすれば……コイツなンじゃねェか?』
お前の結末を変えれば——走り続けさせれば、前提から崩れて、オレの結末も変わるはずだ。」
——『有馬記念の後に・Sweet memories』
シャカールが自身の「結末」を変えるために必要だったのは、ファインの心を変えて、走らせ続けるようにすることだった。
しかし結局、ファインは自分に与えられた使命を覆さず、帰国を選ぶ。「結末」を覆せなかったシャカールも、有馬記念での引退を発表。二人は、決まった「結末」に収まった。
そのはずだったが、帰国し使命に復帰したファインに与えられた公務は「日本親善大使」。ファインがいるということは「結末」が変わったことを意味しており、ならば引退する必要がないと考えたシャカールは、再びターフの上に戻る決意をする。
「そーか、 結末は変わってたンだな……! なら引退する意味がねェ。予定変更だ。」
——シニア級『Such a sweet sorrow』
「今はもう、違う道筋が見えてる。……楽しもうぜ、 ファイン?」
——シニア級URAレース後『Rain or Shine, I’m Fine!』
ファインシナリオの主題は、ファインが悩み、惑いながら自分の使命への愛を貫くストーリーだった。一方シャカールは、ファインのその信念や決意を破壊しようと奮闘していた。その結果、二人には新しい「結末」が訪れた。
エンディングを迎えた二人の「結末」は、これまでと少しだけ方向性を変え、もう少しだけ先に続くことになった。
以上、ファインシナリオのファインは、”シャカールが走り続けるために必要な存在”として描かれている。逆に言うと、※ファインがいなければシャカールは走っていられない(※なんだそれは)。
このことから、ファインシナリオ内の二人の間には強い繋がりがあると言っても良いと考えられる。
しかし、その繋がりが「運命」を触媒としたものであると断言できるかというと、そうではない。
ファイン実装が※2021年12月だ(※とんでもなかった。もちろん実装日にガチャを引いたが、ストーリーが凄まじすぎてそのあと年末までの記憶がない)。
シャカールが実装されたのが、2022年7月10日。※”7”を越えてすぐのガチャ更新発表だった(※シャカール実装発表の際、ちょうど私は福島競馬場にいた。しかし、あまりに予想外の出来事だったので、その日の七夕賞の記憶がない)。
閑話休題。
シャカールの実装前の私の専らの興味関心は、シャカールシナリオにおけるファインの登場の仕方だった。
ファインシナリオの時点で、シャカールとファインの間には、デビューしてから少なくとも2年分の差がある。ファインがジュニア級の時点で、シャカールがすでにクラシック二冠を達成していた描写があった(イベント『My dear…』)。
菊花賞以降勝ちに恵まれず、シニア級でもなかなか勝ちきれないファインシナリオのシャカールが喉から手が出るほど欲しかった可能性——それがファインだった。定められている「結末」に着々と向かっているからこそ、シナリオ中の言葉借りれば、シャカールはファインに縋ったのである。
しかし、シャカールシナリオは、どのように分岐してもシャカールがクラシック級で「運命」を変えるシナリオだ。つまりシャカールはシニア級でファインに縋る必要がない。ならば、シャカールシナリオでファインはそれほど登場しないのではないかというのが、私の見立てだった。
しかし、第3項で述べたとおり、予想に反してシャカールシナリオでもファインは頻繁に登場した。それも、シニア級の夏合宿以降という、シャカールのエンディングが見えてきたタイミングでだ。もうシャカールはファインに縋る必要がないのに、何故か。
それを分析するため、夏合宿で実際に行われた会話やモノローグ、エアシャカールの記録を抜粋する。
トレーナー:なんとなくシャカールに似ているね
シャカール:ア!? どこが。……なにが。
トレーナー:自分の運命を知っている感じが
シャカール:実際、 知ってるし理解もしてンだろ。オレと全然違うやり方で。そう、アイツは……自分の運命をわかってる。
トレーナー:あえて変えないってこと?
シャカール:100パーな
——『夏合宿(三年目)スタート!』
エアシャカールの記録
「ヤツとは運命の解釈が異なる。神から賜ったもんのように扱う。※あの顔は、好きじゃない。」
——『夏合宿(三年目)スタート!』短縮版
(※あの顔“は”好きじゃないってどういうこと? 他の顔は好きなの?)
エアシャカールには、ファインモーションが運命に殉じようとしているように見えるのだろうか?
——『夏合宿(三年目)を終えて』
「運命」!
夏合宿内で、実に3回も「シャカールとファインと運命」に関連する文章が出現している。
また、どの文章からも、シャカールとファインは「運命」に対して異なる考え方を持っていることが読み取れる。
シャカールとファインの間の「運命」考え方の違いが見えるだけでも十分すぎるくらいだが、二人がそれによって結びつけられていると断言するには、※もう一押し欲しい(欲の深いオタクだよ)。
ここで、夏合宿終わりにファインのトレーニングを遠くから見守るシャカールとトレーナーの掛け合いを引用する。
エアシャカールには、ファインモーションが運命に殉じようとしているように 見えるのだろうか?
実際のところは何もわからない。けれど、気に食わないことがあるのならば、彼女には手段がある。それは……。
トレーナー:貴方のスタンスをわからせることはできる
シャカール:……。
トレーナー:今からの貴方を見れば心が変わるかも
シャカール:……百パーないな。ねェよ。だが、もし、そうなったら……。見つかるとウゼェ。行くぞ
——『夏合宿(三年目)を終えて』
以上のように、ファインのトレーニングを見つめて何かの可能性を思考しながら、シャカールは夏合宿を終える。
そして、ここからシャカールとファインの間を繋ぐ「運命」の紐が、いよいよ私たちの前に姿を現す。
夏合宿を終えての初戦は、天皇賞・秋だった。このレースの達成条件は「一着を取る」ことなので、シャカールは必然的に“天皇賞秋を勝った”ことになる。
天皇賞・秋でシャカールは自身の走りに手応えを感じていた。シャカールを“見るしかなかった”観客たちを目の当たりし、「もっとデカいレースで鳴らしたい」という欲求を持ち、次走を有マ記念へと定める。
天皇賞・秋のあと学園に戻ってきたシャカールは、偶然ファインと出会う。秋天のレースぶりを褒め称えるファインに対し、シャカールは物足りなさを覚える。その様子を察したファインは、シャカールの求めたものを与えようとする。
その際のシャカールのセリフが、以下の通りだ。
ファイン :あれ、 シャカール! お帰りなさい! 今日のレース、中継見ていたよ! とってもかっこよかった! 私もデビューに向けて頑張ろうって、気合いもらっちゃった。時間は限られているもの。 1本1本、素晴らしいレースをしないと!
シャカール:……。……それだけか?
ファイン :え?
シャカール:……いや。
ファイン :シャカール。 私は何をしてあげられる?
シャカール:……。『有馬記念』は、必ずレース場まで来い。施したがりの“殿下サマ”なら、 当然応えてくれるな?
ファイン :もちろん。 けれど、どうして?
シャカール:証人がいンだろ。わかりやすいのが……。運命に殉ずる覚悟の殿下サマ……なンて、おあつらえ向きだぜ。」
——『天皇賞(秋)のあとに・Ambition』
シャカールは、ファインを何らかの証人にしようとしている。しかも、その条件にファインが適している理由は「運命」に殉ずる覚悟があるからだという。
シャカールは、ファインを一体何の証人にしようとしているのか。
エアシャカールの記録も参照し、その内容に迫る。
エアシャカールの記録
「次の目標 「有馬記念』は、 世間にオレの真価をわからせる絶好の舞台。
よってファインモーションを“証人”とする。運命に殉ずる覚悟までひっくり返れば、証明は完璧と言えるだろう。 」
——『天皇賞(秋)のあとに・Ambition』短縮版
シャカールが証明しようとしていることについては、※ストーリー内ではっきりと明示されているわけではない。推論となるが、見解を示しておく(※明示されてるよ! って場合はすみません)。
エアシャカールの記録
「『Parcae』 は再び、 オレがこれ以上1度も勝てない運命を示した。
今の状況的にも納得できる。 だがトレーナーは意地をわからせろと言う。
曖昧な定義。
だが、 全員に自分の力を証明するには……やるしかない。」
——『Change』
この文章から、シャカールは自分の力を世間の全員に証明しようとしていることがわかり、“シャカールの証明”=“自分の力を示すこと”という図式が成り立つ。そしてなぜか、その達成要件が“ファインの「運命」に殉ずる覚悟をひっくり返すこと”になっているのだ。
流れを整理すると、以下の通りになる。
①シャカールは全員に力を“証明”したい。
②有マ記念は、世間にシャカールの真価をわからせる絶好の機会。
③証人であるファインの運命に殉ずる覚悟が有マ記念でひっくり返れば、シャカールの“証明”は完璧と言える。
そう。
天皇賞・秋の後のイベントで初めて“力を示し、世間の評価を覆す”というシャカールの目的と、“ファインの「運命」を変えること”が結びつくのだ。
ここで、上述した夏合宿のトレーナーとシャカールの掛け合い・『夏合宿(三年目)開始!』を再度確認していただきたい。
その会話からは、「運命」を変えたシャカールと、あえて「運命」を変えないファインという、違うやり方を取り対立する二人の構図が浮かび上がる。
「夏合宿(三年目)スタート!」時点では、シャカールは「運命」を変えようとしないファインに何のアクションも取っていない。
しかし、「夏合宿(三年目)終了」の時点では、そんなファインに対するアプローチが変わりつつある。以下は、そのイベントの引用だ。
「エアシャカールには、ファインモーションが運命に殉じようとしているように 見えるのだろうか?
実際のところは何もわからない。けれど、気に食わないことがあるのならば、彼女には手段がある。それは……。
トレーナー:貴方のスタンスをわからせることはできる
シャカール:……。
トレーナー:今からの貴方を見れば、心も変わるかも
シャカール:……一〇〇パーないな。ねェよ。だが、そうなったら……。……見つかるとウゼェ。 行くぞ。
——『夏合宿(三年目)を終えて』
シャカールは、夏合宿を終える前に『もしファインが心変わりしたら』という仮説を立てたのだ。ここから、二人の運命の歯車が動き出す。
天皇賞・秋の後、シャカールは自身の仮説の実証条件を述べる。
「証人がいンだろ。わかりやすいのが……。運命に殉ずる覚悟の殿下サマ……なンて、おあつらえ向きだぜ。」
——『天皇賞(秋)のあとに・Ambition』
エアシャカールの記録
「よってファインモーションを“証人”とする。運命に殉ずる覚悟までひっくり返れば、証明は完璧と言えるだろう。」
——『天皇賞(秋)のあとに・Ambition』短縮版
また、シャカールがストーリー内で証明したい内容を、再確認する。
「だが、 全員に自分の力を証明するには……やるしかない。」
——『Change』
エアシャカールの記録
「次の目標 「有馬記念』は、世間にオレの真価をわからせる絶好の舞台。
よってファインモーションを“証人”とする。運命に殉ずる覚悟までひっくり返れば、証明は完璧と言えるだろう。」
——『天皇賞(秋)のあとに・Ambition』短縮版
シャカールが成そうとしていることと、夏合宿の後の掛け合い、天皇賞・秋のあとのシャカールのセリフと記録を整理すると、以下のような命題が浮かび上がる。
命題
『シャカールが全員に力を証明したならば、ファインの「運命」に殉じる心も変わるだろう』
シャカールの育成ストーリーの目的は、世間に自分の力を証明すること(≒「運命」を変えること)だ。その目標は、シニア級の天皇賞・秋の時点で半ば達成されつつある。
エアシャカールの記録
「――実証。どいつもこいつも オレを“見るしかなかった”。」
——『天皇賞(秋)のあとに・Ambition』短縮版より
夏合宿を通じてシャカールは、新たな課題として、ファインを心変わりさせることを思いつく。
「夏合宿(三年目)スタート!」時点のシャカールは、ファインの心変わりの可能性は「百パーない」と断言している。
その発言から、シャカールにとってファインの「運命」に殉じる心を変えることは難易度が高いミッションであると推測できる。
だからこそ、シャカールはファインを自身の証明の証人に選んだのではないだろうか。ファインの「運命」に殉じる心を変えることが困難であるからこそ、それを達成すれば、『自分の力を世間に証明したことになる』と考えたのではないだろうか。
命題
『シャカールが全員に力を証明したならば、ファインの「運命」に殉じる心も変わるだろう』
対偶
『ファインの「運命」に殉じる心が変わっていなければ、シャカールは全員に力を証明したことにはならないだろう』
「全員」の中には当然ファインも含まれる。
つまり、この対偶は、シャカールの中で真である。なので、
命題『シャカールが全員に力を証明したならば、ファインの「運命」に殉じる心も変わるだろう』も真であることがわかる。
シャカールは、やはり『自分が「運命」を変えたという事実を、証人であるファインの「運命」に殉じる心を変えることによって証明しようとしている』のだ。
なんてこった。
そして舞台は、最後の育成目標である有マ記念へと移る。
有マ記念のレース前、あくまでこのレースを思い出作りの一環として捉えているファインの様子が見られる。
ファイン:こんなに賑やかな中で走れたら……とっても素敵な思い出になるだろうな。
タキオン:ふゥン……。思い出で済めばいいけれど。
ファイン:……。私はただ、シャカールを見るだけだよ。彼女の想いを、取りこぼさないように。
——『有マ記念にむけて』
しかし、その考えは、シャカールのレースを目撃した後、はっきり揺らぐ。
ファイン:シャカール……知らない目をしていた。そこに何があるの? 私は……——……タキオン。私は今日、来るべきではなかったのかな?
——『有馬記念の後に・All eyez on me』
シャカールは、ファインを証人に招いた有マ記念のことを、記録にこう残している。
エアシャカールの記録
/* 『有馬記念』 勝利。会場中が喚き、 騒いでいる。 雑然としたノイズ--だが、これこそが オレを刻みつけてやった証拠だ。 */
シャカール:ハハッ……証明完了だ、バァカ。
——『有馬記念の後に・All eyez on me』短縮版
証明完了。
シャカールは、有馬記念で自身の力を“全員に証明した”。
ならば、命題通りファインの「運命」に殉じる心も変化した——と言いたいところだが、シナリオ内では、そこまでは明言されていない。その答えは、きっとシャカールの育成ストーリーの後に答えがあり、決して我々が知ることはできない。
なので、この項目のタイトル『「運命」は、シャカールとファインを本当に紐付けているのか?』という問いに対しての正確な解答は『不明』だ。
だからこそ、今回は『シャカールが「運命」を変えたことが証明された世界線のシャカファイの話』を書こうと、同人誌『Our brief eternally』を執筆することに決めた。
しかし、私は上述してきた事実と、希望も込めて『二人は「運命」によって紐付けられている』と主張したい。
シャカールの証明には、ファインの「運命」に殉じる心の変化が確かに必要不可欠だった。それで、もう結果は十分だ。
以上で、証明を終了する。
おわりに
サイゲームス、怖い。とにかく、この一言に尽きる。
ファインストーリーでは、シャカールが自らの「結末」を変える可能性を持った相手としてファインを選んだ。そんなシャカールを、ファインは見初めた。
それだけでも二人の関係性のファンにとっては、十分過ぎるほどの設定だ。
これに匹敵する情報は、正直今後出ないと思っていた。論の中でも述べたが、シャカールの育成シナリオでは、シャカールは「運命」をトレーナーと変えたため、ファインの気配はそれほどないのだろうなと推測していた。
しかし、蓋を開けてみたらどうだ。
ファインの育成ストーリーの軸がシャカールということは、わかる。
そういう話にしたかったのだろう。
けれどなぜ、シャカールストーリーでシャカールが「運命」を変えたことを証明する鍵を、ファインの「運命」に殉じる心の変化にしたのだろうか? そうする必要は全くなかったと思われるのに、どうして?
この疑問は、すぐに解決した。
サイゲームスは、多分、シャカファイが好きなのだ。
シャカールとファインの育成ストーリー……というより、二人はところどころ対になっているなと感じる時がある。
「けれど、 記憶の中で勝敗を超えていく……。みんなが忘れないでいてくれたら、 私は想いを残していける。」
——『有馬記念の後に・ Sweet Memories』より
「もう誰も、忘れねェ」
——『クリスマス』より
他にも「衝撃を残す」と「刻み込む」など、気になる点が多数存在する。これは完全にオタクの勘繰りになってしまうが、サイゲームスはあえてこの二人を対に見えるように配置している可能性があるのではないかとも考えてしまう。
しかし、それを確かめるには、まだまだ考察が足りない。
いつかそれも論じられるように、これからも、シャカールとファイン、二人が織りなす関係性について、今後も思考を深めていくつもりである。そんな決意表明で、この論考を閉じる。
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論考は以上です。ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
こうして改めて二人のストーリーを見てみると、二つ合わせて一つの運命論が完成している気がします。
シャカファイ、すんごい組み合わせです。
この論考をお読みになってシャカファイが気になるぞとなった方は、ぜひシャカファイ村に遊びに来てください。
そしてぜひ、私にシャカファイのイメソンを教えてください。お願いします。