【 記事 】「あるラーメン屋の思い出」

私のように50歳くらいであれば、「サッポロラーメン」を知っている人は多いと思う。昔は店舗数も多かったが、現代では店舗数がかなり激減して、見る影もなくなってしまった。

私が20代の頃、近所に自営業のサッポロラーメンがあった。私はサッポロラーメンの味噌ラーメンがとても気に入っていて、よく通って味噌ラーメンを堪能していた。当時の値段は650円くらいだった。今思うと非常に安い。

近所のサッポロラーメン店を営むオヤジは気が短かった。いつも気難しい顔をしていた。14時くらいになると、新聞を読みながらまなかいの昼飯を食べて休憩していた。その店舗にはオヤジの他に雇われていた調理の男性がいた。その男性は見るからに気弱な人で声が小さい。話し方からしていつもビクビクしているような感じが見て取れる。その男性はオヤジによく怒られていた。客がラーメンを食べていても、オヤジはその男性を叱りつけていた。客としてはあまり良い気はしない。

雇われていた気弱な男性は黙々と注文された料理を作っていた。私はその気弱な男性が作ってくれた味噌ラーメンが大好きだった。オヤジによく怒られていたけれど、私はその男性は仕事のできる人だと思っていた。出てくる味噌ラーメンはいつも同じ味で、味やスープ、麺の茹で加減にムラがない。どうやったらこんな風に作れるのだろう?といつも感心しながら味噌ラーメンを堪能していた。とにかく旨くて好きだった。

ある時、そのサッポロラーメンは店を畳んでなくなってしまった。私は悲しかった。これで私好みの絶品味噌ラーメンが食べられなくなってしまった。これは私が20代だった頃の話。

私は人生がうまく行かなくて40歳くらいになった。仕事が長続きしない私はパートで、ある病院の清掃の仕事に就いた。その会社には、なんか見覚えがある人がいた。「ひょっとして、私が20代の頃に近所のサッポロラーメンで雇われていた、あの気弱な男性なのでは?」と思った。会社にも仕事にも馴染んだある日、その男性に聞いてみた。
「Mさんは昔、○○町のサッポロラーメンで働いていませんでした?」
すると、ビンゴだった。その気弱な男性はMという名前だった。

「私が20代の頃によく食べに行ったサッポロラーメンのMさんが作ってくれた味噌ラーメンは本当に美味しかったですよ!Mさんは調理師免許を持っているのですか?あんなに美味しいラーメンを作れるのに、何で掃除の仕事なんかしているのですか!?」

彼は相変わらず気弱な感じだったが、とても謙虚な人だった。
「調理師免許は持ってないです。でも、慣れれば誰にでも作れますよ。」
彼の返答はただそれだけだった。私にはとてもそんな風には思えなかった。
私は味噌ラーメンがとにかく好きだが、彼の作る味噌ラーメンは私の中では一位的な位置づけだった。

あれからまた10年経った。私は50、彼はもう60くらいだろうか。彼は私の家の近所に住んでいて、自転車で私の家の前を通りかかるのをたまに見かける。彼は病院でゴミ収集をしている、いわゆる底辺的な仕事を続けていた。その会社では責任者からも同僚からもよく怒られていた。
しかし、誰が何と言おうと私にとっては彼の作る味噌ラーメンは一流だった。今でも彼の作る味噌ラーメンを食べたいと思う。2千円、3千円払ってでも、彼の味噌ラーメンを食べたいと思う。

気弱で怒られてばかりの男性。しかし、彼の作る中華料理は一流だと私は思っている。私は彼の作る味噌ラーメンを未だに忘れられない。それくらい彼は素晴らしい能力の持ち主なのである。