神戸はすべて汽笛の中にある
わたしの生まれ育った町は海辺の、というか、ただ海の横にあると言った方がいい、住宅街だ。
街ではなく、町。
ほとんどが震災後に建てられたマンションで、時々揺れから残った家、新しい家、団地、小学校、埋め立てられた川、鬱蒼と茂る緑、パン屋、八百屋、小さなスーパー、中学校、タバコ屋、国道を超えると、小さな駅舎。
その中の震災後に再建されたマンションが、わたしの家で、真裏は海だった。
海と言っても、大阪湾に面した入江で、なおかつ埋め立てられてしまっているから、大きな湖か、川にしか見えない海だ。水はたいていよどんでいる。暑い日はプランクトンが大量発生して、鼻をさすようなにおいになる。
砂浜のない海だ。船のための海だ。つまりは、波止場だった。
わたしの出身地は正しくは神戸ではない。神戸のとなりの、小さな市だ。
神戸は住む場所ではなく、訪れる場所だった。
地元の小さな駅から、片道230円。25分で着く、三宮(さんのみや)。駅を出ると商店街、とは言っても下町の商店街とは違う。アーケードがかけられた、路面店の連なるショッピングモールだ。ここではなんでもそろう。無いのはLIZLISAの店舗ぐらいだ。それが延々と元町(もとまち)まで続き、途中でパタリと無くなる。長い長い、兵庫一の繁華街、街。
商店街に入らずに、海の方向へ歩いていけば、市役所、県庁、花時計、東遊園地、希望の灯り、少し曲がると博物館、そしてデパート、そうして海。
三宮の海には名前がある。メリケンパーク。つまりは波止場だ。明治時代に開港して以来、ここはメリケン粉(小麦粉)を運ぶ東洋一の波止場だった。今は世界一周をする巨大な旅客船や、ゴンドラの形をした観光船が止まっている。
その船たちが、あるタイミングで音を鳴らす。
汽笛だ。
きてき、と、読むその音は、多くの人は鉄道をイメージするだろう。
わたしはこの音に郷愁を感じる。
わたしの家の裏は波止場だった。
早朝。船が漁に出るたびに、ボーーーーーという音が鳴る。
ベランダに出る。眼下には海。真っ暗な、夜と水の境も見えぬ景色の中、小さな灯りが進んでゆく。船だ。漁船だ。小さなともしびだ。船はそのまま橋をくぐって、大阪湾を出て、和歌山沖まで。そうして日が昇る頃に帰ってくる。再び、ボーーーーーと音をさせて。
地元を出て、実家も引越し、8年が経った。けれども時々、この音が聞こえる。それは夜更けに家路をたどる瞬間であったり、ふと早く目覚めすぎた朝、昇りきった炎天下の人込みだったりする。
どこかで鳴っている。
町にも、街にも、響いていた。