映像作品ボツ案② 怪獣戦線オウマ
今回も、前回記事に引き続き考案したものの映像化していないボツ案のご紹介です。今回は脚本・デザイン・コンテまで描いたもののボツにした「怪獣戦線オウマ」をご紹介します。
あらすじ
怪獣が度々現れ、都市を破壊しているパラレルの日本。自衛隊は、怪獣に立ち向かうため、主要な駐屯地に歩行戦車小隊を設置。東京地区を防衛する小隊「ヤタガラス」に、新隊員として配置された主人公(女)。初の任務で強大な怪獣に遭遇し、小隊は自分達の乗る戦車・ムラクモ号以外全滅してしまう。が、主人公は持ち前のガッツで怪獣と死闘を繰り広げ、ついに東京の街の防衛に成功する。
テーマ性<見栄え重視のストーリー
本案は、過去作2作がある程度テーマ重視であるのと対照的に画面上の「見栄え」に振り切ったストーリーにしています。
理由としては、前作、前々作を説明的だと感じた人もいるようで、中には「自主特撮なんてカッコイイ映像だけ並べればいいんだ」という人もいました。
なので、今回は自分の好む兵器描写をメインに据えて、絵的な見栄えに特化したものでもいいかな、と思ってストーリーを組み立てました。
もっとも、結果的に「テーマ性の無い作品じゃ意味がない」という結論に至ったので自らボツにしたのですが…
ストップモーション向きの内容とは/メカを主役に据えた理由
この案を出した頃から、こんな事を念頭に置いていました。ストップモーションに向いた話の内容・設定とは何か?ということです。
過去作についての話でも触れましたが、僕は怪獣特撮を撮るに当たっては、着ぐるみや操演では無くストップモーションを用いる事を前提としています。理由としては、大学サークルなど集団で特撮を作っている訳ではなく個人規模なので、スーツを作って保管する場所・また撮影のセットを組む場所の確保、お金の確保が難しいからです。そのため「ヤゴン」を作った時からストップモーションによる特撮に絞っていました。
しかし、ストップモーション特撮にはその性質上クセがあります。どうしても、映像上のブレを作るのが難しく、生物らしい滑らかな動きよりは、カクついた印象になってしまいがちです。巨匠・レイハリーハウゼンの作品ですらも、そういった点は見受けられると思います。
なので、個人的にストップモーションによる怪獣映画を撮るには「滑らかな動きをするキャラクター」より「カクついた動きをするキャラクター」の方が効果的に魅せられると考えています。
という点を踏まえた上で「ロボコップ」や「ターミネーター」のストップモーション特撮を見ると、ストップモーション特有のクセと、ロボットの動きには親和性があるという発見があります。
そこで僕は「ロボットが主役の特撮を撮ってはどうか」と考えたのです。それも、勇者ロボや戦隊ロボのような人間味のあるものより、昆虫のような動きをするメカなら映えるのではないか?と思いました。
また、もともと怪獣映画における自衛隊描写に魅力を感じていたので「自衛隊が操る多脚戦車」を主役に据えようと思ったのです。
歩行戦車・ムラクモ号 デザイン
前回の「セキガハラ」の記事でも触れましたが、僕はメカには造詣が深くありません。そのため、カッコイイ歩行戦車をデザインするのは中々難しかったです。
ネットで「歩行戦車」「多脚戦車」と調べてなんとなくパターンを覚え、実際の戦車の構造から拾えるところを拾い……という形で考えていきました。
また、大前提としてストップモーションで動かさねばならないので、関節部をどう処理するかなども考えながらデザインしました。そうして生まれたデザインが、以下になります。
初期ラフ
決定デザイン
怪獣の設定
本作の怪獣、オウマですが、正直言ってしまうとあまり思い入れがありません。というのも、本案は歩行戦車を主役にして描くのが前提で、怪獣が主役では無かったので、怪獣は「よく皆がイメージするシルエット」という、敢えてありふれたイメージで考えたからです。
モチーフは「とにかく邪悪で強そうなやつ」というイメージと、味方サイドが日本神話から名前をとっているので、分かりやすく「鬼」をモチーフにしました。(なお、オウマという名前は逢魔時からとっています)そうして考え出されたのが、以下のデザインになります。
オウマ デザイン
絵コンテ
本案は、絵コンテを描ききるところまでは進めており、コンテ自体はスッキリまとまっていました。ですが、実際に見てみるとアクロバティックなアクションも多く、仮に実行に移していたとしてストップモーションで表現出来たかどうかは微妙なところです。
(保存ファイルが見つからず、一部しか掲載できませんでした…)
まとめ:テーマ性のない話は作りたく無い
最終的に本案をボツにした1番の理由は、テーマ性の無さ故でした。人によっては「テーマ性・メッセージ性など不要で、カッコいい映像が散りばめられていれば良い」という人もいますが、僕はそうは思えませんでした。ただカッコいいだけの映像に価値はあるのだろうか?とすら考えます。
僕にとっては、映像に限らず、その作品を見た人が心を動かされたり、価値観をも変えられるようなものを作る事こそが、作品制作の意義であると考えます。カッコいいだけの映像なら、他にいくらでも上手な人がいる訳で。敢えて僕が作る必要はないのです。
改めて、その辺の意思がはっきりしたという意味では、本案を考えるために割いた時間も無駄では無かったと思います。実際、この間に考えた事は、後に他の案を考える際に役立っている事も多々あります。
さて、次回もボツ案のお話です。次回お話しする案は、さらに僕が今後作品を作る上でのヒントを与えてくれたものです。
それではまた…