1923年の虐殺 ─カネッティとバタイユの言説を援用して─
関東大震災における朝鮮人虐殺について考えたい。その視点について少し変則的に検討してみる。その補助としてエリアス・カネッティとジョルジュ・バタイユの言説から援用してみる。
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エリアス・カネッティの代表的な著作に『群衆と権力』がある。この著作から虐殺という現象を考えてみたい。ちなみに同書で日本における群衆行動等については書かれていない。
カネッティは1905年ブルガリアで生まれたユダヤ人である。その後オーストリアのウィーンに移住。言語能力にすぐれた彼は英語やフランス語など、ヨーロッパの多言語に精通するが、ドイツ語で著述をはじめる。彼が生きたヨーロッパの時代背景は第一次世界大戦からドイツにおけるナチズムが台頭する時期にあたる。彼が最初に眼にした群衆は第一次大戦下におけるドイツであった。当時、ワイマール帝国であったドイツはフランスに侵攻し、ヨーロッパ大陸の覇権を奪おうとしていた。国民たちが戦争に熱狂する光景をみたカネッティは、その現象に圧倒され、興味を持つ。だが戦争に負けたドイツにおいてヒトラー率いるナチス党が躍進する。カネッティはしばらくウィーンに滞在するも、ナチスの迫害から逃れるため、スイス、イギリスへと逃れる。そして今度はナチスに熱狂する人々を目のあたりにした。
カネッティが第一次大戦からナチスが席巻するまでの時代、彼は群衆という存在と現象に着目する。一方、同時期の日本においても民衆という塊が蠢き、ときに社会の事象に深く関わっていく。カネッティがヨーロッパで群衆を目のあたりにしていた頃、日本では大正から昭和初期に至る時期にあたる。
日本は日露戦争での勝利以降、国際社会に於ける優位と自信を高めていった。実際は日本の国力だけでなく、欧米諸国の大きな支援があったことは、現在では周知の事実だ。だが当時の人々は勘違いに気付かず、そのため思い込みは面倒なものであった。日露戦争の保障をめぐり人々が集い、暴動に発展した日比谷事件以降、民衆の存在が目立ってくる。1910年の朝鮮半島の植民地化をきっかけにその勘違いに拍車が掛かる。同時に、外来に対する意識はより神経質になっていく。特に近隣の東アジア各国との関係性は緊張感を帯びるものであった。日清戦争での勝利、朝鮮の植民地化によって日本人の中に彼らに対する優位意識を醸成させると同時に、反動に対する恐怖心も同居していた。こうした無意識裡にある人々の感情が、関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺となって爆発したと推測できる。
1923年に日本で起きたこの出来事を、カネッティはたぶん知らなかったはずだ。だが彼はドイツで派生したナチスに熱狂する国民の光景を見ている。カネッティが群衆を主題に研究しはじめたのは1925年頃といわれる。第一次大戦を経て、ヒットラーがミュンヘン一揆で逮捕、収監され、出所後にナチス党を再建する頃にあたる。そして失敗の経験から権力を掌握するためには暴力的な手段でなく、民主的な方法を選び、選挙でもってナチス党の議員拡大を図り、アジテーションな演説によって国民の気持ちを掴み、支持を得ることに成功した。
オーストリアにいたカネッティは群衆という現象を受け止めていた。人々が群れとなってひとつの方向へ向かうという行動は世界各地であり、ときには世論の声を具体的に示す示威行為であった。だがその渦中に入りこむとき、各々の距離が近くなり、体と体が触れ合う近さになる。人が人に触れることはよほど身近な親しい間柄でしか為しえない。見ず知らぬの他者との接触はよほどのことがない限り起こり得ない。むしろ触れることを忌避する。だが群衆となったとき、否が応でも見知らぬ他者と密着する。満員電車は物理的に人と人の距離が近くなるが、たとえばデモや集会、会場のような場所は、共通の目的をもって同じ思いを共有する者たちで集まってくる。このとき人は見知らぬ他者との距離感についてある程度許容する。
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『群衆と権力』は第1章「群衆」において「接触恐怖の転化」という項目から始まり、冒頭こう書き出している。
恐怖、畏怖といった感情が派生する根底にあるには、わからないという認識であろう。人は自分の理解から手にあまる不可解なことに対して不安を抱き、見えない何者かの存在を感じたときに漂う不穏さを覚え、徐々に恐怖へと変化する。この感覚は洋の東西を問わず、人間誰しもが示す反応であることがカネッティの文章から伝わる。人は外に出れば、圧倒的な数の他者の中に放り込まれる。それも面識のない人がほとんどだ。当たり前だが、私の周りは見知らぬ人ばかりが闊歩している。見知らぬ他者とは距離感を計り、なるべく関わることがないようにふるまう。一対一の関係のとき、両者の間は物理的にも絶妙な関係性を保つ。しかし、群衆となるとその状況は一変する。カネッティはこう記している。
個が塊り、群れとなったとき人は一定の安心を得て、見知らぬ他者の脅威は集団という状況が生まれることで緩和される。これは無数の他者が総意をもって同じ方向を向いているという認識で一致しているからだ。だがこの逆転状況は興味深いと同時に皮肉な印象もある。動物の中には集団行動を維持することで外敵から身を守る種もある。たとえばペンギンや象などを例にあげるとわかりやすい。一方で孤立して生きる種もいる。ライオンやチーターなどだ。人間はその両面を併せ持った種であるといえる。
個であるにはある程度のリスクや責任が生じるが、集団になったときそれは分散される。そして安堵感が生じ、恐怖感が薄れていく。見えない脅威だった他者が群衆の中に紛れることで脅かす存在でなくなる。根拠のない連帯感が生まれ、群れの中でその身を任せる。多数の一員になることで自分の身を保障することは、人間が本能的に求める行為であろう。デモや集会、あるいはライブ会場のような同一の目的を持った空間内における群衆だけでなく、社会の中で自分が属する組織や場所があることで、ある程度のアイデンティティを得る。人はひとりになり、孤立したとき、心理的な不安や恐れを抱くが、その根底にあるのは接触恐怖の心理と同じものであろう。
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関東大震災から派生した朝鮮人虐殺事件は、日本人の過剰な恐怖感が増大した結果の行動とみることができる。当時の日本人から見れば、朝鮮人は不可解な存在であった。まず言葉がわからない。東アジア人として同じような顔付きをしているが、言葉が異なることに障壁を覚えたはずだ。そして、日本は朝鮮を植民地下にあるため、自分たちの方が優位にあると考えていた。これが勘違いであることは先にも記したが、権力を司る政府にしてみれば、その他大勢の民衆も朝鮮人も大差はない。ただ、日本人か朝鮮人かというだけのことである。日本人民衆の多くはそこに気付かない。一方で支配された朝鮮人たちがいつ反旗を翻すかわからないという潜在意識のあったはずだ。日本人は支配したつもりでいたが、彼らの反撃にも怯えていた。
そして地震が発生し、情報が錯綜し、恐慌状態になった。突然の大地震に見舞われ、思考が混乱し、不安と恐怖が人々の中で醸成していった。そして矛先が不可解な朝鮮人たちへと向かった。デマが流布し、朝鮮人たちが襲ってくるという風聞が伝わってくる。日本人の民衆はおののいた。朝鮮人たちに襲われる前に襲え、殺せと誰がいうともなく伝染するように広まった。そして朝鮮人への襲撃がはじまった。日本人は群衆となって破壊行動へと駆られていった。
カネッティは「破壊欲」という項目の中で、こう書いている。
抽象的な書き方だが、朝鮮人虐殺の行動に駆られた日本人たちの心理がここで読み取れると思う。集団となった日本人たちは、同調する仲間を得たことによって何か絶大な力を得たかのような錯覚に囚われた。朝鮮人たちが自分たちを襲撃すると皆が根拠のない情報を共通認識としてもって、ならばやられる前にやれとなった。その瞬間、彼らの中で高揚感が生まれ、道徳や常識の範囲を越えて、箍が外れてしまった。その心境を表現するにあたり自由という言い方も可能かもしれないが、理性が崩壊し、悪しき共同幻想に陥った状況は狂気と言ったほうが適切かもしれない。人は自分も集団の一員と認識したとき、大勢の中にいることで気持ちが尊大になる。
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ここでジョルジュ・バタイユの言説を取り上げたい。1897年生まれのバタイユはカネッティより8歳上にあたる。バタイユは第一次大戦時には動員されたが、病気のため免除された。第二次大戦時はフランス人としてナチスの脅威に直接的な抵抗運動には参加しなかったが、自己と向き合い神秘体験を求めてきた(のちに『無神学大全』3部作に結実する)。だからといって彼は外部の世界を無視していたわけではない。戦後ナチスの蛮行が明らかになっていくなかで、バタイユは1947年に「死刑執行人と犠牲者(ナチ親衛隊と強制収容所捕虜)に関するいくつかの考察」という小論を書いている。これはダヴィド・ルッセというジャーナリストが書いた著作の書評になる。これを書いた時期はニュルンベルグ国際軍事裁判が終わってまだ1年も経っていない頃だ。
この小論に以下の記述がある。
この文章はアウシュヴィッツにおけるナチス党員たちの行ったことに対して、バタイユなりに読み説いている。しかし、ここで述べられていることは、極端な状況に置かれた人間の行動原理であるともいえよう。人が他者に肉体的な苦痛を与えるとき、与える者もまた自らの内面を傷つけている。しかし、当事者はそのことに気付かず、良心ともいえる領域を削り続けている。この心理状態はそのまま朝鮮人を虐殺した当事者にも当て嵌まる。
バタイユはよく知られているように、エロスとは死(タナトス)へ至るまでの高揚と述べている。つまりエロティスズムとは生の充足であって、タナトスへ到達するまで求めてやまない衝動のことである。だが、その衝動に不具合が生じたとき、理性を失い、行動に異変が生じる。そのひとつに他者への攻撃、暴力の行使へと発展し、死へと致しめる。その間、内面的な盲目状態に陥る。集団狂気の中にいると見えなくなる。物理的にではなく自分自身が見えなくなっている。だからこそ人は、常に自分を見つめることが重要になってくる。自分を通すことで他者の存在が見えてくる。アウシュヴィッツにおけるナチスの行動は、内面的盲目状態に陥っていた。その精神状態は関東大震災直後の日本人にも共通していると思える。
ネットが生活に浸透している現在、SNSでの繋がりと承認を求める心理も同じ動機によるものとみることもできる。自分と他者を繋ぐ媒体が日常となっているが顔が見えず、身体性が希薄なネットの場合、感情や言動はより過激になっていく。群衆のありようは変化している反面、人間の本質はそう変わらない。20世紀前半を生きたカネッティやバタイユの言説は、いまなお有効のようだ。